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2004年10月31日(日) 雨の日曜、あっという間に終わる

 今日は、子どんぐりの冬用コートを買いに出る。
 紳士服の店も探したが、165センチからというのがほとんどで、子どんぐりの体格ではとても着られない。隣町のショッピングセンターで子供用のコートを見たが、これというのがない。ただサイズと価格の両方がちょうどいいダッフルコートがあったのだが、彼はこれが気に入らないらしい。「こんな女物みたいなのは嫌だ」と言い張るのだった。毎年冬に私が着ているあれは、ダッフルコートと言うのだがねぇ。
 結局、紳士服売り場にあったSサイズのコートが気に入ったらしい。ただし価格が19,000円…。あちこち探してこれしかなかったのだから、仕方がないが、でも高いよなぁ。ちなみに子供用のコートは22,000円だったので、それよりは安かったという事だ。
 しかしこれで、子どんぐりはウチで一番高いコートを着ている事になる。盛岡でトレンチコート買わなくて良かった…。

 フィルムをカメラ屋に持っていき、現像が上がるのを待っている間に本屋を覗く。するとなんだか見たような表紙があった。影丸譲也の「白鯨」である。私が小学校の頃に連載で読んでいたもので、意外と好きな作品だったのである。価格は1,000円だったし、連載時も時々見逃していたため、買ってしまった。
 掲載誌が少年マガジンという性質上、子供向けに構成は変えてあるのだが、あのハードな世界はそれなりに再現されており、今読んでも悪くはないと思う。
 実は1956年の映画版も好きである。ジョン・ヒューストン監督、グレゴリー・ペック主演、レイ・ブラッドベリ脚本の奴だ。中学の頃テレビで見て、ラストのエイハブ船長の最後が気に入ったのである。この時の印象が強かったため、私にとってグレゴリー・ペックはエイハブ船長なのである。「オーメン」の時にいい人でいたのには、実は違和感があったのである。そんなだからペックの代表作であろう「ローマの休日」は、当然ながらあまり好きではない。違和感があるのだ。
 これは多分、「ワイルドバンチ」を観る前に「北国の帝王」を観てしまったがために、アーネスト・ボークナインのイメージが鬼車掌シャックで固まってしまったのと同じである。だから「エアウルフ」での好々爺にはちょっと違和感がありすぎた。好きな作品ではあるが。
 そんな事を考えながら、「白鯨」を懐かしく読んでいたのであった。

 そして現像された写真には、昨日の「水飴」がきちんと写っていた。
 実は昨日デジカメで摂っていたのだが、どうもウチのデジカメは古いせいか、接写に弱い。小さい物を撮ろうとすると、ピントが合わない。普通AFエリアは真中なのだが、根本的にフォーカスエリアがはっきりしないのである。距離が近すぎるというのではなく、どこに合うか判らないのだ。もともとフォーカスリングがあるタイプでもないので、ピントが合わない場合にはどうしようもない。
 こういう場合、やはりフォーカスエリアがスーパーインポーズされるカメラでないと、接写は苦しい。というか、やはりカメラは一眼レフタイプが一番使いやすいのである。

 あと、昨日ビデオに撮った「ウルトラマンネクサス」を見たが、これの最大の問題は、対象年齢がさっぱり判らないという点だろう。脚本、演出がどうも中途半端に感じられるのだ。これは最近の仮面ライダーの影響なのだろうか。
 また、「この後どうなるのだろう」という引きであればそれは良いのだが、あまりに謎の(矛盾した)言葉を残したままの引きでは、メインの視聴者である小学生が楽しめないのではないだろうか。
 とりあえずスポンサーを見る限り対象は小学生なのだから、ああいうストーリーは別に構わないと思うが、構成や演出はもっと慎重に考えておくべきだろう。単純に言えば、もっと見せ方を工夫しろという事だ。
 そういう意味でも「ウルトラセブン」は非常に参考になるのだが…。



2004年10月30日(土) α号とF-4と

 今日は粗仕事。何故5人しかいないのだろう。

 夕方、トイザらスへ寄ると、今頃になって「東宝マシンクロニクル」があった。半年間以上、どこでどうしていたのだろう。
 7個しかなかったので、多分ムーンライトSY-3は抜かれているだろうと確認するとやはりなかったのだが、とりあえず3個買ってみた訳である。出たのはα号、黒鮫号、スーパーXである。スーパーXはいらないんだよなぁ(食玩のみかんを乗せて、お供えメカにでもするか)。
 しかし箱には名機復活と書いてあるが、スーパーXは名機ではないと断言しておく。どうしてもというならスーパーX2の方だろう。スーパーXには、超兵器に必要な良いデザインと兵装及び演出のかっこよさが著しく欠落しているのだ。
 今回のはできれば轟天号とメーサー殺獣光線車も欲しいが、エッジが甘くコナミのようなシャープさがないので、どうも大量に買うのは抵抗があるので、多分これで終わりだろう。

 実はこの時、1/200のF-4があったのでこちらは試しに1個買ってみた。
 早速開けると、黄色い紙が巻かれたチューブが入っている。「完成品なのになんで接着剤が?」と思って良く見ると、これが「水飴」だった。食玩の食の部分が水飴というのも珍しいが、ある年代にとっては、この色と形はプラモに同梱されていた接着剤を想起させるのである。そういう意味では非常に良く考えられたアイテムだ。まさか食の部分でまで楽しませてくれるとは思いもしなかった。
 そして肝心のF-4は、基本的にどれでも良かったのだが一番欲しかった「サンダーバーズ仕様」であった。
 「東宝マシンクロニクル」はイマイチだったが、こちらは当たりである。まあそういう日なのだろう。

 さて、秋の園遊会での天皇の発言が、何かと問題になっているようだ。国旗国歌の強制の問題についてである。
 だが当たり前の事を当たり前の言葉で述べただけで、何が問題だと言うのだろう。確かに天皇は日本の象徴であり、政治に介入する発言はしないという建前になっているから宮内庁あたりが過敏になっているのは判る。少し前の皇太子の発言もあった事だし…。
 ただ宮内庁や教育委員会は、「国旗国歌は強制でないのが望ましい」と天皇がそう言わざるを得なくなったと言う事の意味を考えているのだろうか。教育委員会が戦前戦中と同じ事をしていると天皇自身は気づいているのだ。
 あれで天皇相手だから、「はいっ、その通りです」と言った訳だが、これで自分より少しでも格下の相手になら、恐らく顔を真っ赤にして反論した事だろう。事の真相を理解していないからだ。
 天皇が望んでいるのは、強制しなくても誰もが国旗国歌を愛せるような国を作って欲しいという事なのだが、戦後作ってきた社会を子供たちは正しい社会と認識していないのである。敗戦というどん底から高度成長期だけを経験した年寄りに、今さら過去の教育は間違いだったと言っても手遅れなのだが、自分達より下の世代がおかしくなったと感じるのなら、それは誰の責任なのか良く考えてみる事だ。
 日本が異常な道を歩んでいると、皇室では気づいているのだ。だがそれを公の場で述べる手段がないし、宮内庁もあてにはならない。さぞかし歯がゆい思いをしているのではないだろうか。だから色々な発言が出ているのだ。いい加減に宮内庁も気づけよ。

 教育委員会も、少しは日本の将来を真剣に考えて欲しいものだ。強制するだけなら、バカでもできる。だがそんなものは継続しない。これは人類の歴史が散々証明しているではないか。
 結局みんな、自分の任期という短期間でなんとか実績を作っておこうという貧乏根性だからダメなのだ。長期的に考えれば、思想の操作に関しては色々といいサンプルがあるのだが、気づいていないようだ。もっとも気づいていればこんな失態は晒さないか…。



2004年10月29日(金) タイミングが悪すぎる

 今朝のニュースを見ていたら、新潟の地震災害に関しておかしな報道があった。
 救援物資の置き場がないので、避難住民を移動させているのだという。だが避難している人は10万人と言われているだけに、簡単に移動できるものではない。何かおかしい、本末転倒ではないのかと思ってしまったのである。

 だが少し事情を調べてみたら、なかなか興味深い事が判った。実は先週、知事選挙があったばかりで、三役すら決まっていないのだという。しかも間が悪い事に、三期続いた政権を新たに当選した人が引き継いだのである。これでは地震災害という非常時に役人が機能しないのは当然と言える。
 役人は決まった事はちゃんと行うが、自分から積極的に行動を起こすという事はしない。特に知事が変わるというのは数々のシコリが残るのだから、頼まれてもやらないという事態にもなりうる。これは長野県で田中知事が当選した時に、日本中が認識したと思う。

 さらに今回の被害が大きい長岡と小千谷は、関係があまりしっくりいっていない地区なのだという。元々江戸時代には別の藩で、青森県で言えば津軽と南部のように、田舎独特のいつまでも確執が尾を引いている状態らしい。
 これは被災者にとって最悪の事態だ。つまり救援物資の集積、分類、配布がまともに機能していないのである。また今回のように大規模な天災が起こった場合には、様々な決断はトップである知事が行わないと進まない。ただ単に土木関係の整備だけ進めていては、死亡者や病人が増えるだけだし、日常生活への復帰が遅れるだけである。そういう意味では、最悪のタイミングで地震が起きたと言える。
 昔からそうだが、特に田舎の行政は、なんでも地域の互助等に頼ってきたため、いざ緊急時となると対応が全然なっていない。それが現在でもほとんど変わっていないのである。

 子どんぐりやどんぐり2号は、小額とはいえ募金に協力している。子どんぐりは、初めて自分から募金に協力すると言ったくらいである。だが募金や救援物資が有効に使われるのだろうか。なんだか不安だ。
 横流しとまでは言わないが、たまった救援物資がムダに積まれているだけという事態は、充分おこりうる。そんなバカバカしい事は、絶対に避けて欲しいものだ。

 だがマスメディアは、どうしてそういう事実を報道しないのだろう。無意味なパニックを助長する可能性があるから黙っているのかもしれないが、その状況を放置していては、マスコミとしての存在価値はない。
 裏で何らかの行動を起こしているのかと思いきや、現在そういう動きはない。単に被害の報道のみである。まあ今のマスコミでは当然なのだろうが、これでは避難所での死者が増えるだけではないのか。

 でもどうすれば良いのかと問われれば、実際問題として解決は難しい。それほど日本の地域行政はおかしな形で固まってしまっているのである。



2004年10月28日(木) やはりキース・エマーソンで決定

 東宝のHPを覗くと、ゴジラの音楽は、本当にキース・エマーソンが担当すると載っていた。
 それでもなんとなく信じられない。というか、東宝の何も考えていない連中が、何故今頃になってわざわざキース・エマーソンを引っ張り出してきたのか、そのへんが不思議だ。恐らく裏では、プログレ・ファンかエマーソン・ファンが糸を引いているのだろうが、そもそもビオランテ以降のゴジラは見る価値がほとんどない死んでしまった映画なので、今回も全然期待していないし、見る気もなかったのだが、これで嫌でも映画を見なければいけなくなってしまったではないか。悔しいなぁ。
 もっとも、こういうのを営業戦略というものだというのは充分判っている。判っているが、だからやる事が15年遅いのだよ、東宝は。

 大体、北村龍平監督は、30秒に1度の見せ場があると豪語しているようだが、彼のセンスがゴジラでそんなに持続する訳がないではないか。大体にして面白い映画になるとは、私は全然期待していない。そもそも怪獣プロレス映画に興味は全くない。やはり怪獣映画は「破壊の描写」、これに尽きるのである。

 それはともかく、キース・エマーソンは7月からゴジラの音楽にタッチしていたらしいが、ツアーの合間をぬっての作業だというから、もしかしたらナイスの影響下にある曲になっているかもしれない。それはそれで別に構わないが、そんな時間のあまりない状況下での作業だとするとフル・オーケストラとは考えにくいから、やはり「ナイトホークス」系の音作りになるような気がする。
 ゴジラの音楽としてではなく、純粋に彼の音楽として楽しみではある。彼のファンだから仕方がないのだ。

 ところで。
 この日記に検索で訪れる人も、少ないが存在する。短期で一番多かったのは「津軽じゃんけん」で、なんと10人くらいいた。意外なのは、「ブラックアウト、椎名桔平、山本未来」のどれかのキーで来る人が地道にいるという事だ。多分わざわざ選んで読んで、がっかりしているのではないだろうか。
 そもそもこういう検索で来た人たちは、この日記を読んでどう思っているのだろう。なんとなく興味はある。
 もともとテーマがある訳でもなく、ジャンルはテキトーだし、文章も上手い訳ではない。当然内容が濃いという程の事でもないし、読んでいて楽しくなるというものでもない。自分でも毎日良くこんなのを書いているなぁ、ひょっとして時間の無駄かもしれない、なんて思ってはいるのだが、根本的にこういうのが楽しいのだろう。
 もちろん時々、本当にネタがないという日もあるが、どうしようかな、なんて思っているとなんとなく書けてしまう事が多い。当然だがそういう時の文章は、結構変だったりしているが…。

 やはり本当の日記と違って、不特定多数が対象のネット上では書けない事も多いが、そこそこ本音は出しているし、たまにはウケを狙ったりしている時もあるので、まあ自己満足の極みではある。
 2002年の2月から書き始めたが、読み返してみるとその頃の方が短くて読みやすいなぁ、なんて思ったりもする。まあ長い文章が好きだから、仕方がないか。

 ちなみに日記をアップしている人(もちろん文章を商売にしていない人だ)は鬼のように存在するが、読んでいて楽しいと思う人はそれほど多くはない(探し方が甘いせいもあるが)。
 そんな中では、フロヰ道の会長はアヴァンギャルドな文章で笑わせてくれるし、まとりさんの文章は上手いなぁと思わせると同時に、その内容に何かと共感できる。白亜森さんの知識の幅広さと深さには、ひたすら呆れてしまう。
 こういう人たちのいい所を少しは取り入れたいと思いつつも、マネはできない。
 文章を書くというのは、年をとってからでは上手くなるのは難しい。それまでの蓄積が物を言うのである。もちろん内容自体もだ。

 やっぱり若いうちの様々な勉強って、重要だなぁ。子どんぐりはゲームばかりしているけど…。



2004年10月27日(水) 自死って、ピンとこない言葉だ

 最近、新聞で「自死」という言葉を良く見かけるようになった。
 新聞で見かけるようになったのは今年になってからのように思うのだが、私が知らないだけでメジャーな言葉なのだろうか。もしマイナーだとしたら出展は何なのだろう。親が自殺したため孤児になった子を自死児童と呼ぶと聞いたような気もするが(役所用語か?)、だからといって「自死」と短くして使われても違和感がある。
 そもそも自殺と自死が同義語なのかどうかすらピンとこない。なにせ広辞苑にも載っていないのだ(大辞林には載っているらしい)。となると誰かが意図的に使い始めた可能性もある訳で、なんだか気になる言葉だ。

 ただなんとなくではあるが、不況により仕事のストレスから自殺する人が増えてから使われ始めたような気もする。そうなると単なる言葉の言い換えになってしまう。言葉の言い換えはその本質を隠してしまうだけで、何か問題があったとしても、根本的な解決にはなりえない。何らかの努力をした上で最後の手段として言葉を言い換えるならともかく、大抵は何の考えもなく行われる。だから安易な言い換えというのは嫌いである。
 大体この手のは、過剰反応になると相場が決まっている。そして怪しげな団体が発生して、本筋とは関係ない部分で利権を獲得しようとする(嫌な連中だ)。そしてますます訳の判らない言葉狩りが始まる…。
 それはともかくとして「自死」という言葉、「真逆」のケースとは別の意味で気になってしまう。

 12月に「世にも怪奇な物語」のDVDが出る。
 これはかなり好きな映画で、映画館でも5回くらい観ているし(ただし名画座でだが)、テレビでやる度に観ていたものだ。オムニバス映画だが、3話目に出てくる「赤いボールを持った女の子」はとても印象に残る不気味な映像だと思う。要は死神のメタファーなのだが、あれだけ不気味なキャラというのも当時は珍しかったものだ。
 少女であそこまで不気味な笑顔というのも、「アヴァロン」までなかったのではないだろうか。いや「アヴァロン」での不気味さは、本来怪奇物ではないがために、なおさら不気味さが際立っていると言える。

 しかしLD時代に出なかった名作(私が欲しいと思うものだ)が、去年から今年にかけて次々と出ている。これはもう大変な事態で、これだけ一気に出ると、さすがに全部は買えないから困るのである。
 結局「サブウェイ・パニック」は買い逃しているし、もしかしたら見逃している物もあるかもしれない。名作ではないが、「珍説世界史パート1」や「大陸横断超特急」もまだ出ていないはずだか、心配になる。
 邦画では「東京湾炎上」をずっと待っているが、ビデオテープでしか出ていない。出たら即買うのに。
 
 多分、自分で欲しいと思っている連中が色々手を回して出しているのだろう。でも今年になってからのDVDラッシュは、私の好みが多いので、なんだか親近感を持ってしまうのであった。



2004年10月26日(火) 「マクロスゼロ」完結、したけど…

 借りてきたDVD「マクロス・ゼロ」の5巻、つまり最終巻を見た訳である。
 やはり「戦闘妖精雪風」という色々な意味でとんでもない作品とほぼ同じ時期の作品だけに、かなりまともに見えてしまう。映像的には丁寧なだけに、騙されてしまう人も多いかもしれない。
 でも中身がない作品である。SF的な部分は結局どこかへ行ってしまい、マクロス本編とのつながりは何もないと言ってもいい。結局メカつながりでしかないのだろう。
 一応「テーマは愛」という某ヤマトのような事を言っているのは判るが、何もかもが中途半端なのである。

 戦闘シーンは板野一郎が特技監督だけあって、戦闘機の動きは素晴らしい。燃料が絶対に足りなくなると思う機動の凄さは、一見の価値はある。板野サーカスは昔のような極端なデフォルメは影を潜めリアル志向ではあるが、それでもアニメ独特の動きになっている。
 ただ実際のドッグ・ファイトを参考にしたり、過去のアニメを参考にしているので、結局オリジナリティには乏しい映像になってしまっている。迫力だけは凄いのだが、やはり物足りない。こうしてみると、「王立宇宙軍」の戦闘シーンというのは、セルだけで書いたものとは信じられない描写だったと言える。
 見たような映像が多いという意味では、ダンバインの影響も強い。そもそもあの敵キャラなどジェリルだし、ラスト近くでチャム・ファウ的描写があるのに至っては、笑ってしまう(こんな事を書くとアニオタと思われるなぁ。ガンダムからダンバインまではリアルで見ていたから、記憶にこびりついているだけなのだが)。

 しかしファイターからバトロイドには、マッハ1.7では変形不能になると言っていたが、そもそも音速で変形するのは部材強度の問題から物理的に無理だろうと思ってしまう。あとマッハ2付近でコブラをするのも、航空力学的には無理というものだ。まあアニメだからこそなのだろうが、コブラもフックもクルビットも、音速を超えた状態では不可能なのだという事は戦闘機が好きな人は皆知っているのだから、もう少し工夫をするべきだろう。
 そもそも誰も科学的正確さなどは求めていないのだから、ある程度納得できる範囲で嘘をつくべきだ。ヴァルキリーの玩具は数々のヴァージョンが市場に出回っているので、マジンガーZなんかとは違い、誰もがあの機体は華奢だと知っているのだ。

 結局、なにがテーマなのかさっぱり判らない作品である。多分初めから語るべき内容がなかったのだろう。単にヴァルキリーというメカの開発から発展段階を描きたかったという、それだけだったとしか思えない。そう考えれば、今後の玩具産業にとっては参考になるアニメだったと言っていい。

 DVDの最後には主役である若手声優たちのインタビューがあったが、これがまた中身がなくてつまらない。酒の席での会話のようなものだ。何故に監督等の製作スタッフにインタビューしなかったのか。声優だったら野沢那智でもいい。そういう人たちに聞かなかったという事は、多分失敗作だったと判っているからなのかも知れない。そうだとすれば、恥を知っているという事でいくらかマシなのだが。
 ただし失敗と言っても、何も考えずにただ見ているだけなら、それなりに楽しめるだろう。要はSFだと思わなければいいのだ。

 こういう辛口の評価になるのは、「イノセンス」を見ているからだとは思う。これは本編、メイキングとも興味が尽きない作りになっているし、何度見ても飽きない。そんな作品と比べる事自体無理があるのは判っているが、やはり今時のアニメなのだから、評価は辛くなるのである。
 少なくとも押井監督の製作姿勢は見習うべきだ。



2004年10月25日(月) 新幹線初の脱線事故

 新潟の地震で、新幹線が脱線したのには驚いた。
 日本の新幹線の事故としては初めての大事件である。現在、東海道と北陸、東北はシステム構成が違うので、地震にはどちらが有効なのかはっきりとは判らない。また車体の経年劣化という部分も、今後は重要な要素になりうるし、直下型とプレート型ではその地震対策も異なるから厄介であろう。
 東北新幹線も開業当時は本当に揺れなかったが、現在はかなりの揺れを感じる。大学の時に応用力学を担当した教授は東海道新幹線のサスを開発した一人だが、東北新幹線のサスは構造材質とも全然違うという。それでも経年劣化により能力の低下は避けられない訳で、今後は地震時の事故のスケールが大きくなっていく可能性がある。新幹線は絶対安全だという神話は、もうとっくに過去のものなのである。
 もっとも今回の事故は、新幹線だからこそこの程度で済んだ、という見方もできる。これは今後の原因解明待ちだが、いずれ日本の技術者もバカではない。日々研究は重ねているのである。そういう地道な部分はもっと評価しなければならないのだ。
 結局、災害時はそういう地味な研究の成果が生かされる部分だが、無事なら気にもされないし、手を抜けば大事故に繋がる。ある意味因果なものである。

 ところで、警官の子供が机の上にあった銃を撃ち、他の子供が怪我をした。
 バカである。たまたま子供が撃ったから怪我で済んだが、もし誰かに盗まれ犯罪に使われたとしたら、どうする気だったのだろう。昔、韓国で大統領が狙撃された事件があったが、あれは日本の警官から奪った拳銃で犯行に及んだ事件だった。たまたま「1/100のミスファイア」にあたり、不発だったのだが、一時は国際問題となりかけたのだ(しかしニューナンブとS&W製カートの、相性の悪さが人の命を救ったという皮肉な事件だった)。
 今回の事故を、メディアでは暴発と書いているが、ああいうのを暴発とは言わない。管理するべき警官の手落ちである。それ以外の何物でもない。マニュアル通りやるべき事を、あの警官が行っていなかったから起きた事故で、本来なら即クビでもいいくらいの問題なのである。
 そもそも暴発とは、例えば拳銃を落としてその衝撃で弾丸が発射されるような事態をさすのであり、何も知らない子供が遊んでいて弾丸が出るのは、単に発射したと言うのだ。
 私は昔良く実験したのだが、机の上にモデルガンを置いておくと、ほとんどの人が何気なくトリガーを引く。一般の人はまず100%といってもいいくらいだった。つまり手の届くところに銃を置いてあれば、子供なら確実にトリガーを引くのである。警官がそういう事態を想定できないとは、バカ以外の何物でもない。

 こうしてみると日本では一般の警察に銃器など必要ないと思う。年間20発程度の射撃訓練しかしないような人間に銃を渡したところで、ミスショットや跳弾の方がよほど怖い。それなりの訓練をしていない人間に銃器を所持させるなど、狂気の沙汰と言ってもいい。
 イギリスのように、銃器の特殊訓練をした警官と、銃器は持たない一般警官を分けるべきではないのだろうか。現在の日本の警官では、どうせ撃ったところで当たらないし、何にどう当てれば効果的かすら知らないのだ(車を止めるのにタイヤを撃つという行為は、日本の警官では全く意味がない)。
 トチ狂ったヤクザ相手に警官が役に立つとも思えないし、一般人相手にむやみやたらと発砲されても困る。銃器を扱うには、かなりの訓練が必要なのである。
 そしていざという時役にたたない銃器では、宝の持ち腐れ、税金の無駄遣いである。

 警官が初歩的な銃器のトラブルを起こすと、なんだか異様に腹立たしくなってしまうぞ。



2004年10月24日(日) いよいよ冬かも

 昨日は地震のニュースで話題にのぼらなかったが、八甲田山や岩木山に初冠雪という事で、やはり東北北部は寒い日だったのである。

 盛岡でようやく入手した「カラシニコフ」を読んでいる。
 これは朝日新聞に連載されていた時は読んでいたのだが、どうも単行本化にあたり大幅に加筆訂正したらしい。というより構成を大幅に変えたといった方がいい。連載時とはかなり雰囲気が変わってしまっている。
 連載時は「カラシニコフがAK47を製作したのは何故か、今までの銃器とどう違うのか、それが何故これだけ国際社会に浸透して、特にゲリラやテロリストが多用するようになったのか」という流れだったのだが、単行本では「誰でも使えるカラシニコフという銃がいかに国際社会を蝕んでしまったか」という内容にシフトしている。ここまで趣旨を変えてしまっては、カラシニコフ本人に対するインタビューはちょっとフェアではない、と思ってしまう。
 それでも、日本人がカラシニコフ本人にインタビューしてまで纏めたという点については評価したい。趣旨はどうあれ、けっして悪い本ではない。むしろ初めて読む人には、AK47という銃がどれだけ国際社会を変えてしまったのかが容易に理解できるだろう。10才の子供でも容易に扱えてしまうほど優秀かつ恐ろしい銃器だったのである。
 ちなみに銃器に詳しくない人にはピンとこないかもしれないが、一般的な銃器は、手入れを入念に行わないとすぐに使えなくなってしまう。簡単に言えば、必要な時に撃てなくなるという事だ。AK47の凄さとは、メンテナンスが信じられないほど簡単で、それでもちゃんと動くという事なのだ。10才の子供でも使えるというのは、そういう意味なのである。

 今日は子どんぐりの中学校の文化祭である。
 午前中にちょっと覗いてきたのだが、中学の文化祭とはまあこんなものだろう。それでも教室内に巨大な船を作ったと言っていたが、本当にかなり大きな物を作っていたのには驚いた。作るのも大変だったろうが、終わってからバラすのも大変だろう(現に、帰宅したらあちこち切り傷を作っていた)。
 しかし展示物は基本的に全員の物が飾られているのだが、子どんぐりのレベルの低さはちょっと問題かもしれない。字が汚いという点はとりあえず置いておくとしても、内容の質の低さが問題である。一生懸命書いてはいるようなのだが、どうも途中で飽きているような感じがしてしまう。こうして他の子と比べると如実に判ってしまうから、なおさら恐ろしい。
 一人一鉢で育てた菊の花も、子どんぐりのだけが小さく、まだ咲いていないらしい。他の子のはみなそれなりに大きく育っているのだから、やはり子どんぐりの手入れが良くないかのように見えてしまい、なんだか恥ずかしい。
 もしかして文化祭とは、親に対する警告の意味もあるのか?

 午後は色々と雑用。
 その中で、昨年行われた「ESIFCON FINAL 19」のアフターレポートをどうするか検討する。いつも次の年のESIFCONで配るという事をしてきたので、今の時期に作っているのだ。
 だが今回、レポートにするにはネタが足りない。どう水増ししても3ページがいいところだ。例年ならメモが1ページと企画ひとつがあれば、10ページ程度にはまとめられたものなのだが、もう頭の方も限界なのかもしれない。仕方がないので、今回の20とカップリングで、2月発行というパターンにしてしまうか。

 探し物をしている時にふと、コナミの食玩にあったエリス中尉(再販時ヴァージョン)のスケールが気になってしまった。このシリーズは、とりあえず全種類のスケールが統一されている訳ではないので、スケールは表示されていない。何故気になったかというと、1/18のトヨタ2000GTオープンカー(つまり007ヴァージョン)と合わせられそうな気がしたからだ。
 さっそくネットでエリス中尉の身長を調べる。もちろんガブリエル・ドレイク(Gabrielle Drake)で調べるのが近道である。すると誕生日は1944年3月30日で、おおっ、今年還暦か。でも写真で見ると体型もスマートだし、若く見えるぞ。
 いや、それはともかくとして、5フィート&5と1/2インチとあり、わざわざ1.66メートルと書いてある。肝心のフィギュアは、ブーツのかかとを除くと92ミリである。まあ様々な誤差は無視すると、概略として1660/92=18.0となるので、1/18スケールと考えて良さそうだ。これを2000GTの隣に置くと、確かにちょうどいいように感じる。いやあ、ネットって、本当に便利なものだ。
 こうなってくると、ちゃんとしたケースに入れたくなるなぁ。



2004年10月23日(土) ようやく「水木しげる展」に行く

 もうすぐ終わる「大(Oh!)水木しげる展」を見に、盛岡まで行く。
 どの程度の展示か心配ではあったが、これがなかなか楽しめた。量的にはそれほど多いというものでもないが、やはり水木しげる博物館が存在しているので、見せるための材料もそこそこ揃っているし、なにより水木の絵は面白いのである。
 絵描きを目指していたという頃のデッサンや写生画を見ると、後年人気が出すぎて倒れるほど描いても絵自体が荒れなかったのは、そういう下地がちゃんとあったからだと納得できた。

 そんな中で、いろいろな物を実際に作って展示していたのには笑った。ゲゲゲハウスとかぬりかべのコテとか、実際に見ると笑ってしまう。
 中でも「人魂の天ぷら」は、意外とインパクトがあるのだが、私としては「ちょっと違う」と言わざるをえない造形だった。あのでろっとした部分は不要で固体として表現すべきだろう。少なくとも漫画で見ると結構おいしそうなのである(もっとも、私は「2001年宇宙の旅」での宇宙食がおいしそうだと思っている数少ない人間なので、一般的な評価ではないかもしれないが)。
 あと海獣の写真なんかも、フォトショップで作ろうと思えば作れるが、そういう物を大真面目に展示してあるのが楽しいではないか。
 いずれ入場料を払ってでも見る価値はあると断言できる。

 でも出る時に目録やその他の本を買ってしまい、かなりの出費である。どうしても買ってしまうよなぁ。そして買えなかったけれど、妖怪関係で欲しい物が沢山置いてあるというのも、また悔しいのであった。

 帰りはついでなのでカワトクに寄り、サンヨーから出た39,800円のトレンチコートをチェックする。
 去年まではバーバリーのトレンチコートを着ていたのだが、あちこち擦り切れてしまい、特に袖の部分はもう直しがきかないらしい。それで買い換えたいと思ったのだが、もう手の出る価格ではない(そもそも桁が違うのだ)。それでいろいろチェックしていたのだが、どうもトレンチコート自体が見当たらなかったのである。
 そもそも私は軍服としてのトレンチコートが好きなので、肩のベルトやリングがないのはトレンチコートと認めない。手榴弾を引っ掛けるためのリングなんて、実際には不要だが、私には必要かつ不可欠な物なのである。
 だがこのタイプは流行り廃りがあるらしく、特に田舎ではまったく見かけなくなってしまっていたのだが、それがどうも復活の兆しがあるという事で、この辺でも扱い始めたのだという。
 でもしょせんは39,800円、外見や材質としてはまあまあなのだが(色はちょっと、だけど)、細かい部分での使い勝手という点では、バーバリーと比べるとかなり劣る。これは妥協する部分なのかもしれないが、やはり元が軍服だという点を考えると違和感はある。ちなみにサイズは、上着を着た状態でもMで充分だった。
 さて、どうしたものだろう。東北では盛岡と仙台でしか扱っていないというから、ちょっと厄介だ。買うなら正月に帰省した時でもいいのかもしれない、と今回は諦めたのであった。

 帰宅後、今日のウルトラマンネクサスをビデオで見る。
 音楽はだんだんと川井節がみられるようになってきた。こうなるとサントラが出たら買う事になりそうだ。しかし川井節とはいえ、ちゃんとウルトラマンの世界に合うように作ってあるところは、さすがにプロである。
 そして映像面では、今回ついに「板野サーカス」が出た。飛翔するビースト相手にミサイルを撃ちまくるが、ことごとくよけられるというシーンだ。もちろんCGIによるミサイルだが、昔は実写の世界で板野サーカスが見られるようになるなど思ってもみなかったから、ちょっと感動してしまったではないか。
 もちろん現実のミサイルでああいう機動は物理的に不可能なのだが、日本のアニメ界が開発したものとしては、見栄えという点で最高峰に位置する描写といっていいだろう。

 終わってテレビをつけたら、新潟で震度6の地震というニュースである。
 台風が何度も通過し、地盤が弱っているであろうところに強い地震とは、かなりきつい。人によっては生きる意欲がなくなるかもしれない事態だ。こうなるとボランティア等の存在は大きいといえる。
 しかし、実は今の日本、ボランティア活動ができる人は恵まれていると言える。私の会社など、ボランティア活動したいと言ったら絶対呆れられるほど、会社に余力がないのだ。会社としては人が抜けるのは困るし、社員としては参加したいと思っても先立つものと給与の心配がある。大手と違って、そこまで会社は面倒を見てくれない。
 つまり災害時のボランティアとは、地方の弱小企業に勤める者にとって、事実上不可能だというのも現実なのである。いろんな意味で悲しいと思ってしまう…。



2004年10月22日(金) マジ?

 全然期待していない今度のゴジラ映画だが、音楽がキース・エマーソンってほんとなのか?
 音楽監督なのか、音楽だけなのか(ラストのテーマだけとかいうパターンだ)はまだ不明だし、そもそも東宝のオフィシャル・サイトにも載っていない。
 気になったので「Official Keith Emerson Website」を覗くが、やはりこの情報は載っていない(と思うが、英語が読める訳ではないので確信はない)。ちなみに11月から12月のThe Keith Emerson BandのTour Infofは載っていて、これは一度見たいものだと思ってしまう。

 それはともかく、ゴジラ映画にキース・エマーソンというのは考えた事もなかった。伊福部のテーマは使用しないのだろうか。まさか幻魔大戦の時のように、半々で使用する気なのだろうか。彼の音作りを考えると、まさか「インフェルノ」のようなものには出来ないだろうし、「ナイトホークス」の系列で行くしかないだろう。つまりアクション系だ。でも違和感があるなぁ。
 さらにタイトル・デザインはカイル・クーパーだというし、今この段階で世界を相手にするという姿勢をとるとは、一体東宝は何を考えているのだろう。15年遅いし、そもそもこんなストーリーで世界中でヒットするような作品になる訳がない。少なくとも私は見たいとは思っていないし、大概の怪獣ファンも同じようなものだろう。
 もっとも本当にキースがやるなら、彼のアルバムはナイス時代からソロまでほとんど持っている都合上、サントラは買わなければならなくなるから、困ったものだ。

 しかし、そもそも北村監督がはたして彼の音楽を使いこなせるのだろうか。作るのは一大怪獣プロレス映画である。こんな映画に彼の音楽をあわせるには、それなりに音楽の素養がなければ無理な気がするのだが…。いや、そもそも素養があっても難しいのではないだろうか。
 金があってキースに頼むのなら、特撮でもホラーでも構わないが、もっとまともな映画に使って欲しい。それが彼の一ファンとしての希望だ。
 というか、ガセネタであって欲しいなぁ…。

 ところで。
 来月発売予定の実写版サンダーバードDVDだが、豪華版である15,000円の方に付く新サンダーバード2号の写真がエキサイトに載っている。

 ↓いつ消えるか判らないが、とりあえずリンク。
http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20041021170505/Fuji_EN_320041021026.html

 しかし全長50センチというサイズはそんなに大きいと思えなかったのだが、こうして女性が持っている写真を見ると、実際はかなり大きいのだと判る。そしてこの中にDVDが1枚入る訳だが、つくづく日本の住宅事情を無視したオマケだと思う。
 でもここまで大きいと、年末発売予定の電動伸縮脚付き1/144スケール・サンダーバード2号(もちろんテレビ版)と並べてみたいものだ。こちらは53センチなのである。壮観ではあろう。


2004年10月21日(木) カメラの新製品ラッシュ

 結局、超大型の台風23号は、この辺では特に悪さもせずに去ってしまった。
 関東以南での被害はかなりのものだったようだが、短期間に何度も被害にあった人は本当にかわいそうだ。まさに泣きっ面に蜂である。こういうのに対しては税金の投入を許すのだが、役人とは普段から税金の無駄使いをしているから、非常時に使うという考え方ができていない。これはこちらの豪雪時も同じだ。自然現象を相手に毎年予算を使い切らないと、翌年は減らされるというのは、どう考えても不合理である。雪の量というのは毎年違うのだ。この辺が、役人というものの性格を如実に表わしている部分だ。

 しかし、まとりさんも日記で書いているしウチでも話題になるが、今回のような大型台風が来ている時に、なぜわざわざ死ぬような行動を取る人がいるのだろう。田んぼの様子を見に行って流されたとか、屋根を修理して落ちたとか、死んだ人には申し訳ないが、それは死んでも仕方がない行動だ(以前は釣りに出て流されたなんてのもあったが、それは問題外である)。
 そもそもあれだけ酷い状況になっている時に田んぼの様子を見に行って、異常があったらどうするというのだろう。個人でなんとかできる問題ではないだろう。屋根だって、強風下ではバランスを失って落ちるのは目に見えている。もう台風が来てしまったら、一人の人間にできる事など何もない。ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだ。
 なぜそれが判らないのだろう。不思議である。

 ところで昨夜は、なかなかしゃっくりが止まらなかった。
 良くある民間療法、例えば水を飲むとか息を止めるなんてのは、私の場合まったく役に立たない。人にうつして止まるものなら、うつしたいところだ。
 でもふと思いついて、スティック・アイスを二本一気に食べたら、これが止まったのである。要は横隔膜の痙攣を止めればいいのだから、冷たい物というのもいいのかもしれない。難点は、常にアイスがある訳ではないという事くらいか。
 でも私にとっては有効な手段らしい。

 さて、なかなかカメラを買えない。
 実はネットでEOS7sの価格を調べていたら、先々週あたりから値段が下がっているからだ。やはりEOS20Dが出たせいだろうか。EOS Kiss 7も安くなっているようだし、なかなか買うのも踏ん切りがつかない。
 そして、ニコンはF6というとんでもない物を出す。デジタル一眼でD70というヒット作を出したのに、まさか銀塩でフラッグ・シップF5の後継機を出すとは、やはりニコンも侮れない会社だ。ちなみに推定価格はボディだけで30万である。当然手は出ないが、こんな高級機に10万以下のレンズを使ってはまったく意味がないから、元々私などが持てるようなカメラではないのだ。

 そう言えばオリンパスは、デジタル一眼E-1の後継機であるE-300を出す。フォーサーズ規格で800万画素、ダスト・リダクションが付いて10万を切るらしい。
 ちなみにダスト・リダクションとは「SSWF(超音波防塵フィルター)がローパスフィルターとシャッターの間に設置され、35,000Hz以上で振動、フィルターに付着した埃を払い落とす」というシステムで、メーカーへのメンテナンスに時間がかかる田舎では、デジタル一眼の必需品だと私は考えている。今のところ、この機種にしか装備されていないのが非常に惜しまれるシステムだ。EOSに装備されたら迷わず買うのだが…。
 そしてE-300は、形も一眼としてはユニークであり(サイド・スゥイング・ミラーだからできた形だ)、この形だからこそ内蔵ストロボと外付けストロボを同時に使用できるというのは、なかなかいい。こういう二灯ストロボができる機能も欲しかったのである。
 やはりデジタルは待てば待つほどいいものが出るという時期であり、後に残る作品を作るための道具なのだからこそ、もう少し見守りたい。

 だがオリンパスは、デジタル一眼の開発にあたり、銀塩との関連性を断つ、と言っている。所詮別のシステムなのだからこの姿勢はむしろ正しいと言えるだろう。現状でも、一眼用レンズはその性質上、銀塩デジタルどちらにも問題なく使えるという物はあまりない。CCD(あるいはCMOS)とフィルでは、光の物理的捉え方にかなりの違いがあるためだ。
 こうしてみると、銀塩カメラの方は、最終的にニコンとキャノンの二社しか残らないのかもしれないなぁ。



2004年10月20日(水) 日本と同じサイズの台風

 超大型の台風23号が九州から関東へと直撃コースをたどるので、NHKは大騒ぎである。
 なにせ一日中台風のニュースばかり流しているのだ。いくら日本の中枢である関東直撃とは言え、扱いがオーヴァーではないか。これが例えば九州から日本海に抜け、今度は東北に上陸というコースだったら、どんなに被害が甚大でも、絶対こんなには騒がないはずだ。
 中央と地方の扱いの格差がここまで大きくなっているという事に、なんだかちょっと納得できないのであった。

 納得できないといえば、車を運転中の携帯電話の使用は罰金の対象になったのだが、ハンズフリーだと対象外なのだという。これはまったく理解できない。
 携帯電話をかけながら運転して、なにが危ないのかというと、片手で運転するからなどでは絶対にない。電話に夢中になって、脳が運転しているという認識ではなくなるのが怖いのだ。
 実際、私も青信号で横断歩道を渡っていた時、携帯で話をしながら運転しているバカに突っ込んでこられた事が二度ある。この時その相手の顔を見たのだが、目が完全に明後日の方へ向かっていて、本当にこちらの存在に気づいていないのである。いかにも楽しげにニコニコしながら人を殺すという訳だ。
 もう明らかに、片手で運転などという些細な事は関係ない。ハンズフリーだろうがなんだろうが携帯電話の使用は法律で厳禁すべき問題なのである。

 そして今の交通事故処理というのは、現場にいる人間だけで調書を作るから、病院に運ばれてしまうと、あとは加害者の言うとおりの調書しか作成されないのだ。死んでしまうと、被害者が悪いという事になりかねないのが現状である。
 まあ警察とは言っても所詮は公務員、酔払い運転に甘いし(本人達もやっているからだ)、加害者の人権しか考えないし(当然、本人達が簡単に加害者になるからだ)、交通取り締まりも金を稼ぎやすい事しかしていない。
 そもそもスピード違反よりも信号無視の方が点数は低いというのは、どうにも理解できない。後者の方が明らかに危険なのである。
 こうしてこれからも交通弱者は殺され続けるのだろう。

 ありとあらゆる分野で、弱者が暮らしにくいのが今の日本である。こんな世の中で、少子化に歯止めなどかかる訳がないではないか。



2004年10月19日(火) 実写版サンダーバード予約

 結局、実写版または2004年版サンダーバードを予約してしまった。
 もちろん通常版の安い方である。もう一つの新サンダーバード2号がDVDケースになっている方も面白そうではあったが、15,000円出してまで欲しいとは思わない。なぜならエア・インテークの位置が余りに不自然だからだ、ってそういう問題ではないのかもしれないが。
 ただ、この新2号は全長が50センチなのだという。つまり年末発売予定の1/144サンダーバード2号とほぼ同サイズなのである。ちょっと並べてみたい気はする。

 肝心の映画は、明らかにファミリー映画であるが、あのオープニング・タイトルは一見の価値がある。これの有無で、この映画の印象が大幅に変わる(と私は思うぞ)。これがあるからイギリス映画だと主張されているのである。もっとも中身はアメリカ市場を意識しすぎた内容だが。
 まあ過去の劇場版2本も、結局アメリカを意識しすぎて失敗しているのだから、2004年版がとりたてて失敗作だとは言えないだろう。皆あまり言わないが、テレビも映画も含めて脚本が素晴らしい話は、実はそんなに多くないのだ。ひたすら演出で持っているという話も多いのである。私はそれを理解した上で、肯定しているのである。
 最初の映画版にしても、見所はゼロエックス号の演出だけで、ラストの爆発シーンは007も真っ青な迫力ではあるが、全体に構成が良くない。映画としてはサンダーバード6号の方がまともである。

 ところでネット・オークションでは、「イノセンス」の人形BOXを買って、人形だけ売りに出したり、DVDだけ売りに出したりしている人が現れ始めた。気持ちは判らんでもないが、やはり何かおかしいと思ってしまう。
 でも1万くらいで買えるのなら、もう一体人形があってもいいかもしれない。なぜなら、実に「壊れやすい」からだ。掲示板でも壊れたという声がかなり上がってきているし、あと20年もすれば無傷の人形などほとんどなくなっているかもしれない。
 どんぐり2号のように、衣装を作ってみようかと思っている人には、この材質と重量はかなり危険である。予備が必要だという事が判ると思う。
 でもネットだと、価格がどんどん上がるんだよなぁ。私が欲しい物が適正価格で終了したのなんて、見た事がないぞ。



2004年10月18日(月) 浴玩サンダーバード4号

 最近、またまた日中間の政治的駆け引きが活性化してきた。
 やはり北朝鮮問題を抱えて、アメリカが大統領選挙でゴタゴタしているうちに、日本に対してできる限りの主導権を握っておきたいと言う事なのだろうか。
 王毅・新中国大使は、靖国問題に絡めて「中国の歴史図書のなかで、日本に関連するものは少なくないが、事実通り述べている。友好の歴史も、侵略の歴史も書いてある。中国には、愛国教育はあるが、反日教育はない。」と述べているが、江沢民の指導の下、反日教育が行われていたのは周知の事実であり、それを今さら否定されてもどうかと思う。
 ただ、江沢民の引退で反日教育の首謀者が表舞台から消えたため、現在は公式には反日教育はないという事になる。それにより、実質的には堂々と日本を非難できるようになった環境になったとも言える。これが意図的だとしたら、中国の政治家は侮れない。
 もちろん日中の問題は、どちらかが明らかに悪いという単純な図式ではないし、根が深い。だからこそ複雑な問題となっているのだが。

 話題はガラっと変わって。
 今日は風呂に入る子どんぐりに、水中モーター付きサンダーバード4号(通称、浴玩)を貸した。
 実は先日買った1/144のコンテナに付属していた4号が、夏に買った水中モーター付き4号と全く同じ物だと判明したので、惜しげもなく遊べるのである。つまり初出航である。
 この4号のサイズはたかだか7センチ、動力は「マイクロ水中モーター」と言われる6センチ程のもので、プロペラの直径に至っては1センチもない。さすがにこのサイズでは大きなパワーは期待出来ないが、それでも波を立てなければ、それなりに走るし、ラダーも稼動する。音も静かで振動しない精密さもある。サイズを考えると非常に良く出たおもちゃと言えるだろう。

 ちなみにこの「マイクロ水中モーター」は、タカラの食玩「世界の艦船」に使える。というか元々シークレット扱いだった物と同じだ。こうなると、以前あかいメガネさんに確保してもらった「707ジュニア」を、近いうちに走らせて見たいものである。さらに、入手できなかったが「サブマリン707」をこれで走らせたら、楽しいだろうなぁ。
 できれば広いお風呂で遊びたいが、電池もあっという間に消耗してしまうようなので、広ければ楽しく遊べるというものでもなさそうだ。もちろんこのサイズの電源では仕方がない。
 そして子どんぐりは、いつもより長く風呂に入っていたのであった。注意書きには、入浴剤の入った風呂では長時間遊ぶなと書いてあるのだが…。

 そして試しに私も風呂で走らせてみたが、尾翼の根元まで水没して、直径40センチの円を描いて走る姿はなかなかいい。
 さらに4号の形は元々造波抵抗が大きいが、特にこの位小さいと、風呂の壁面に近づいても自分の作る波で押し戻され、簡単にはぶつからない。意外と楽しめるおもちゃである。



2004年10月17日(日) 「ロマン・ポランスキーの吸血鬼」

 どんぐり2号が風邪らしい。徐々に寒くなっているので、早く直さないと長引きそうである。

 昨夜は「イノセンス」のメイキングのうち、サウンド篇を見たが、やはり押井監督は「音楽も映像の一部」と捉えているのがとても良く判る。映像に対する音楽のイメージを意識して作っているのだ。だからメインのテーマについては曲の段取りを最初に行い、出来た曲の編集はしない。頼んだイメージで出来た曲自体を大切にしたいと考えているからだ。つまり作曲家の川井氏を全面的に信頼しているのである。
 これは実に素晴らしいと思うが、それに答えている川井氏も凄い人である。なんだか感動してしまった。
 ただ、ナレーションがちょっとプロジェクトXしているので、これは興醒めである。

 今日も今日とて、先日買った「ロマン・ポランスキーの吸血鬼」を観た訳である。1967年の作品だが、これもLDにならず、ずっと待っていたのである。
 しかしこの映画に出ているシャロン・テートは、実に綺麗だ。この映画の2年後、あのチャールズ・マンソンに殺害されてしまったが、元々彼女が狙われていたのではないようで、いい迷惑以外の何物でもない。少なくとも1970年代までは、女優としてあの美貌だけでも勝負できたのではないだろうか。実にもったいない。

 それはともかくとして、この作品のオープニングの音楽がいい。映像自体がヨーロッパの冬の暗さを巧みに表わしているのだが、この音楽は暗さとユーモアを併せ持つ、非常に印象的なものである。
 内容は吸血鬼物のパロディではあるが、今の目で見ると、「ロッキー・ホラー・ショー」+「ヤング・フランケンシュタイン」という感じだろうか(もちろん歌は歌わないが)。こういうきわめて真面目なパロディというのは、どの辺から作られ始めたのか良く判らないが、この作品があったからこそ、「ヤング・フランケンシュタイン」(名作である)が作れたのではないだろうか。
 軽めだが、楽しめる映画だ。

 どうしようか迷っていた「サンダーバード2号のコンテナ」は、結局買ってしまった。トイザらス価格でさえ4,999円である。たかっ。
 これは1/144の統一スケールで、コンテナ内部が再現されていると言う非常に楽しいものなのだが、全長が20センチある。もちろんコンテナだけの話だ。20センチと言う言葉だけではそんなに大きく感じないが、実際手にとるとかなり大きい。
 そして年末には、このコンテナが収納できる1/144サンダーバード2号が出る予定だ。設定では全長250フィート(76.2メートル)なので、53センチになる訳である。これはトイとしては世界最大のサイズだろう(うちには全長1メートルほどの、2号のクッションはある)。しかも世界初の電動で伸縮する脚が装備されるのだから恐ろしい。
 やはり日本人をなめてはいけない。

 夜はいわさき氏より電話。
 ESIFCONの案内書が出来たとの連絡である。そろそろ私も本気で音楽クイズをまとめないといけない。
 ちなみにこの時、「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」(映画名は「リーグ・オブ・レジェンド」)の翻訳2巻目が出ると聞く。これは驚いた。1巻の終わりで「宇宙戦争」を示唆しているので、これはなんとしても翻訳本を出して欲しいと思っていたのだが、ようやく読める事になりそうだ。楽しみである。

 あとは矢野徹氏の死去に関して、DATECON会議室に書き込みが続いている。
 弔辞は、眉村卓、山田正紀、早川浩、浅倉久志、石川喬志、野田昌宏の各氏だったそうだ。しかし本当に天国SF作家クラブが出来そうな雰囲気になりつつあるなぁ…。野田大元帥は時々テレビに出ているが、あまり体調が良くないらしいし、このへんはちょっと心配である。
 ただ、私は矢野徹氏の死去について、残念だという感覚はない。多分第一期の日本SF作家クラブの人については、誰が亡くなっても同じ感覚だろうと思う。年齢を考えると「長い間おつかれさまでした」という気持ちの方が強いのだ。
 実際、矢野さんは初期の日本SF界を支えてきたという功績は動かしがたい事実だが、やはり現役バリバリという訳でもなくなっている以上、残念と言う感覚ではなくなっている。
 もちろん、私も若い頃は色々と学ばせてもらったと思っているので、尊敬の念は消えないが(この辺は誤解されると困るが)、とにかく「ごゆっくりお休みください」というのが私の手向けの言葉である。



2004年10月16日(土) でかくて重い「イノセンス」が届く

 ようやくアマゾンから「イノセンス」のDVDが届いた。
 これはDVDがメインの商品のはずだが、やはりネット上での噂は本当で、とにかく箱が「でかっ」。さらに出しても出しても箱がある、というほとんどマトリョーシカ状態である。
 箱を全部出して積み重ねるとゆうに1メートル、元々のDVD本体との比較で考えると、容積比はとんでもない事になってしまう。店で予約なんかしていたら、ちょっとお持ち帰りは大変である。なにせ本来はDVD商品なのだ。そう考えると、想像を絶するサイズと言えよう。

 内容だが、基本的に「人形の箱」と「DVD+書籍」の箱という二つで構成されており、人形の箱は人形自体の材質が脆いという事で外箱はいいが内箱はあっさりとした発泡スチロールである。これはまあ当然だ。
 肝心のDVD+書籍の方は、映画の冒頭に出てきた装甲車両の楯をイメージした箱に収められている。なかなかいいのだが、普段の置き場に困る。観たい時にすぐ出せるという箱ではないのである。私だったら、DVD4枚を収納できる折畳式の簡易ボックスを付けるところだ。普段はこれに入れてプレイヤーの近くに置いておけばいいのである。
 しかし本編はともかくとして、メイキング映像DVD3巻は、ジャケットが遊んでいて実にいい。ハダリ軍団に襲われるパトーには、笑ってしまったではないか。

 ちなみにアマゾンの箱を開けたら、しっかりオマケのDVDが付いていた。先着順という事だったので、付いてなくても仕方がないと思っていただけに、なおさらラッキーと感じるのである。中身としては目新しい物ではないが、プロモーション用としては編集が巧みで、一般向けという事を考えると非常にいいオマケだと思う。やはり鈴木プロデューサーがバックに付くと、かなりの金が使えるという証拠だ。
 ただし押井監督は金のかけ方を理解している人で、チャンスだからこそ金をかけた部分に音楽がある。特に今回のサントラCDは、今までの押井−川井コンビ作品のサントラと聞き比べると、段違いに音がいい。これはうちのような安いシステムでもはっきり判るほどなので、一度高級システムを使って聴いてみたいものだ。

 で、とりあえず本編の画質がどの程度なのかを確認するためにちょっと観るつもりが、最後まで観てしまった。
 肝心の画質は確かにきれいだし音も悪くはない。しかしDVDの特徴である黒の弱さは相変わらずだ。多分もっといい機械を使えば黒もそんなに潰れていないのだとは思うが、うちのはごく初期の機械なので、あまり黒はきれいではない。多分押井監督の事だから、そういう弱点を知っているだろうし(DVDは赤がにじむが、これも何かで発言していたな)、またそれを補う作り方をしているはずなので、本当はこれもいいシステムで観たいものである。
 私も最初期からDVDは見ており、色々とあった弱点も徐々に解決されてきたのを見てきた。それでも黒が潰れるのと赤がにじむのはまだ根本的には解決されていないようだ(黒がつぶれるという事は、未だに白にデータがないという事になるのか?)。
 だから押井監督は明確な意図がない限り赤は使いたくないと発言していた訳で、逆に言うとこの人が真っ赤を使ったら、それは何らかの意図があるという事に他ならない。

 なんて事を考えながら観ていたが、やはり川井氏の音楽は、相変わらず効果的だ。この二人が組むとかなりユニークな音楽構成になるが、戦闘シーンは「攻殻機動隊」以上に素晴らしい。メインテーマとも言える「傀儡謡」は厚みもあり、単独で聞いても感動的だが、映像と一緒になるとそれほど自己主張していないのに記憶に残ってしまう。
 前にも書いたが、この人の音楽があるからこそ押井作品の質はさらに上がるのである。

 ただ、やはりエンド・ロールの「Follow Me」は、演出としては失敗だと思う。
 少なくとも私はこれでヒート・ダウンしてしまい、感動が中断してしまうのだ。本当はメイン・テーマでもある「傀儡謡」を持ってきて欲しかったが、この曲は戦闘シーンで使用してこそ意味があるので、これをエンド・ロールに使うと印象が分散してしまう。いや分散すると言うより平準化してしまい、印象が散漫になってしまう恐れすらある。そのくらいインパクトのある曲なのである。
 したがって、本当ならばエンド・ロールに使うテーマをもう一つ作らないといけないのだが、さすがにそこまでやるのは難しい。一つの作品で3つも音楽テーマがある映画など、実際にはないはずだ。

 単純に言ってしまえば、今までの押井−川井作品というのは、ソナタ形式に似ている。これはサントラを聴くとはっきり判るが「提示−展開−再現」なのである。もちろん厳密なソナタ形式という意味ではなく、映画内での曲の使用がそうなっているのであり、これはサントラではもっと顕著だ。
 つまり「傀儡謡」が提示部と再現部で、「Follow Me」とその他の曲が展開部なのである。押井作品においてはエンドロールも再現部にあたるので、だから「Follow Me」は最後に使うべきではなかったと思うのである。
 まあソナタ形式には「呈示−展開−再現−終結」という考えもあるから、「イノセンス」はやはりソナタ形式だったと言えるのかもしれないが。

 ただし失敗だとは言っても、色々な兼ね合いから、こうするしかなかったのだろうし、実際このエンド・ロールで感動したと言う人も多いので、単純に失敗だとは言えないのは判っている。判っているが、私は納得できないのである。

 と、勢いで書いてみたりする。



2004年10月15日(金) やっとウルトラQDFも終わった

 岩手県立美術館で「水木しげる展」をやっている。
 今月いっぱいなので、そろそろ行こうと考えているのだが、子どんぐりが行きたがらない。こいつだけを残しておく訳にもいかないので(何をやらかすか判らん)、困ってしまう。

 いよいよ「ウルトラQ DARK FANTASY」も最終回である。
 という訳で「虚無の扉」である。まあ最後くらいは、という感じで見たのだが、旧ウルトラQの「2020年の挑戦」(ケムール人が出てくる話だ)に対するリスペクトか、と一瞬期待したのに、なんだかつまらない。このつまらなさは一体なんだと言うのだろう。過去の名作に対して自分なりの新解釈があれば、もっと面白い作品になるはずだ(「プルートウ」を見よ!)。
 画面の演出、というより雰囲気作りには凝っているが、表面だけ繕っていてるように見える。つまり作品としてのセンスが完璧に欠落しているのだ。

 SFというのは人をいかに楽しくだませるか、という部分がある。そのためには上手にウソを構築するだけの知識とセンスが必要なのに、それがまったく感じられない。表面だけをなぞっている所を見ると、スタッフは基本的に何も理解していないようなのだ。したがって科学的には思わず「それはないだろう」というレベルであり、もはや「トンデモ」以下と言ってもいい。
 日本の映画界は、「女優霊」以降、訳の判らない怖さの演出に走るあまり、科学的な思考を捨て去ってしまったのではないだろうか(おおっ、新説か?)。

 それに比べれば(と比べる事自体、失礼かもしれないが)、先日見た「スチール」という映画は小粒ながらうまく構成された映画と言える。
 単純に言えば「スティング」のアクション版であるが、さすがはヨーロッパ映画、底抜けな明るさの映画ではない。もちろん今時の映画なので、唐突な部分もあるにはあるが、ストーリーが練られていて、二転三転するという感じで面白い。
 ただし私の場合、早い段階で大体のネタが割れたのでストーリー展開が読めてしまい、そうなると画面上の様々な伏線が見えてしまった。したがってこの映画を観る時は、あまり細かく考えずに流れに沿う方が、監督たちの狙いにはまって楽しめるだろう。
 さらに意外と各キャラクターが個性的であり、誰が生き残るのかという見地からは、ちょっと予想が外れたりもした。
 結局、B級映画としては合格であろう。こじんまりと楽しめる映画だ。


 昨日、ちょっとグチを書いたら、今日はものすごい数のネタが発生してしまった。ちょっとその一部の概略だけ。

 現在の課長クラスは、本当に仕事をちゃんとしているのだろうか。
 一部は上の方からお叱りのクレームが行ったりする事態もあったようだが、どうせそのクレームに「だけ」しか対応しないのだ。多分それだから下のほうに当り散らしいてるのだろう。
 そして別の課長だが、はっきり言って「こいつ、バカじゃないのか」という電話をかけてきた。まず口調がヤクザであるし、内容的にも、まるでガキである。完全に自分は神様のつもりなのだろう。そのくせ監査が怖いので、なんでもかんでも「誰それがこう言った」という防御策をとっているのが見え見えの会話をする。
 だが、そういう人間だけが目立つ事により上に行く訳で、それで最終的に困るのは、会社自体なのだが…。要は、人事システムがマトモに働いていないという事だ。

 それから小耳にはさんだ話だが、不採算の子会社を整理するという事について、その詳細が伝わってきた。解散自体はしばらく前から噂に上がっていたので驚かないが、問題はその方法である。
 解散して業務は一部の支店と本店が受け持つのだと言う。じゃあまた泥縄好きの会社だから「半年後か? 大変だなぁ」と思っていたら11月に解散すると言う。来年ではなく、今年の、である。あと二週間しかない。
 しかもそれに関して、実はまだ正式な発表はまだない。今回もたまたま小耳にはさんだだけである。実務を行う人間に何の連絡もないのである。
 人事と解散手続きは進んでいるようだが、仕事はそのまま移行するのである。組織変更しても現在のメンバーが仕事を続けるのだろうが、じゃあシステム修正やマスターの管理、資産の移動、その他の大量にある細かい仕事は誰が行うのだろう。私は、この会社の管理能力からして、11月というのは無理だと思うのだが…。もしかしたら土壇場で延期という事になるかもしれない。というか、常識から考えたらそれが当たり前だ。
 とにかく今の時点で何の発表もないというのは、どういうつもりなのだろう。まさか噂話で伝わればいいと考えているのだろうか。そう言えば過去の様々な問題も、正式発表は全てが終わってからだった。どういう会社なんだか…。

 今日はもっと数々のネタがあったが、書くのがあほらしいし具体的には書けないから、これ以上はパス。



2004年10月14日(木) 雪の降る日も近いか

 先日アマゾンに新設されたばかりの「おもちゃ&ホビー」コーナーだが、どうも現在は子供向けらしい。
 確かに内容を調べると、明らかに「子供向けのオモチャを作っているメーカーの物」ばかりである。まあ別にそれはそれで構わない。サンダーバード系の物も、価格に関係なく揃っているから、安く買えるのならそれでいい。
 しかしオープンにともなう有名人のインタビューに、押井監督も入っていたが…。この人の欲しがるような物はまだ売ってないよなぁ。当分無理だろうけど。

 ところで、先日やった「ブラック・ジャック」を見たのだが、なんだか先行き不安である。
 別に出崎版のような絵にする必要はないが、あまり金がかかっていないのが露骨に判ってしまう。脚本は元の漫画からそう離れていないが、あまりうまくないし、なにより演出が良くない。余計なシーンやいかにも説明的というセリフが多すぎる。今時あんなスタイルで見せられては、そっぽを向かれるのは時間の問題であろう。
 少なくとも、「ブラック・ジャック」を初めから低年齢向けに作るのは、明らかな失敗である。多分NHKの「火の鳥」が視聴率を稼げなかった事からの反省なのだろうが、「火の鳥」は久々に良く出来たアニメだと思う。その証拠に子どんぐりは、「少し難しい」と言いつつ毎週楽しみにしていたのである。
 多分手塚治虫が亡くなってからの手塚プロには、子供相手に真剣に漫画を作る事がどれだけ大変か、理解している人はいないのだろう。いかな手塚真でも、子供相手に作品を作る能力はない。
 昔、数話で打ち切りになった「ドン・ドラキュラ」があったが、二の舞にならなければいいのだが。

 ところでところで。
 キング・クリムゾン関係がなんだか恐ろしい。
 CD「ザ・コレクターズ・キング・クリムゾン Vol.8」\7,665
 CD「真・紅伝説〜21世紀のキング・クリムゾン・ガイド Vol.1 1969〜1974」\8,900
 DVD「ニール・アンド・ジャック・アンド・ミー」\4,410
 11月だけで、これだけ出るのである。しかも私は持っているが再発物も同時に出るようだ。どうせ買うんだけど、一度に出すのはやめて欲しいなぁ。きりがないほど音源はあるんだからさ。
 しかし「真・紅伝説」に入っている「クリムゾン・キングの宮殿」は、最近発見されたニュー・マスター・テープが使用されるって、本当なんだろうか。一体何が違うんだろうか。そしてうちには「クリムゾン・キングの宮殿」が何枚あるのやら。そろそろ二桁?


 さて、ちょっとグチ。具体的に描くとあまりにバカ丸出しなので概略のみ。
 会社で、どうも課長クラスより上の連中の挙動が変だ。ひたすら下の連中に当たりまくり、自分の権威を印象付けようとしたり、訳が判らん論理で攻撃してきたりする。赤字の会社でそんな足の引っ張り合いをしている余裕があるのかい。
 もちろん何故なのかは判っている。保身のためだ。だから上のいう事には、絶対に逆らわずに、無理難題を下にそのままスルーしている。
 そして少し偉くなると、バカに拍車がかかるようで、それがこの会社の社風だからどうしようもない。今までまともだった人が転勤で変な所に行くと、短期間で見事に悪い方に染まってしまう(こればかりは不思議である)。
 以前、国税の検査員に向かって「これに税金がかかるなど、私は認められない」と言い切る人間がいたが、こういうのは100%バカではあるが、ある意味最強だ。ただし自分の感覚が法律よりも正しいと言い張るのはいいが、その主張が傍から聞いても明白な間違いなのが困りものだ。
 もちろん追加徴税と言うしっぺ返しが来るのは言うまでもない。そしてこれまた皆で真似するようになる。学習しない連中だ。
本当に大丈夫なのかね、この会社は。



2004年10月13日(水) ビートルズと矢野徹と…

 ビートルズの初期アメリカ盤4枚がCD化されるらしい。
 私は基本的に、ビートルズの編集盤がアルバムとしていい出来だったのは「オールディーズ」だけだと思っているので、買うかと言われれば…、やっぱり悩むところか。積極的に欲しいかと言われれば、それほどでもない。まあ余裕があれば欲しいかな、という感じではある。

 「ヘイ・ジュード」も編集盤だが、これはシングルを集めたと言う性格があるため、アルバムに入っていない曲が多い。したがって存在自体は認めざるをえないが、アルバムとして聴くとあまりに編集が雑である。もっともそれほどこの時期のビートルズは多種多様な曲作りをしていたと言う証拠でもあるが、実はこういうアルバムはあまり好きではない。私がビートルズのベストは「アビィ・ロード」だと中学の時から一貫して主張しているのも、曲の出来がいい上に、アルバムとしての出来が信じられないほど素晴らしいからに他ならない。
 という事で、「じゃあ冒頭の4枚組は買わないんだな」と言われれば、やっぱり大いに悩むのであった。
 もっとも東芝EMIなので、CCCDである可能性が非常に高い。もしそうだったら、最初から絶対買わないと諦められる。ビートルズをCCCDで出すなど、犯罪に等しい行為である。

 映画関係のニュースを見ていたら、「ミニミニ大作戦」の続編が作られそうだと言うのがあった。もちろんリメイクの方の続編である。
 ちなみに前回はイタリアが舞台だったが、だから原題が「Italian Job」だったのに、今度はフランスが舞台になるのだという。では原題が「Franch Job」にでもなるというのだろうか。はて、さて。

 それと「トルク(TORQUE)」という映画が公開される。元々2003年のアメリカ映画のようだが、ほとんど単館扱いに近く、東北での公開は仙台だけらしい。
 しかしバイク・アクションが、いかにも特殊効果使いまくりではあるが、道路の疾走シーンや列車の上に下りたりするシーン等、これなら「ワイルド7」の実写版が違和感なく作れる、というレベルであった。ちょっとこれは見てみたい。
 ただしネットで調べたら、北米版DVDを見た人のコメントが「ストーリーは無視してアクション・シーンだけを堪能する映画である」であった。
 まあバイク・シーンが凄ければ、すべて許せるような予感はする。

 こんなのを読んでいたら、矢野徹氏が大腸ガンで亡くなったというニュースが載っていた。享年81。
 私が実際に会った事のある第一期SF作家(彼の場合は翻訳家だが)は、DATECONで会った彼一人である。小説家としてはあまり大きな仕事はしていないが、小松左京や星新一らと共に初期のSF界の発展に貢献した一人として、重要な人物であったのは間違いない。
 コンベンション等では、女性と見れば抱きついていたというのも有名な話だったが、本当にそうだとは、この目で見るまで信じられなかったものである。
 色々な意味で、非常に思い出深い人だったなぁ…。



2004年10月12日(火) 最後のESIFCON始動

 今日は暖かい。もちろん屋外が、である。
 社内はもう、具合が悪くなるほど暑い。ほとんどの人が言っていたので間違いではない。これは仕事をするなと言っているようなものだ。なんとかしてくれ〜。

 昨夜はいわさき氏とESIFCONについて電話。
 結局、11/27〜28のスケジュールに決定する。これで車のタイヤは確実に交換してから行かなければならないと割り切れるから、いいか。
 そしていよいよ今回が20周年だが、一区切りというか、今回をもってESIFCONはその定期開催をやめる予定である。ある程度の人には事前に言っておいた方が良さそうだが、少なくとも私といわさき氏の意見は一致している。
 やめる理由は前にも書いた通り、高齢化と参加者のエリアが広すぎる事により(北海道から東京である)、実質動ける人間がほとんどいないためである。予定を立てても、急な仕事などは避けようがないし、少人数では一人抜けてもきついのである。
 まあこういう集まりがなくなってしまうというのは、非常に残念ではあるが、集団としてまとめられる人間がいないのでは仕方がない。でもこれからは「チャウコン」として、ごくごく少人数で集まる宴会コンを始めようと思ってはいる。

 しかし20年かぁ。私はそれほど役に立ったとは思っていないが、やはりそれなりに感慨深いものがある。やめてしまったら、色々と失う物も多いのだろうなぁ。
 ところで、公式には一回目からずっと「ESIFCON FINAL」という名称だったのだが、今回は本当にFINALである。どういう表記にしたら皆信じてくれるだろうか。

 今日の郵便物に「Photoshop elements」が3.0にヴァージョン・アップするという案内があった。
 説明書を読むと、今回はかなりデジタル・カメラ寄りの改定だと感じる。特に、写真の検索や表示がデジタル・カメラで撮った写真用になっているのだ。説明書もかなり初心者を意識した作りになっている。
 しかしRAWファイルの読み込みが可能になったり、ヒストグラムがカラーになったり、はては「レンズフィルタ」で色補正や色変換用フィルターの効果をシミュレートできるようになったりと、写真加工に関する事は要所要所をきちんと押さえているのはさすがである。
 ちなみにヴァージョン・アップですらほぼ10,000円である。それほど安い買い物ではないが、写真を趣味としている人にとっては損のない価格と言えるだろう。
 さらに50,000円ちょっとでCSにアップ・グレード出来るというのが、なかなか悩ましいところではある。

 さっき気がついたら、アマゾンに「おもちゃ&ホビー」というコーナーが新設されている。これはちょっと大変かも…。
 おおっ、1/144サンダーバード2号が安い…。コンテナも今なら安く買える…。



2004年10月11日(月) 今度はクリストファー・リーヴ

 ネット上のニュースで、クリストファー・リーヴ(Christopher Reeve)氏の死去を知る。
 もちろん1978年の「スーパーマン」でスターになった、あの人である。1995年の落馬事故で首から下が完全に麻痺したが、様々なリハビリにより(ほとんど奇跡と言ってもいいが)手足の先が少し動くようになり、同じ障害を持つ人の希望でもあったのだから惜しまれる。以前、彼のリハビリのドキュメンタリーを見たが、純粋に感動してしまったものだ。
 もちろん多額の費用がかかる医療を試験的に行えたと言う幸運もあるが、そもそも本人の努力がないと何も改善はされない。その努力で脊髄損傷しても回復の可能性がある事を実証した意義は大きい。医学の進歩により誰もがその恩恵に預かれる日が来るかもしれないのである。
 つまり彼は、障害を負った事で世界に貢献したと言えるのである。

 いきなりスケールはダウンするが、テレビのニュースで、スーパードライヴ・コンテストというものの模様を伝えていた。
 要はエコ・ランである。都内を自動車で走行し燃費の良さを競うものである。今回の優勝はリッターあたり11.5キロだったそうで、普通に走った場合の倍近いのだそうだ。本当だとすると、都内を走るのはそんなにガソリンを無駄使いするものなのかと、呆れてしまう。この辺の真冬でさえ7キロ位は走るぞ。
 そう言えば昔、私が大学の頃もエコ・ランと言うのがあった。これは確か300キロ位の長距離で燃費を競うもので、当然単純に比較は出来ないとは思うが、優勝者は当時の1,000ccのシャレードでリッターあたり70キロであった。単純に言えば青森〜仙台を往復するのにガソリンを10リッターしか使わないのである。もちろん普通に走っていてはどうやっても絶対に不可能である。キャブレターなんかは勾配などにあわせて調整をしまくるし、通常やってはいけない様々な裏技も駆使するのである。
 つまり知識と忍耐力(と度胸)の勝負と言えるだろう。そんな事を思い出してしまったではないか。

 そろそろESIFCON用のイントロ・クイズ用の曲集めを始める。
 いずれある程度はマニアックに走ってもいいので、気分的には楽である。しかし目当てのCDがなかなか探せずまいってしまうが、逆にこんなのもあったのかと感心するのも出てきたりする。
 さっきも「戦え!!イクサー1」が出てきて、あまりの懐かしさについ全部聴いてしまった。もっともこの作品は全LPを持っていて、CDはその一部しか入っていないのではあるが、まあクイズ用だから充分であろう。

 これは元々OVAで、今見ると恥ずかしい内容ではあるが、一応シリアスなSFであり、当時、特撮では怪獣がビルを壊してくれないと言うスタッフが、代わりにアニメでやってしまったというだけあって、絵のクオリティは高い。また毎回破壊される富士一號から三號の件は、毎回どう破壊されるのかが楽しみだったものだ。
 ちなみに音楽は渡辺宙明なので、ひたすら燃えるのであった。
 でも、原作は阿乱霊/平野俊弘コンビであり、当然美少女ネタは強く前面に出ているので、いきなり見ると受け付けない人も多いだろうなぁ…。
 と、知らない人には全然判らない話だったりする。



2004年10月10日(日) 「EOS Kiss 7」で妥協するかな…

 台風の影響は特にないようだが、風少々と雨少々で、歩くとかなり濡れてしまう。非常に嫌な天気である。

 そんな中、カメラ屋にEOS Kiss 7を見に行った。
 実際に触ると、小さくて軽いのに驚いてしまう。全体に少し華奢な感じはするが、こんなものだろう。現在持っている28-300のレンズを付けてみても、意外と違和感はない。AFスピードはEOS55と変わらないようだし、これで妥協しておいてもいいかもしれない。ただし価格が44,000円と、ネット上より9,000円も高いのが問題ではある。
 ちなみに中古コーナーにはEOS5が2台あり、どちらも30,000円を切っていたし、一台にはパワーグリップまで付いていたのだが、話を聞くとメインスイッチが固くなっているという。
 これ、実はEOS5の有名な欠陥で、動きが固くなるとしばらくしてスイッチが働かなくなるのだ。中古でそれはいくらなんでもまずい。もうEOS7sは諦めて、Kiss 7で妥協しよう。

 ところでカメラの情報を調べるのに、過去のカメラ雑誌をめくっていたのだが、最近はデジタル・オンリーでフィルムカメラの情報は少ない。
 実際問題として、フィルムカメラ本体の性能は、あまり描写とは関係がないので、本にはそんなに載せる内容がないからだ。写真の写り自体は、フィルムの性能とレンズの性能によって左右されるのであって、あとは本体の堅牢性や使い勝手、AFスピードやシャッタースピードなど電子部分による性能が違ってくるだけなのである(もっとも、趣味の場合その部分こそが重要ではある)。

 ところがデジタルカメラは過渡期にある製品なので、レンズの性能以前にカメラ本体の性能で画質が左右されてしまう。画素数だけの問題なら話は簡単だが、メーカーにより「写真」に対する考え方が違うため、処理する考え方から出来上がりの描写まで、千差万別なのが現状である。
 だから写真を撮るという事を趣味にしている人には、性能の情報はいくらあっても足りないくらいなのである。

 という訳で、例えば学研からは「CAPA」と「デジタルCAPA」という2誌が出ているが、古い「デジタルCAPA」は何の役にも立たない。これは例えば古いパソコン雑誌を見ているのと同じである。しかし「CAPA」は写真のテクニックについての記事がメインなので、古くてもそれなりに役に立つ。
 だから過去の「デジタルCAPA」は、惜しげもなく捨てられると言う事になってしまう。そんなに数はないが…。

 夕方になってもまだ雨はやまない。
 そんな中で、パソコンのレンズクリーナーを買いに行く。しばらく前からCDの読み込みがおかしくなっていたので、試しに使ってみようと思ったからだ。
 いくつか種類があったが、1,000円ちょっとのCD-R/RW用という物を買い、試してみたところ、先日読めなかったCDをあっさりと読み込んでくれた。まずは一安心である。
 そう言えばPCを買ってからもうそろそろ5年になるが、レンズを清掃した事はなかったなぁ。



2004年10月09日(土) まだ台風は来ない

 大型台風が本州を通過中である。とりあえず知り合いに被害がなければ良いのだがと、自己中心的心配をしてしまうのであった。その台風もこれからこちらに来るのだから、自分の心配もしなければならないのではあるが。

 そしてテレビのニュースでは、ほとんど台風のニュースばかりである。
 確かに大型ではあるが、これだけニュースで取り上げるのは首都圏直撃だからに他ならない。ここ2〜3年はそうでもなくなったが、以前は首都圏が無事なら、東北あたりがどんなに被害が大きくてもあまりニュースでは取り上げられなかった。だから台風に対する地域による温度差は、かなり大きなものがあったのだ。
 マスコミと言うのも、所詮は自分の本局がある地域でしか物を見られない、というか田舎の事は全然問題にしていないのが露骨に判る。いずれマスコミも所詮は経済原理で動いている「株式会社」でしかないのだから、それも当然と言えば当然か。

 テレビのニュースと言えば、テニス界で話題のシャラポワ選手の試合を流していたが、打つ時の声が、なんだかマイケル・ジャクソンのようでおかしかった。試合に勝ったらそのままスリラーとかビリー・ジーンとかやりそうな気がしたのは、私だけだろうか(そうですか、私だけですか)。

 さて、金がない状態で来週「イノセンス」のDVDが来る。一番高い奴だ。「ロマンポランスキーの吸血鬼」もそろそろだったなぁ。おかげで「サブウェイ・パニック」を買えないでいる。
 そう言えばキング・クリムゾンの「ザ・コレクターズ・キング・クリムゾン Vol.8 」がついに11月中頃の発売で決定したようだ。価格も10,000円を切るらしく、まずはめでたい、と言っておこう。

 しかし金欠状態なので、まだカメラも買えないでいる。もうここまで金がないと、一時しのぎとしてEOS Kiss 7で我慢するという手もある。これだとボディだけでいいから、新品でもEOS 7sの半額なのだ。
 実はEOS Kiss 7の基本性能はかなりのもので、ほとんどEOS 7sの弟分と言ってもいい。もちろんいくつか不満点はあるが、EOS Kissシリーズの欠点はだいぶ改善されているし、4万以下でこの性能なら我慢はできる。
 シャッタースピードの問題は、フィルターでカバーすればなんとかなるだろうし、耐久性の問題も5年間ノー・トラブルなら充分である。あとはカメラ屋で実際に触って、AFスピードの感覚を納得できれば、それでいいだろう。
 いずれは私もデジタル一眼に移行する予定だが、当面はフィルムカメラを使用するしかないし、またデジタル一眼の不満点がもう少し解決してくれないと、やはり高い買い物としては不満感が強いのだ。

 夜になって、録画していた「ウルトラマンネクサス」を見た。
 しかし、どうにもTLTメンバーのキャラクター設定は馴染めない。人格的に問題のあるキャラクターばかりを全面に出されると、子供としては判りやすくていいのかも知れないが、社会でああいう人間を実際に見ている身としては、バカバカしくなってしまう。
 いずれ世界的組織とか言いながら、組織の巨大さが感じられないし、ステレオタイプのキャラクター配置といい、所詮は子供向けと割り切ってしまっているのかもしれない。だがそれではあまりに中途半端だが。
 メカもバンダイとの提携上仕方がないのだろうが、もう少し飛びそうなデザインにしてもらえなかったのだろうか。こういうシリーズでは、メカデザインも重要な要素なのだが。
 また映像的にも何だかどこかで見たようなシーンが多いのも気になる。多分ユニークな存在であるはずの、作戦指令を出している少年(青年?)なんかは、どう見ても「ブラックアウト」の小林少年とダブってしまう。結局映像的にはオリジナリティがあまり感じられないのである。

 肝心の川井氏の音楽も、同じ曲を多用しているように感じられるのだが、もしかして発注した曲数自体が少なかったのだろうか。それとも現在のテレビとはそういうものなのだろうか。もちろん映画のように金をかけられないのは判るし、押井監督のように音楽の重要性を理解している監督やプロデューサーが少ないと言う事情はあるだろうが、やはり残念である。
 とりあえず、もう少し付き合ってはみるつもりだが。



2004年10月08日(金) ESIFCONも本当に最後かもしれない

 会社内があまりに暑いので、窓を全開にしていたのだが、やはり夕方までは暑かった。
 で、あまりに暑かったので、床屋に行って髪を短くしてしまったのである。日曜には台風が来るらしいが、まあしかたがない。

 昨日「キング・ロボ」を買った訳だが、これに関係してまっちゃんが掲示板に情報を書き込んでくれた。なんと10月下旬に桑田次郎の「ゴッド・アーム」が出るのだという。これはびっくり、驚いた。でも全3冊で約6,000円かぁ…。きっと買うんだろうな。でも1/144のサンダーバード2号や1/18のアストンマーチンDB5や1/144サンダーバード4号&コンテナ・セットなんかはどうするんだ。あ、エアウルフも出るんだった…。

 さて、ESIFCONは11月下旬の線が濃厚になってきた。やはりちょっと準備期間が足りないのである。さすがに12月は難しいので、そのあたりが限界だろう。いずれ参加人数がどれだけになるのか、それだけが心配である。
 そして夜、いわさき氏と電話で「今回でESIFCONは20回目なので、発展的解消という事を提案してもいいのかもしれない」という話をする。やはり人数的に限界であろうし、中心で動ける人がいないというのも大きい。実は以前からいわさき氏と、なんとか20回まではがんばって開催しようという了解はあったので、目的は果たしたと言えるのだ。
 いずれ平均年齢がここまで高いと、定期的にイヴェントを維持するのも限界がある。潮時なのだろう。第1回目から「最後のESIFCON」というふざけた名前で開催して、最近は「ESIFCON FINAL 19」などと言っていたが、今度は本当に最後になりそうである。
  
 ただ、そういうイベントがまったくないのも寂しいので、今後は大沢温泉のようなところで「チャウコン」を開き、自由な集まりとして継続してもいいのではないかとも考えている。

 昨日のヤフー見本札騒ぎだが、けさのテレビで出品者と出品現物が報道されていたが、まさか本当に存在するとは思わなかったので、驚いてしまったのであった。本物ならやはりどこから流出したのかが問題で、最近とみにモラルの低下が叫ばれている公務員系のまたもや失点となる訳だ。
 まあネット・オークションと言うものは、普及しすぎて私の欲しいものはまず落札できないので、はなから諦めている。とにかく転売がメインのサイトに成り下がっていると思うので、ある特定の物以外は全然見ていない。
例えばLDプレイヤーのLD-S9は、安ければ本当に欲しいのだが、皆考える事は同じらしい。あと2年位で入手できなかったら、いい状態での入手は無理だろうと思っている。

 しかし、何故私の欲しい物はみんな高くなってしまうのだろう。不思議だ。



2004年10月07日(木) 「キング・ロボ」復刻

 久々の快晴。
 という訳で、会社の中は真夏のごとく暑い。だから暖房に切り替えるのは早いと言ってるのに。
 暖房を切っていたところで、窓が広いから太陽の熱で気温がどんどん上がっていく。夏の車内を連想してもらえばどういう状況か判るだろう。朝から暑かったが、午後になると全然仕事がはかどらなかった。

 あまりに暑いので、昼休みは外に涼みに出る。
 久々に立ち寄った雑貨屋兼本屋で、「キング・ロボ」の復刻版(上下巻)を見つける。もちろん桑田次郎作品である。あまりの懐かしさに即購入(各々3冊づつあったが、プルートウも普及版が3冊だけだった。まあそういう本屋だ)。
 そして帰宅後に良く見たら、表紙の作者名も「桑田次郎」になっている。現在は「桑田二郎」に改名しているが、やはり当時のマンガを復刻するなら、当時の名前で出すべきだと私は思っているので、これは非常に嬉しい。
 名前の事は、作者紹介にちゃんと説明されているから、これでいいのである。
 例えば「石ノ森章太郎のサイボーグ009」なんて、語感がおかしいと思うし、そもそも石ノ森名義の009などないのである(末期にあったかも知れないが)。これは「石森章太郎のサイボーグ009」でなければならないのだ。やはり作者の名前と言うのも、作品の構成要素のひとつなのである。
 それはともかく「キング・ロボ」は、雰囲気としては「エイトマン」と「エリート」と「超犬リープ」を足して3で割り、それを子供向けに砕いた、という感じだろうか。初めて読む人には勧められないが、当時読んでいた人には嬉しいと思う。もしかして私だけかも知れないが。
 これで残るは「ゴッド・アーム」だけかな。

 ところで、「新千円札の見本がヤフーのオークションで競売にかかった」というニュースは、NHK夜の「7時のニュース」ですら放送されたが、これは元々フェイクなのではないだろうか。
 99億を越えたというのが事実なら、まず間違いないと思う。以前「先行者」や「ザク」「タイムマシン」等で同様の遊びがあったではないか。特に「先行者」や「ザク」の時は面白かった。みんな色々な質問を出し、その解答でまた笑うという、出品者も落札者も楽しんでいるのが判る非常に和気藹々としたものだったのである。
 まあ貨幣が絡んでは、国としても目をつぶる訳にはいかなかったのだろうが、もう少し冷静に考えても良かったのではないだろうか。もしかしたら、楽天やライブドアに話題が集中しているのに焦ったヤフーのスタッフのいたずら、なんて可能性だってゼロではないのだから。
 結局これは、犯罪ではなくただのいたずらだったと思うのだが、実際どうなのかは、国が動いた以上、何らかの結果報告はある訳だ。さて。

 Jemさんから、セブン・イレブンのキャンディーズ・フィギュアが届いた。多謝。
 これで、「1.あなたに夢中」「3.年下の男の子」「5.ハートのエースが出てこない」「7.やさしい悪魔」「9.アン・ドゥ・トロワ」となり、意外と壮観である。まあ機会があればまたどこかで見つかるだろう。
 しかしこうしていると、キャンディーズの、特にミキの写真を集めたくなるなぁ。古本屋にもあまりないが、意識していればいずれ見つかるものだ。
 本気で金をかけられる訳でもないから、まあ娯楽という事で…。



2004年10月06日(水) 寒い?暑い?

 めっきり涼しくなってきた。
 しかし日中はまだ寒くないし建物の中は暑いというのに、会社はもう暖房に切り替えるのだという。それで毎年10月は暑くて仕事にならないという状況をどう考えているのだろう、本当に毎年なのである。
 そして朝礼でも冬物の上着を着ろという。これもかなり暑い。そもそも社長が着ていないというのになぁ。
 結局、「10月は衣替え」という固定概念があり、何でも暦でばかり動こうとするからで、考えるという事を放棄している。臨機応変と言う言葉からは一番遠いし実情に合わせるという事も知らないのは、やはり規則が一番だと考えているからに他ならない。
 中学校並みの規則がある会社というのも、珍しいのではないだろうか。細かいと言う意味もあるが、それ以上に「無意味」なのである。昔からそうだったけどな。

 そんな会社で私より少し若い人に、年末に出る「電動脚装備のサンダーバード2号」を教えたら、妙に欲しがり始めた。普段こういう物にはあまり興味を示さないのだが、さすがにこのレベルになると琴線をくすぐるのだろう。ネットで盛んに調べているようだ。
 さて、私はどうしようかまだ悩んでいる。そもそも例のコンテナすら手に入れていないのだ。欲しいのに買えないというのは、なかなか辛い。

 そう言えば、あの1/48バルキリーを出したやまとから、「伝説巨神イデオン」のフルアクションモデルが出る。
 合体はせずにロボット形態のみなのだが、写真で見て驚いた。あの「ミサイル全方位発射ポーズ」がかなりきれいな形で再現できるのである。
 腕はどうなっているのかよくよく見ると、肩のパーツがスライドするようになっていて、実際これしか方法はないのだが良く考えられている。でもこれだと、後ろから見たら少々マヌケになってるんじゃないだろうか、という気もするが、やまとの事だからそれほどひどい状態にはならないのだろう。そして足はももの付け根にさらにブロックが付いているから、上記ポーズで足が開けるようになっている。
 これは欲しいとは思わないが、是非完成品を見たいものだ。

 夜になってJaneさんに、ESIFCONの件で電話。
 11月の最初は仕事で無理との事だ。これで日程を決めてしまうと、実行委員長も副実行委員長も不参加と言う事になってしまう。まあ実際に取り仕切るのは私といわさき氏で行えるが、問題は参加者の数だ。さすがに10人程度となると寂しい。寂しすぎる。
 とりあえず結果を、実行委員長代行の菅野さんにメールしておく。

 こうなってくると、今回の参加者を見て来年以降どうするか、真剣に考えた方が良さそうだ。やはり皆それぞれ忙しくもなっているし、金銭的都合もある。その他にもいくつか問題点があるし。
 いずれ、一度に30人前後集めるのは、現在のESIFCONでは限界なのかもしれない。代わりに、少人数で行うチャウコンというアイデア、いいと思うんだけどなぁ…。



2004年10月05日(火) フェイス7のパイロット

 ゴードン・クーパー氏が亡くなったそうである。
 最初期の宇宙開発に携わったオリジナル・セヴンの中では彼が一番若かったのだが、それでも77歳なのである。彼より8歳年上のジョン・グレン氏は存命でピンピンしているし、オリジナル・セブンではないが4歳上のチャック・イェーガーも元気なので、なんだか不思議な感じがする。
 でもこの訃報を見た瞬間、「ライトスタッフ」のラスト・シーン(Hotdog Go!)が浮かんでしまったのは、私だけだろうか。 
 いずれ初期の宇宙開発に参加した事で歴史に名前を刻まれたばかりか、「ライトスタッフ」という名作で永遠に人々の記憶に残るのだから、ある意味で非常に幸せだと言えるだろう。晩年の彼についてはまったく知らないが、少なくとも死ぬ瞬間にいい人生だったと思えたのではないだろうか。幸せな人生とは死ぬ間際で決まるものなのである。
 ちなみに「ライトスタッフ」は、私のオールジャンル・ベスト10に入る傑作である。

 宇宙開発ついでに。
 アメリカの民間ロケット「スペースシップワン」が、1週間に2度の宇宙飛行を達成し、賞金1000万ドルを獲得する事になった。
 ルールは「3人の人間またはそれに匹敵する重量の物体を、高度100キロ以上まで、2週間内に2度打ち上げたチームに、賞金が支払われる」というもので、これを簡単にクリアしているのだが、ゴードン・クーパーの死期と時を同じくして民間が宇宙へ進出したというのはなかなか感動的な出来事だと、個人的に勝手に感動しているのであった。
 ちなみに「スペースシップワン」をベースに商業宇宙飛行を手がけるのは「Virgin Galactic」である。これはあのリチャード・ブランソン率いるVirginグループのひとつだ。これも「チューブラー・ベルズ」以来、私には思い出深い名前なのである。

 訃報と言えばジャネット・リーの名前もあった。こちらも77歳である。
 あまりにも「サイコ」のシャワー・シーンが有名で、女優としては逆に苦労したのではないだろうか。出演作を見ると、やはりこれという傑作は少ない。こちらは慈善活動などに力を入れていたようなので、まあ幸せだったのかもしれない。

 関係ないが、今日の朝日新聞の第5面に、1ページを丸々使った「プルートウ」の広告がうたれていた。
 これは出版社がかなり力を入れているというのが判る。完結した暁には朝日の賞を狙っているのかもしれない。いやきっとそうだ、そうに違いない。
 それはともかく、「プルートウ」はまだ連載途中とはいえかなりのハイレベルである。個人的にあの絵はあまり好みではないが、そういう好みの問題を凌駕するだけの内容である。原作となっている鉄腕アトムの「史上最大のロボット」を越えてしまう可能性もあるだろう。
 山田風太郎の世界を見事にマンガ化した「バジリスク」が完結した現在、もっとも目の離せない連載マンガである。



2004年10月04日(月) F15の接触事故とは

 先週の話だが、全然知らずにいたニュースがあった。
 9/29にトータチスという直径5キロ程度の小惑星が地球の傍をかすめて行ったのだという。再接近した距離は約155万キロ、地球と月の距離の約4倍という近距離である。しかもこれは太陽の周回軌道に乗ってしまっているので、4年に一度接近するらしいから、ほとんどオリンピックである。1989年に発見されたという事だから、太陽系の重力に捉えられてしまったのだろうが、何かと厄介な存在である。
 今後は接近の度に、それに乗じて騒ぐ怪しげな団体も増えるのではないだろうか。新興宗教は儲かるという事だし。

 そしてここまで大きいと、核で壊すと言うのも難しい。核で粉々になるという保証はどこにもないし、それなりのサイズの破片が地球に降り注ぐ可能性も大きい。そもそもどこの国の軍であっても、自国の能力を他国に晒すのを嫌がるから、核で破壊と言う提案すらまとまらないような気がする。

 軍と言えば、会社の女性に「トップガン」はアメリカ海軍を舞台にした映画だと言ったら、非常に驚かれてしまった。一般的な人には、どうして戦闘機なのに海軍なんだ、という事になるらしい。
 そもそもトップガンとは、優秀なパイロットを育成するための海軍の組織である。空母への着艦や防衛と言う、空軍とは違う能力をも求められるため、こういう特殊な学校が必要になったのである。
 まあどこの近代軍隊でも、陸海空を訪わず飛行部隊は持っているもので、対戦車攻撃ヘリは陸軍だし兵士を輸送する大型輸送機やヘリも所有している。アメリカの海兵隊はハリアーを所有しているし、海軍は対潜哨戒機や救難用に様々な飛行機を所有しているのはもちろん、空母を防衛するために優秀な戦闘機などを所有している。そして各々、その任務が異なるからそれぞれが必要な飛行機を所有しているという訳だ。
 なんて話をしたら、まるで「いさく君」のようだと言われてしまった。もちろん軍事評論家の岡部いさく氏の事で、これは光栄である(ちなみに「世界の駄っ作機」を書いている「岡部ださく」というのは、この人のペンネームである)。
 そしてあずまんが大王にある「そういうのって、どこで習うの?」「どこかな…?」という会話が成立してしまったのであった。

 という何事もない平和な一日であった事だよなぁ。

 なんて思っていたら、アメリカ軍のF15二機が接触事故を起こし、沖縄に緊急着陸したというニュースをやっていた。
 テレビで見ると、一機は垂直尾翼が両方とも破損、もう一機は主翼と水平尾翼が破損していたが、よくこれで無事に着陸したものだ。一歩間違えば大惨事というのも頷ける。それで沖縄の市長が事故があってはならないと抗議するらしい。

 だが米軍相手にそれは意味がなかろう。
 そもそも訓練や演習とは何のためにやっているのかを考えれば、米軍に事故を起こすなと期待する方が間違っている。米軍は強い軍隊を維持しようとしているのだから、事故はあって当たり前、パイロットが死なず、同じ事故を繰り返さなければそれでいいのである。それによって、実戦用のプログラムを補強していくのだから。
 これは三沢においてF16の事故が多いのと同じである。三沢では、敵地へ低空で進行しギリギリまで近づいて爆撃するという訓練プログラムがあるが、これでほぼ年に一機の割でF16が落ちている。それでも米軍は絶対にこれをやめようとはしない。

 つまり事故を許容するかしないか、これが米軍と自衛隊の決定的な違いなのである。
 日本の自衛隊が装備面では世界第三位なのに、軍隊としては脆弱だと言うのも、訓練などで事故を恐れているからだ。訓練とは本番で事故を起こさずに任務を遂行するためにあるのだから、あまりに事故をおそれていては訓練の意味がない。まさに税金の無駄使いである。

 もっとも、何も日本でそんな訓練しなくても、とは誰でも思うところだ。そもそもF16等の緊急発電装置には猛毒かつ発癌性のある物質が搭載されているのだが、この辺で墜落事故があってもそれをアナウンスするのは東奥日報などのごく一部の日本側メディアである(NHKもあまりそういう事には触れたがらない)。そもそも米軍はあまり日本人の事を気にしていないようだ。
 だから抗議をしたところで、ぬかに釘、暖簾に腕押しなのである。それは米軍が訓練に事故はつきものだと考えているからに他ならない。

 アメリカとの同盟、なんて言っているのなら、そういうところは日本の風土に合うよう改善するべきだろう。そうでなければ、世界中からいつまでたってもアメリカの属国扱いしかされないのである。
 まあ政府として、それが日本の生きる道だと割り切っているのなら、いつまでも改善される事はないだろうが。



2004年10月03日(日) もしかして音楽三昧な日

 朝起きると停電していた。
 外の配電盤を見たら止まっているのはウチだけだったので、寝ている間にブレーカーが落ちたという事で間違いない。とりあえずリセットしたが、一体どうしたというのだろう。色々使って落ちたのならともかく、寝ている間に動いているのは冷蔵庫位だ。これは冷蔵庫が壊れる前兆なのか?

 昼に近所の本屋に行ったら、昨日書いた「PLUTO」が、それこそ山と積んであった。当然ながらそこに豪華版はまったくなかったので、やはり昨日はラッキーだったと考えるべきなのだろう。でも2巻以降もこのサイズで出してくれないと困るぞ。
 いずれ子どんぐりもアトムの方が意外と気に入ったようで、今日も読み返していたくらいだ。でも明日から試験だろうに、その上外に遊びに行ってしまった。いいのか?

 昨日のウルトラマンネクサスで書き忘れていたが、今度の組織は一般人には極秘という性質を持つらしい。つまりUFOのSHADOと同じようなものである。戦闘機らしき物は光学迷彩のようなものまで施している。でも人を襲う巨大生物相手に秘密組織というのは、今時かなり難しいのではないだろうか。
 そして第一話で人間を喰う生物を掃討した後のセリフが「状況終了」というのは、やはり自衛隊を想定しているようだが、もしこの路線で行くとなると、今回の組織は当初から破綻するのは目に見えているのだが…。
 ちなみに「板野一郎」は、板野サーカスの板野氏に間違いないそうだ。映画版で深くタッチしているので(多分F15のシーンだろう)、ついでという事か。

 さて、ESIFCON用に音楽クイズを作ろうかと思い、少し下調べを始めたのだが、やはり「AI戦隊タチコマンズ」は外せないなぁ、とか「水戸黄門」は逆転かけても結構判るなぁ、とか色々考えながらチェックしていたのである。ところが何故か以前は読み込めたのに、全然再生できないディスクが出始めた。どうも古いのが軒並みだめで、「攻殻機動隊」のサントラも再生できなくなっている。何故だ?

 しかし色々聴いていると、「スペース1999」や「劇場版パトレイバー2」なんてのは、同じメイン・テーマでもヴァージョン違いがあって、どれを使うか少しだけ悩んでしまう。一般的には特に意識しなければそう違わないと言っていいのかもしれないが、「劇場版パトレイバー2」のテーマあたりになると最早別物と言った方がいいと思う(そもそも長さが全然違う)。
 そう思ってサウンド・エンジンで波形を比較したら、やはり密度が全然違っている。打楽器系の残響がまったく別物なのである。そもそも使用した楽器が違うのかサウンド・エフェクトが違うのか断言は出来ないが、使用した楽器自体が異なるような気がする。
 劇場版パトレイバーは、1も2もサウンドを全てリニューアルしており、音楽も厚みを出したりしているのだが、さすがにテーマ曲である「Theme of PATLABOR 2(2002 Version)」だけは画面にあわせなければならないので、長さは2分強と短い。川井氏はテーマとしてもっと主張したい部分があったのか、結局「Theme of Patlabor 2(Kenji Kawai Version)」ではさらに重みが出て、長さも4分以上の曲に仕上がっている。
 聞き比べると、曲としては確かに「Kenji Kawai Version」の方が優れていると言っていい。少なくとも私はそう感じたのである。

 川井氏の音楽話のついでに。
 これはDVDが届いて見直してから書く予定だったのだが、「イノセンス」のエンディングである「Follow Me」は、劇中の使用に留めるべきだったのではないかと思っている。本来であれば、車中で流れる劇中歌のような扱いで作られたと思うのだ。
 今回のエンディングでは「傀儡謡」を使う路線が最適だったと思うのだが、そうすると「攻殻機動隊」とパターンは同じになってしまうので、それは営業として避けたいと誰かが言ったのかもしれない。だが「攻殻機動隊」の海外版エンディングはイーノの曲に差し替えられており、曲自体は悪くないのだが、見終わった時に印象が薄くなってしまう。ありていに言って、映画として余韻が平凡になってしまうのだ。
 海外ではイーノの曲を使用していたのだから、今回は傀儡謡で押し通しても良かったのではないかと思う。日本でも「攻殻機動隊2」という売り方をしなかったのだから、前作のインパクトを全然知らない観客も多かっただろう。そしてこれは営業戦略上の問題なのだが、「イノセンス」の売り方を、「2」とするのか「独立した作品」とするのかが、どうも曖昧だったように感じる。これではエンディングに大きく響くではないか。

 本来の押井作品では、川井氏の音楽だと、見終わって劇場を出た時の余韻が非常に強い。昨今のハリウッド映画は音楽業界との提携でエンディングが決まるので、劇場を出た時の余韻が薄れてしまうのである。どうもこういう音楽面での批評をする映画批評家が見当たらないのだが、押井作品にとっての川井サウンドというのは、映画の印象を3割方は強めているのである。
 だから「Follow Me」を使用すると、せっかくフル回転していた頭がクールダウンしてしまうのだ(これでは70年代アイドルのアルバム構成と同じになってしまう)。押井−川井コンビの作品では、クールダウンはしなくてもいい。アクション映画ではなくスペキュレーティヴな映画なのだから、ずっとヒートアップしていた方がいい位のものである。

 あ〜あ、ここまで書いちゃったらDVDが届いても書く事がなくなってしまうなぁ。



2004年10月02日(土) PLUTOとウルトラマン

 今日も粗仕事。
 世間が皆休みだから、気分的に何だか疲れてしまう。しかも休むなという訳のワカラン指導がある。「やる気」というのを勘違いしているよなぁ。

 昼に掲示板を見たら、あかいメガネさんが「PLUTO」の1巻が出たと書き込んでいた。
 これは会社が終わったら探さなければとソワソワしてしまう。結局夜になってから走り回り、ようやく入手。しかし廉価版が見当たらず、アトムの「史上最大のロボット」とカップリングの物しかなかった。お金がないのだが、買わない事にはどうしようもないので、そちらを買う。
 これで多分1/144のサンダーバード4号&コンテナセットは買えなくなったな。

 ちなみに頼んでいた「王立科学博物館第2展示場 黒のフロンティア」と「同 白のパイオニア」は今日届いた。10箱ずつ計20箱が送料税込みで2,500円である。予定通りフェッセンデンの宇宙、もとい銀河は入手。さらに火星人がシークレットと込みで入手できたのでラッキー。

 さて、今日からウルトラマンネクサスが始まったが、朝一だったので、とりあえずビデオに撮っておくよう頼んでおき、夜になってから見てみた。今回の興味は、川井憲次氏の音楽にある。彼がウルトラマンの世界にどのように挑戦しているのか非常に興味があるのだ。
 だが第一回目は意外と音楽が少ない。少しケルベロスが入っているかな、という感じだがとりあえずしばらくは見る事にしようと思う。オープニングとエンディングは違う人だが、この程度なら川井氏にまかせても良かったのに。
 いずれ映像に関してはかなり良くなったようだが、キャラクターはちょっと…。ストーリーはまだ不明である。
 ところでスタッフに「板野一郎」の名前があったのだが、板野サーカスのあの板野氏なのだろうか。だとすると今後、彼独特の空戦が見られるという可能性があるのだろうか。だったら凄いな。
 確かに「マクロス・ゼロ」では、往年の力技は弱くなったようだが、それでもひと目で彼の世界だと判るのはさすがである。

 一郎といえば、各メディアでは米大リーグでイチロー外野手がシーズン最多安打達成という事で大騒ぎしている。確かに偉業達成と言えるだろう。
 しかしネットのニュースで、「イチロー選手(本名:鈴木一郎)が記録達成」と書いている所があったのだか、何かおかしくないか? 本名って何? 野球選手は皆仮名なのか?



2004年10月01日(金) 今度は電動サンダーバード2号

 某所の掲示板を見ていたら、「世界初・電動で伸縮する脚をもつサンダーバード2号」が出るというニュースがあった。
 あちこち調べたら、1/144スケールで予価は12,000円である。写真を見たら、まさにテレビのプロップそのままである。つまり脚が完全に本体にしまい込まれているのではなく、地面に接した状態から可動するサイズになっている。しかしそれでもどういうシステムになっているのか、中が見たい。是非見たいっ! つまり、欲しいぞっ!
 本体がガントリーから離脱して地面に潜りまた帰ってくるという、テレビと同じシーンを再現する1/144のジェット・モグラには本当に感動したが、今回の感動もかなりのものだ。
 やはりサンダーバード系のメカニックは、リアルなディスプレイ・モデルより、テレビのように可動する方が圧倒的に魅力的である。それがテレビと同じなら、なおさらだ。

 それは少し悩むとして。
 以前ちょっと買い物したネット・ショッピングの店から、メールが来た。食玩で「王立科学博物館第2展示場 黒のフロンティア」と「王立科学博物館第2展示場 白のパイオニア」を安く売るというものだ。
 で、どのくらい安いのかというと、税別で「1BOX(10個)=600円」(定価3,000円)と「1カートン(80個)=3,600円」(定価24,000円)である。これは安すぎる。
 という訳でどちらも1BOXずつ頼んでしまった。1,260円である。はっきり言って送料の方が高いではないか。なにせ以前少し買った時は、欲しかったフェッセンデンの宇宙、じゃなくて銀河が出なかったのだが、これだけはどうしても欲しかったのである。
 だがこの店は、よほど大量に買い付けて、これまたよほど大量に売れ残ってしまったのだろう。多分出荷数も100万単位だったと思われるから、いずれ市場にあふれるのは判っていたが…。ところでこれを1カートンで買う奴って、いるのかね。

 唐突だが。
 昨日「野中広努 差別と権力」を読了した事で、今回の小泉内閣人事がきわめて特殊だというのが良く判った。
 少なくとも郵政の民営化に特化しているというのが良く判るし、集めたのも、民営化に賛成していてなおかつ実務畑で有能な人材だという印象だ。巧みに野中氏の弟子も避けているし、山崎氏のように本人の箔付けのためというのもあるが、基本は実務で有能と小泉首相が考えるスタッフである。
 これで彼が今回は本気だと表明した事になるし、民営化の反対勢力も小泉首相の任期満了まで選挙がないから、表立って攻撃してくるだろう。
 これからは政治的に本当の闘争が始まると思われるから、ますます目が離せなくなってしまう。

 しかし彼は、なぜ郵政の民営化にそこまでこだわるのだろう。
 確かに「現状の郵便貯金を市場に開放する事による経済効果」というのは理解できるし、実際小泉首相の狙いはそこにあるのだが、正直に言ってしまえば民営化にこだわる事による利点がどういうものなのか、やはり良く判らない
 少し調べてみないといけないな。

 と書いていたら、いわさき氏から電話。
 結局ESIFCONは大鰐開催で決まりらしい。まあ本気で東京開催なら、今頃佐々木氏が動いていそうなもんだから、これは私も少々迂闊だったかもしれない。
 問題は日程だが、11月の初旬か下旬の人数が集まりそうな方という事で、菅野さんが動くらしい。ま、いずれ私も動かなければならないという事だ。
 でも企画は、な〜んにも思いつかないなぁ…。今回はサウンド・エンジンがあるから、音楽ネタで勝負してみようかな。


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