どんぐり雑感
 読書室


ディック・フランシス

〜「主人公は私!」「おまえ主人公か!?」〜


  作家は、大まかに分ければ、二通りに分類される。

 一つは、まったくの虚構世界を取材や伝聞(もしくは想像)のみで構築するタイプ。
 比較的、量産型がこのタイプには多く、そのぶん読み口は軽い。

 もう一つは、作中のどこかに、「作家」の生の部分が投影されているもの。
 たとえば登場人物のキャラクター造形、あるいは作品舞台の背景などなど。ただし、この投影が過剰になると、それは単なる私小説になってしまうのだけど。

 ディック・フランシスがどちらに属するかと言うと、これはもう圧倒的に後者であろう。

 かつては英国女王の馬にも騎乗したほどの名騎手であり、第二次世界大戦中は英国空軍のパイロット、引退後は新聞社の記者。

 初期の長編は、そのほとんどの主人公が競馬の騎手で、『飛越』・『混戦』の主人公はパイロット、『罰金』の主人公は新聞記者。
 近作では、主人公自身は競馬に関わりのない人物に設定されることも多くなってきたけれども、物語自体はどこかで競馬界(もしくは馬)とつながっている。

 そりゃまあ、彼の作品自体が『競馬シリーズ』というくくりになっているんだから、当然と言えば当然ではある。が、なにしろそのほとんどの作品で、主人公がまったくの別人・別設定なわけで、それで30余作、というのはやはり偉業だろう。

 …とまあ、解説を読めばわかることをくどくど書いてもしゃあないか。

 要は、ことディック・フランシスの小説に関する限り、主人公=作者。とすれば、この人の小説が好きか嫌いか(読めるか読めないか)は、直接作者の好き嫌いにつながるわけで。
 たとえ「今回のはちょっと不作だなあ」と思っても、また次に期待してしまうのは、やっぱり好きだから。
 傑作だったら、また次が読みたくなる…のが困りものなんだな、この人の場合。

 基本的に、「フランシスの新作は1年に1作」。

 読み始めが一番の傑作『興奮』だったため、文庫・ポケミス・ハードカバーと手当たり次第に読みまくり、ふと気がつくと「来年の新作を待つしかない」状態になったのが10年ほど前の話。
 …古本屋なんかも活用したんで、ほぼ一年くらいで追いついたんだけど…その後の禁断症状がすごかったのでした。
 「あの文体」に触れたいために、『菊池光・訳』と表記のある本を手当たり次第に読んでみたり。
 で、この二・三年というもの、新作が出れば速攻で買うけれど、読むの自体はしばらくお預け、という状態を続けている。
 …「コレ読んだらもう後がない」という状態になるのが、ちょっと恐かったりするもので。

 で、2001年の初めあたりにきいた噂は本当なんだろうか、というのがあるんだな。
 最愛の奥さんを亡くした氏が、がっくり気落ちして断筆宣言をした、という話。
 本当だとしたら、もう文字通り「後がない」状態になるんだよね…。

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