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2004年09月30日(木) 野中、読了

 昨夜でようやく「野中広努 差別と権力」を読了。意外とかかってしまった。

 これを読むと、ここ30年ほどの政治の流れが大筋で判るという優れものである。各党の思惑や創価学会との繋がり、はては暴力団までと、いままでバラバラだったものが、自分なりにかなり整理できた。
 特に暴力団関係はどこで調べたのかと思ったら、協力者の筆頭に宮崎学氏の名前があったので、ほぼ真実だと思って間違いはないだろう。よくここまで纏められたものだ。
 多分圧力を避けるためだと思うが、少々回りくどい書き方をしている所もある。だがそれは方法論として仕方がない部分だ。とにかくここまで書いたというだけでも、感心する。

 趣旨と違う部分で思ったのだが、日本のメディアは政治に対して本当に腰が引けていると感じる。
 一時「野中を総理に」という案があった時、自民党内部でさえ「部落出身ではダメだ」という声があり、本人もそれが判っていたので辞退したとある(本当は、本人も言っているが、彼に国政を引っ張る能力はないのである)。この時期、そういった彼の出自に関する事を海外のメディアは紹介していたのだが、肝心の日本では全く報道されていなかった。
 その他にもどうしてそういう事を記事にしないのだろうと思う部分が多々ある。もちろん圧力もあっただろうが、ほとんどは自主規制なのであり、政治家がメディアのあちこちに、自分の意見が通るシステムを構築していった結果なのである(ちなみに電通が大きくなっていったのも同様の方法である)。
 政治に関する重要かつ国民が知るべき部分は、巧みに隠されたりミスリードされているのが実情だ。

 そして、野中氏が部落出身というとんでもないハンディキッャプを持ちながら、一時は政治のほとんどトップまで昇り詰める事ができた理由が、「政治的信念や理念を持っていなかった」からだというのが悲しい。そうしないと生きていけなかったのである。
 だが私はそんな彼に同情はしない。政治の世界で政治的信念や理念がないなど、ふざけているとしか思えない。大きな目的のために一時的に敵につく、というような生易しい話ではないのである。まさに自分が生き残るためには、相手が誰であれ平気で意見を変える。沖縄の普天間基地問題でも、当時の知事は「野中氏は昨日と今日で言う事が完全に変わる。決して弱者の味方ではない」という事を語っている。

 ただ基本的には、部落の差別をなくするというそれ一点において、社会主義的思想はあったと思われるが、それはあくまで考え方の底にある物で、政治的理念とは異なっていたのだろう。
 とにかくこの本は、政治に少しでも感心がある人にとって読んで損はないだろう。

 と書いた今日、川原泉の「ブレーメンII」5巻目を買ってきた(「II」はアッティカ式ギリシア数字の「2」の代わりね)。
 なんだか妙に急いで終わらせたような感じがしたのだが、2号の情報によると、体調が良くない中で無理やり仕上げたとか。どうりで、なんだかいつものパワーが感じられない。
 ちょっとしたハードSFに近いので、意外と面白かったのだか、これで終わりである。元々かなり頭がいい人のようで、難しい言葉でも、自分できちんと理解して使っているから面白いのである。
 マンガでは、難しい言葉を使うだけで実は作者が良く理解していない、というのも結構多い。この人はその辺が全く違うタイプで偉いと思っている。


2004年09月29日(水) 秋の映画も面白そう

 セブン・イレブンでは、フィギュアに続いての第二段をキャンディーズのミニCDにしたが、これはビールを6本単位で買わないとダメらしい。全8種類という事は単純に48本…。なんだかなぁ。しかもCD版タイムスリップ・グリコのキャンディーズとかぶっているあたり、リサーチ不足を感じる。
 いずれビールを飲まない私としては、手の出しようがないのであった。そもそもセブン・イレブンが存在しない県だし。

 それはともかく。
 なんだか「i,ROBOT」の評判がいい。別に雑誌などのメディアでという訳ではなく、友人関係やSF関係で、なのである。もしかしたらこれは期待していいのかもしれない。昔からSF関係の友人に評判のいい映画はも白いのが多いのだが、一般的には評判が良くない傾向がある。そして一般的に評判のいい映画って、何故かつまらないものが多い。という事は、今回の映画は面白い可能性が高いという事だ。
 もちろん名作という訳ではなく、SF好きの心をくすぐるという感じだろうか。

 そしてこちらではようやく「ディープ・ブルー」が始まった。普通は夏に公開が終わっているのだが、何故もう二ヶ月もすれば雪が降ろうという時期にやるかな。
 この映画は、BBC系のドキュメンタリーみたいなものだから映像はきれいなはずだし、観ておきたいのだが、字幕版は一日一回って…。ただ、こういうひたすら映像を観る映画だと、吹替えでもいいかもしれないが、どうも日本のドキュメンタリー系の吹替えは、説明過剰になる傾向があるから、鬱陶しくなる事もある。ちょっと悩むところだ。

 そして「スゥイングガールズ」もなかなか評判がいい。私に言わせれば、こういう音楽系の映画は、それなりの人が作れば絶対に面白くなるのである。今までそういう映画が日本でなかったのは、音楽の楽しさを判っている監督が少なかったからに他ならない。
 「スクール・オブ・ロック」も、ファミリー向けだがそういうジャンルの映画なのだ。前者はジャズ、後者はロックなので、どうしてもロックの歩が悪いが、いずれにせよ、困難を乗り越えてライヴを行うという話は、楽しいのである。それが自分の好きなジャンルだとなおさらだ。

 そう言えば、「スクール・オブ・ロック」を作るにあたって、監督のジャック・ブラック自らが、ツェッペリンの曲の使用許可を嘆願するテープを作ってジミー・ペイジ送りつけ、これを見たジミー・ペイジは即許可したというエピソードがある。
 ツェッペリンの曲を映画で使用するのはほとんど許可されないだけに、一体どういうテープだったのだろうと興味がわく。そしてこのDVDにはそれが特典として入っているらしい。これは見たいよなぁ。なにせレンタルだと特典が付かないので、結局誰かが買うしかなくなってしまう。
 それがメーカーの策略でもあるのだが。


2004年09月28日(火) 物欲な日々

 最近は本を読むペースが落ちたと、つくづく思う。
 先日読み始めた「野中広努 差別と権力」は、あと1/5ほど残すだけとなったが、昨夜の段階でまだ終わらないのである。とにかくここ20年ほどの日本の政界をこれだけ判りやすく読ませてくれる本も珍しいので、実に楽しめているのに、やはり時間がかかっている。
 いや、これだけに専念していれば、多分今頃は終わっていたのだろうが…。

 ネット上のハリウッド・アイテムのショップを覗いていたら、「GIGER'S MAGO-NO-TE」、つまりH.R.ギーガーがデザインした「孫の手」が売られていたという記事を見つけてしまった。日本で言うところの「孫の手」は、英語で「BACKSCRATCHER」と言うようだが、あえて「孫の手」という名前で販売したらしい。
 価格は不明で売り切れてしまったが、全長40センチでエイリアンの頭のような形をしている。つまり掻く部分がちょうど歯のようになっているのだ。まあどう見ても孫の手という形ではないが、これはなかなかいい。一万円くらいで買えるものなら欲しかったなぁ。

 あと、11月にアオシマから、1/18スケール・ダイキャストモデルの「アストンマーチンDB5」が出るというニュースもあった。価格は未定である。
 別にノーマルなら特に欲しいというほどの事もないのだが、これが007ゴールド・フィンガー仕様なのである。当然あちこちギミックが可動するという。ミニモデルなら持っているが、小さいだけに出来はイマイチなのである。
 1/18スケールのトヨタ2000GTオープンカー(もちろん「007は二度死ぬ」モデルだ)は持っているが、出来がなかなか良いので、やはり並べたいところである。
 とにかくかなり触手が動いてしまうが、問題は値段だ。やっぱり一万は越えるのだろうか。

 そう言えばその直後にエアウルフも出るんだなぁ。ただしこれはノーマルと限定版の二種類出るが、限定版の色合いが未だに不明である。実際のカラーリングを見ない事には、選べないではないか。
 そしてそろそろインターセプターが入荷する時期だ。来月はスカイダイバーである。これらはもう入金済みなのでいいのだが、やはりエアウルフは迷う。

 ま、結局は貧乏なので悩んでしまうという事だ。物欲、物欲…。


2004年09月27日(月) ESIFCONはどこへ行く

 昨夜はESIFCONの動向について、いわさき氏から確認の電話。
 そろそろ実行委員長を本格的につついておかないと、皆予定が立たなくなってしまう。実際東京でやるのか大鰐でやるのか、開催場所と日程だけは確定していないと、そろそろ時間的に苦しかろう。私は金銭的に苦しいが…。
 電話ではその他に色々と雑談。やはりメールだけだと味気ないので、時々は電話も必要である。
 という訳で、関係者にメールを出しておく。さて、反応はいかに。

 メールといえば、時々アマゾンやコモドなどからDVDの案内メールが届く。ざっと見てから消しているのだが、最近、DVDソフトの価格がどんどん安くなっているのに驚いてしまう。
 以前999円という物まで現れた時には本当に驚いたが、最近は2,500円前後で相場が安定しているようだ。しかし「太陽を盗んだ男」が2,500円で出るとは、意外だった。「モンティ・パイソン 人生狂騒曲」まで安くなるらしいし、いいんだか悪いんだか良く判らなくなってきた。安いとつい買ってしまうからだ。 
 まあこういった名作は、安く世の中に出てもらった方がいいので、本来は歓迎すべき事だろう。
 ただし安くする事で、メイキングをすべてカットしてしまうのはどうかと思う。例えば「太陽を盗んだ男」などは特典ディスク付の6,000円の物を買ったが、LDで持っていたのに買ったのは、メイキング見たさのためである。そしてこのメイキングは実に面白かった。
 やはりこういうメイキングやオーディオ・コメンタリーは削るべきではないと思う。少し高くてもいいから、昔の作品でメイキングが残っている物はどんどん付けるべきだろう。特に70年代以前の映画は、メイキング自体があまり存在しないので、映画史の上でも重要である。

 さて、昨日は夜になって、まっちゃんから荷物が届いた。今度の日曜に放映される、とある番組のビデオ録画の依頼である。
 で、ついでに(かどうかは不明)セブン・イレブン限定のキャンディーズ・フィギュアが5個入っていた(コカコーラや伊右衛門、午後の紅茶なんかを買うともらえる)。開けてみると「3.年下の男の子」、「5.ハートのエースが出てこない」×2、「7.やさしい悪魔」、「9.アン・ドゥ・トロワ」という内容である。
 まあこのレベルでは雰囲気が似ていればOKなのだが、顔を見るとミキとランの区別がつかない。スーは髪型で判るのだが…。
 ただこのフィギュアは、台座に丸、三角、四角の穴があり、少なくとも配置を間違える事はない。つまり台座に載せる事で、三人が判るという仕組みなのだ。
 もっともキャンディーズをリアルで知らない人には、それでも判らないのは当然である。

 しかしセブン・イレブンがない県としては、つらいなぁ。せめてローソンでやってくれれば、自力でいくつかゲットできたのに。
 でも、キャンディーズに関しては写真の方がうれしいのだが、どこかでそういう企画はないのだろうか。


2004年09月26日(日) 「野中広努」と「THX-1138」

 「野中広努 差別と権力」を途中まで読む。
 意外だったのは、国鉄時代にあった検札システムは、佐藤栄作(もちろん元首相の、である)が大阪局長をしていた頃の鉄道局時代に勤務していた野中氏が考えたのだという。しかもこれ、当初は乗客の不正防止ではなく、職員の横領防止だったのである。
 そして野中氏が鉄道局にいた繋がりから、田中角栄(これまたもちろん元首相の、である)とも繋がっていき、その当時(例えば東京オリンピックの頃)の恩義があったからこそ国鉄は田中氏の実家付近に新幹線の駅を作ったのである。単に首相のワガママという理由だけで作った訳ではなかったのである。

 まだ途中だが、野中という人の権力の構造がなんとなく見えてきた。色々な組織を圧力団体として利用していたのは、文章の端々からも推察できる(精神的にも、物理的にも、である)。そもそも本人が若い頃にそういう活動もしているのだから、圧力団体を利用する利点と弱点は、充分判っていたのだろう。
 そして彼の二面性(に見える部分)も徐々に判ってきた。彼自身は、個人としての野中と政治家としての野中に、二面性という矛盾はないのである。
 後半、どういう内容になっていくのか、楽しみである。ただし、嫌いなタイプの人間であるという事に変化はない。

 で、昨日買った「THX-1138 ディレクターズカット 特別版」だが、特典ディスクはなかなか良い。
 ルーカスが学生時代に作った15分程の短編「THX-1138 4EB」が完全に見られるのである。これだけのために買ったようなものである。
 しかしこれはかなり前衛的である。多分映画を製作するような若手にとっては革新的であり、評価されるべき作品なのだろうが、あくまで1960年代後半の様々なムーヴメントがあったからこそ作られたと言ってもいい。多分あの時期だからこそ、製作できた作品だと言えるだろう(「イージー・ライダー」はまさにエポック・メイキングな作品で、映画会社が世代交代の必要性があると危機感を抱くに充分だった時代なのだ)。

 だがこれを推したコッポラにしてみれば、もし自分が演出すればもっと娯楽性を増せたと思ったかもしれないが、いずれルーカスは、運が良かった。彼は映画のセンスはあったが製作のセンスはなかったのである。それがコッポラという製作のセンスがある人間と一緒に会社を興したのだから、商業映画として完成できたし、またコッポラのやり方を色々と学ぶ事もできただろう。
 とにかく映画会社としては何がウケるか判らなくなっており、コッポラがその間隙をつけたからこそ、長編化が可能だったと言える。コッポラはまさにプロデューサーなのである。

 なんだかこれを見ていると、コッポラと押井監督がダブってしまう。「うる星やつら」の頃はまさにそっくりだ。押井監督も、あの頃のコッポラの手記やメイキングを読んで駆け引きという物を研究していれば、仕事を干される事はなかっただろうにと思うが、そうすると「天使の卵」も劇場版の「パトレイバー」も存在しなかった可能性が高い。
 いずれ現在の押井監督の製作スタイル(監督ではなく、まるでプロデューサーなのだが)は、コッポラのやり方に非常に似ていると感じてしまう。

 ところで肝心の「THX-1138 ディレクターズカット」本編なのだが、予告編を見た時に何か変だと感じて(劇場公開時も観ているし、LDも持っている)、とりあえず本編をスキップしながら見ていたのだが、これには驚いた。
 新たに加えられたフッテージとは、過去のフィルムではなく新たに撮影された物だったのである(過去にカットされた部分を修復した所があるのかもしれないが)。
 もっと正確に言えば、デジタルによる「加筆修正」であり、明らかに現在の技術によるものだ。これでは今回発売されたDVDのスター・ウォーズと何ら変わらないではないか。

 もちろん意図が判る部分もあるが、基本的には娯楽性を増すための修正である。
 ラスト近くのカー・チェイスでは、ほんの10秒ほどだが、フル・デジタルによると思われる市街地でのチェイスまである。工事個所への突入場面には、ご丁寧に脇穴へ退避する作業員まで加えられている。その後の、障害者を利用した襲撃場面も、完全なフル・デジタルでクリーチャーに変えられていた。
 やり過ぎだよ、ルーカスは。


2004年09月25日(土) 「カラシニコフ」がない

 先日駅の書店に一冊だけあったという「カラシニコフ」を探しに行くと、なくなっていた。まあ駅の書店だから、仕方がない。
 代わりに、これまた探していた「野中広努 差別と権力」(by魚住昭)があったので買っておく。こちらは野中氏が部落出身で、弱者に対してはかなり親身になってくれたという内容であり、親北朝鮮派の先鋒というイメージが強い私としては、かなり意外な内容なのである。
 しかしちょっと立ち読みしたら、NHKの海老沢氏に関する記述があり、今回のNHK騒動も以前から裏では当たり前の事だった、というか海老沢という人も権力志向の人でそういう人生を送っている人だと判ったのは収穫かもしれない(政策結婚までしている)。
 読むのが非常に楽しみである。

 あとはついでに「THX-1138 ディレクターズカット 特別版」を買う。

 出かける前に見ていたニュースで、老人ばかり次々と殺された事件で、当初は被害者の長女が犯人扱いされていたというのをやっていたが、なんだか松本サリン事件の長野県警のようだ、と思ったら長野県警そのものではないか。やはり警察の体質というものは、そう簡単に変わらないという証拠である。あそこの県警とかあそこの府警とか、皆同じようなものなのだと納得してしまったのが悲しい。

 こうしてみると、警察の活動というのは税金で行う必要などあるのか疑問になる。一般人が一番お世話になっているであろう交通事故だって、実際に動くのは民間の組織である。警察は単に証明書類を作成するだけであり、それだってかなりいい加減である。そもそも交通事故を減らそうという意識が低いのだ。
 殺人事件は検挙率が著しく低くなっているし、暴力団関係の事件もそうだ。またストーカーや児童虐待といったその他の民事関係でも、加害者を庇う事しか行っていない。
 つまり警察の全仕事は、やりようによっては民営化しても大丈夫なのではないだろうか。まあ実際にやったら、当の警察が困るだろうから、猛反対するに決まっているが。
 結局一般人が警察に助けを求めても、現状では何ら解決策はないに等しいのだから、少し真剣に考えても良さそうなものだ。

 だがこういう意見に対しては「すべての警官がそんな人ではない」という意見が必ず出るが、これは的外れというものだ。すべてが正常でなければいけない組織に対して、正常でない人間が占める割合が年々多くなっているという事が問題なのである(単に発覚数が増えただけかもしれないが)。
 そもそも住民のためにならない警察官など、百害あって一利なし、本来は一人もいてはならない存在なのである。そういう意識が、現在の警察にはほとんどないんだもんなぁ。


2004年09月24日(金) 強いぞ日本刀

 昨夜は、子どんぐりとビデオに撮った「トリビアの泉」を見たのだが、トリビアの種コーナーの「日本刀対マシンガン」は、ネタとしてはつまらないが絵的には凄かった。
 一発の弾丸と日本刀なら、それは公平な勝負になりうるが、マシンガンというのは弾丸を連続して出し続けるのだから、いくら日本刀でもいずれは折れるに決まっている。まして相手はブローニングM2である。M2は必要以上に威力があるため、現在ではM60に代わったという代物だ(弾幕を張るのに威力過剰では経済効率が悪い)。ましてや距離は5メートル、つまり勝負は最初から見えているので、問題はどこまで耐えるか、である。
 そしてあの化け物相手に6発まで耐えたのだから凄い。この点でも日本刀という物は半端ではないと判る。こうなると、ノーマルの砲弾による「日本刀対戦車砲」なんてのを見てみたいぞ。

 しかしアメリカという国は、こうして常に物量で勝ってきた国である。戦争でも経済でもだ。常に消費経済社会を運営してきたのだから、そういう発想の国からは、日本刀のような物は絶対に生まれないだろうと思う。

 ところでところで。
 カラシニコフ・ブランドのウォッカが発売されるという。仕掛けたのはイギリス人なので、まずはイギリスとロシアでの販売となるらしい。
 なぜこんなのが気になるのかと言うと、このカラシニコフとは、あの名銃「AK-47」を設計した、ミカエル・カラシニコフその人なのである。
 世界で一億挺以上売れたベストセラーとなり、あまりの性能の良さとメンテナンスのやりやすさのせいで、世界中のゲリラやテロリストにも愛用されてしまった。本人は「祖国を守るために前線の兵士が使いやすい銃を」と設計した物なのに、アダになってしまったのが心残りらしい。まあ優れた兵器とはそういう事になるものだ。
 だから平和なブランドが欲しいのかもしれない。元々銃の専門家でも何でもなかったのだから、気持ちとしては判る。そして当初は、イギリス側で作ったウォッカにカラシニコフのラベルを貼るだけという話だったらしいが、本人自らウォッカの味やビンのデザインなどにこだわり、とりあえずは本人も満足の行く出来になったらしい。
 銃のようにベストセラーになるかどうかは、神のみぞ知る、である。

 そう言えば、朝日新聞に連載した「カラシニコフ」が単行本になったが、なかなか入手できない。どこも売り切れ、というよりこの辺には入荷すらしていない。
 明日は駅の書店に行ってみよう。

 入手できないと言えば、昨日の掲示板にまっちゃんが書き込んだ「セブン・イレブン限定キャンディーズ・フィギュア」だが、青森県にはセブン・イレブンがないので岩手県はどの辺にあるか調べたら、ここから一番近いのは一関市…。とても行けないではないか。まあ本気で似ているような物だったら考えるけど、とりあえずは雰囲気だからなぁ。
 しかしせっかく子どんぐりは伊右衛門が好きだと言うのに、残念である。


2004年09月23日(木) サンダーバーズが来ていた

 朝から快晴である。

 朝刊を見たら、昨日アメリカ空軍のサンダーバーズが三沢に到着したのだと言う。こんなに早いとは思ってもいなかった。
 そのためなのか、昨日の三沢近郊はやたらと自衛隊の機体が多く飛んでいた。P3Cの三機編隊の高機動など、久々に見たし、ヘリの数も半端ではなかった。でも何故?
 そして今月のショーは関係者のみの公開になるので、1994年に見ておいて良かったなぁ、とつくづく思う。

 午前中はお墓まいり。さすがに禅林街は混んでいるし、徐々に気温も上がっていくので、意外と体力を消耗する。

 昼ご飯を食べた後、子どんぐりが駅前のヨーカドーに行きたいと言うので(何故だ?)、出かける。そして「トリビアの泉・へぇの本」を延々見ているのであった。この本を立ち読みできる所も多くないから、まあいっか。
 そして14時頃に弘前を出発する。帰りは、山道での車に弱い人がいるので高速である。

 帰宅後、いわさき氏から荷物が届いており、不在連絡が入っていたが、夕方再配達で届いた。
 開けると、「リーク・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」と「ウォッチメン」が入っていた。
 前者は日本公開名「リーグ・オブ・レジェンド」の原作コミックの邦訳である。映画が意外と気に入ったので読んでみたかったのだが、書店で全然見かけた事がなく、古本で見つけられたら、と頼んでおいた物だ。
 そして「ウォッチメン」は同じ作者の作品である。

 いずれ映画化されると原作とは色々と異なってしまうものだが、ヘヴィメタル以降、アメ・コミのレベルも高くなったので、意外と楽しめる。以前買った「キングダム・カム」などもヘヴィな内容で、私の場合、あれ以来アメ・コミを見る目が変わったと言ってもいい。

 しかし「リーグ・オブ・レジェンド」の2巻目、邦訳は出ないのかな。どうも宇宙戦争ネタらしいのだが、「宇宙戦争」ファンとして、これは是非とも読みたいところだ。


2004年09月22日(水) またも弘前へ

 明日は弘前で墓参りの予定である。子どんぐりは今日、何故か学校が休みなので、電車で先に行きたいと言う。仕方がないので、どんぐり2号と先に行かせる。
 こちらは午後の有給を出し、区切りのいいところで帰宅し、その足で弘前へ向かう。

 天気は悪いのだが、一人という事もあり、十和田−焼山−城ケ倉−黒石−弘前という八甲田ルートをとる。こちらだと高速を使うより50キロほど走行距離が少なくなるが、所要時間は30分ほど余計にかかる。なにせ観光地のくせに山道だけあって、道が狭いのだ。
 しかし上に行くほど天気が悪くなり、城ケ倉のあたりは霧のため、かろうじて前の車が見える程度の視界だったし、少し視界が開けてくると豪雨である。焼山から黒石まではずっとこうだった。

 それでもこういうワインディング・ロードは楽しい。もう少しグリップ性能の高いタイヤといいディスク・ブレーキ・システムがあれば、もっと飛ばせるのだが、さすがに雨の中ではあまり飛ばせない。これで道から落ちたら、しばらくは発見されないのだから、シャレにならないのである。

 17時過ぎに弘前着。
 その後ちょっと紀伊国屋書店へ行き、「映画秘宝」と「スターログ」を買う。
 念のため映画コーナーを見ると、9月末発売予定だった「イッツ・サンダーバード・センチュリー・モデリング・マニュアル・改訂版」があったので、これもついでに買う。しかし10年で改訂版2回、都合3冊目である。新規のムックにしてくれないものかね。


2004年09月21日(火) 今月はタルカス

 早いもので、11/10に「劇場版サンダーバード」が発売される。
 ついこの間映画館に観に行ったと思っていたのだが。でもまあ、あのオープニングのセンスの良さに免じて、3,300円の方なら買ってもいいか。
 ただ今回は、新サンダーバード2号のボックスが付いた限定版も出るとの事で(ちなみにこちらは11/26発売との事)、安かったら買ってもいいかな、と思っていたら15,000円? これはパスですな。それだけの余裕があったら今頃レスキュー・イーグルを買っているか、「攻殻機動隊S.A.C.」のサントラをすべて買っているところだ。

 「攻殻機動隊S.A.C.」と言えば、この音楽を手がけている菅野よう子氏は、1964年生まれなのだそうだ。なるほど、だからあれだけブリティッシュ・ハードロックとかプログレの味付けがうまいのだと納得した。
 実はあと数年早く生まれていたら、特定のジャンルやグループへの思い入れが強くなり、あれだけバランスよく利用する事が難しくなる可能性があったし、あと数年遅かったら、知識としてすら聞く事が難しくなったかもしれないのだ。
 多分1964年生まれという事は、音楽に対する一番多感な時期に、少なくともロックなどの名盤が一通り手に入る環境だったと思われる。もちろんその時期に聞いていたかどうかは不明だが、興味があれば比較的簡単に名盤を勉強できた世代でもある。
 ま、あくまで仮定の話だ。

 夜になって、映画秘宝を買いに行くも置いてない。というか最近はどこも1冊しか入れていないので、すぐになくなってしまうようだ。
 仕方がないのでふらふらと周りを見ていたら、タルカスの絵がついた本が目に付いた。「ストレンジ・デイズ」の11月号である。タルカスが表紙という事は、当然プログレの特集である。とりあえず買ってしまう。

 そろそろPCのバックアップと言うのを真剣に考えたいので雑誌を見たりしているが、OSまで含めたシステム全体を簡単にバックアップできるソフトと言うのは、意外と少ないのであった。
 結局WINDOWSというのは、バックアップをDOS環境において行うため、特にWIN2000あたりは難しくなってしまうらしい。WIN2000は基本的にDOSは使えないからだ。
 そんな訳で色々調べたところ、「HD革命Back Up」が唯一DOSを使わずにバックアップできるソフトだと判明した。15,000円だが、これなら買う価値はあるだろう。なにせ以前買ったバックアップソフトは、WIN2000でも使えると書いてありながら、全然役に立たなかったのである。
 さらにこのソフトは、USBやIEEE1394経由の外付けHDDを認識してくれると言うのも大きい。この辺はソフトによっては全く認識しない物もあるらしい。
 なんにせよ、色々と面倒な事ではある。


2004年09月20日(月) 江沢民が引退

 ニュースによると、北京で開かれていた中国共産党の第16期中央委員会第4回総会で、江沢民・中央軍事委員会主席の辞職願を全会一致で承認し、胡錦濤国家主席兼党総書記が後任に就任することを決定したそうである。

 これにはかなり驚いた。あの江沢民が自ら引退を表明するとは思ってもいなかった。
 やはり先日のサッカー・アジア大会における日本へのバッシングが世界的に問題視された事から、責任を取ったのだろうか(もちろん今が引き際だと計算したのだろうが)。いずれ江沢民は軍部での絶対的権力を握っていたため、胡錦濤国家主席の行う経済政策に対して常に反発していたのは事実で、中国がなかなか政治的に一本化しない原因の一つであった。
 これで今後は自由経済安定路線(高度成長ではなく、バランスの取れた経済政策である)を目指せるようになるかもしれないし、さらに毛沢東−トウ小平−江沢民と続いてきた軍主体の反日教育が、ようやく是正される可能性も出てきた訳である(これは日中戦争がベースにあるから、根が深い)。

 そして一番重要なのは、もし本当に江沢民の権力が小さくなれば、今まで北朝鮮を庇護してきた軍部の戦略も変更できるかもしれない、という事だ。
 現在の中国経済は、アメリカと日本の存在を無視しては成り立たないところまで来ており、胡錦濤率いる政治部はアメリカ寄りの経済政策を取りたがっていたが、江沢民の軍部に対する権力が絶大だったため、中国の政治内部も腰が引けていたのである。だから、北朝鮮を庇護する軍部をどうにかしろと言うアメリカの圧力に対しても、ほとんど打つ手がない状態だった。

 そもそも江沢民にしてみれば、反日教育の徹底および北朝鮮の崩壊防止のためには、北朝鮮への援助打ち切りを認めるわけには行かず、それが経済的、外交政治的に中国の多大な負担になっていたとしても今さら方針を変える訳にはいかなかった(中国軍部は、もし北朝鮮が崩壊すると、アメリカにより北朝鮮と中国に駐留軍が来て、軍部は完全に支配されると頑なに信じている。まさに教育の成果である)。いざとなればクーデターも辞さないという覚悟だったらしい。
 だから、胡錦濤と江沢民は政治的に対立していたが、やはりクーデターは無視できなかった訳である。

 そして胡錦濤が中央軍事委員会主席になったという事は、もしかしたら中国共産党という組織の考え方を変えられる可能性もある。
 中央軍事委員会というのは、大国では唯一の「銃口から政権が生まれる」という、クーデターを認める文字通りの共産主義国家である。したがって今後も、場合によってはクーデターが起こる可能性もあるのだが、江沢民が完全引退なら、その可能性はかなり小さくなる。

 今後の中国がどこまで変わるのか、あるいはまったく変わらないのか、これからの動きが注目されるが、それでも急激な変化は無理で、変わるとしても5年以上の長期で考えるしかないだろう。そのくらい、江沢民の実権力は強かったのである。


2004年09月19日(日) ソニーはやめる、東芝はやめない

 今日はいわさき氏から、新鮮なさんまが届いた。ちょっと多かったので、先日のお礼をかねてT氏におすそ分けをする(何のお礼かは秘密だ)。これはいわさき氏も納得するであろう。

 そして二時間ほど雑談をしてきたが、この時、ビデオでスーパーモタードという競技を見た。これはオフロードバイクに前後17インチ位の小径オンロードタイヤを履かせたモデルで、ジムカーナのようなサイズのサーキットを走るのである。こういう競技は知らなかったなぁ。
 しかしバイクは500cc以上あるので、コーナーはカウンターを当てたりして、滑る滑る…。

 さて、先日のニュースによると、ソニー・ミュージックエンタテインメントがCCCDを全廃すると発表した。
 さらにはアーティストに叩かれているエイベックスも、全廃とはいかないが、使用するアーティストを選択する方向になるらしい。何を今さらだが、やらないよりははるかにいい。
 一方で、東芝EMIとユニバーサル・ジャパンは現状のままと、強気である。相変わらず消費者不在のメーカーだ。CCCDはCDプレイヤーを壊す可能性があるが、もし壊れてもその証明を消費者が行わなければならないため、メーカーとしては全然気にしていないのだろう。

 ちなみに知らない人もいるかも知れないので書いておくが、CCCDは音楽CDの企画から大きく逸脱している。というか、明らかな規格外である。パソコンでは音質を落としたサブトラックの音しか聴けないし、フェイクTOCという音楽データとは関係ない部分を挿入している事で、物によってはピックアップが延々訂正作業をして、CDプレイヤーが物理的に破壊されるケースもありうるという訳だ。
 その他にも問題が多々ある規格外CDなので、自分の機械が大事だと思うなら、かけない方がいい。
 もちろん私は、CCCDは絶対に買わない。商品として考えた場合に不良品である物を、金を出して買わなければならないというのは明らかに異常だ。まあパソコンのソフトも似たような物だし、その先例があるからメーカーも胡座をかいていられるという訳だ。

 しかしソニー・ミュージックエンタテインメントの全廃理由が、「CCCDだとiPODでは利用できず、ネット中心にダウンロードされる事の危機感から」だと言うが、これは少々変である。本音を言えないから仕方がないというところか。
 もちろん実際問題としてそういう危惧もないとは言えないが、本当は先日のCCCDを巡る日本の裁判で和解が成立した事への対処だというところではないのだろうか。和解と言っても、実質的にはメーカー側の負けなのだから、ソニーは早めに手を打ったと言う事なのだろう。
 さらにフランスでは、ユーザーがEMIを提訴し、これに勝訴している。世界的にCCCDは劣勢なのである。

 いずれCCCDは、一部のメーカーを除いて使用されていないのだが、イギリスのように、輸出分はCCCDを許可しているが、自国内の販売分はCCCDを禁止しているというケースもあるから、日本国内ではそれなりの数が出回っている(なぜ自国内で販売を禁止しているのかと言うと、消費者に対して不利益になるからと禁止されたのである。身勝手ではあるが)。
 今まではわざわざ輸入盤を買ったりしていたが、これも音楽業界が画策した「改定著作権法」が6月に通ってしまったので、一般消費者には難しくなってしまう。

 多分こうして画策した会社の上層部は、なぜ音楽CDが売れないのか、全然考えた事がないのだろう。
 まあ東芝EMIなんかは、ビートルズやピンク・フロイドといった、特に宣伝しなくても売れ続ける「金のなる木」を持っているから、高度成長期の日本という考え方しか出来ないのかもしれない。つまり商品は右肩上がりで売れ続けるという妄想だ。
 こうなると上層部がすべて入れ替わらない限り、改善は望めない。我々にできるのは、CCCDは絶対に買わないという事だけだ。そして良識のあるアーティストもCCCDには反対しているので、悪い物だと言う声を社会に定着させるしかないのである。

 関係ないが、ビートルズと言えば、カラオケに彼等の曲があるのは当たり前だが、現在は「アビィロードB面メドレー」というものまであるのだそうだ。へぇ〜、へぇ〜…、という訳で私としては18へぇだな。
 B面メドレーというからには、「ヒア・カムズ・ザ・サン」からではなく、やはり「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」からなのだろうが、それにしても凄い時代になったものだ。
 まあキング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」とかピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」なんかがカラオケにあるというのだから(どちらも長い割に、ほとんど歌詞はない)、メドレーくらいで驚く事もないのかもしれない。


2004年09月18日(土) THX-1138

 うかつにも知らなかったが、「THX-1138」のDVDが9/23に出るという。
 もちろんLDで持っているのだが、今回のは改訂版だと言うので、ちょっと中身に興味があって調べてみた。場合によっては買うかもしれないからだが、どうもこれは「スター・ウォーズ」とは趣が全然違う改訂版のようだ。
 元々この作品は、ルーカスが学生時代に作った短編を、コッポラがプロデュースして長編化したものだが、ワーナー・ブラザースはこの作品が理解できず、あちこちカットさせた上で公開をさせたものなのだが(これを契機に、コッポラとの以後の契約が破棄されたくらい、不入りだった)、今回のDVDは、このカットされた部分をネガを元にリマスター処理を施し、復活させたものなのだという。

 そもそもこういう作家性が強い作品を、製作会社の都合で無理やりカットしたり作り変えた場合、それを復元するのは大いに意味がある。「ブレードランナー」や「未来世紀ブラジル」を見てもわかるだろう。復元によって、当時の監督が何を考えていたのかが判るのだ。
 これは同じ監督の作品であっても、「スター・ウォーズ」とは話が全く違う。元々公開予定だった形に復活させるだけで、新しくフッテージを作る訳ではないのだ。
 そしてこのDVDには、元になった「電子的迷宮/THX-1138:4EB」という、ルーカスが学生時代に賞を獲得した短編も収録されるという。これは是非見たい。これだけのためにも、このDVDを買う価値があろうというものだ。

 ところで。
 プロ野球は史上初のスト決行だそうだ。
 私はプロ野球を見ないのでどうでもいいのだが、やはり急遽中止という事は、怪獣映画でもやるのかな。それとも海外テレビドラマのスペシャル版か? 
 いや昔は実際そうだった。「0011ナポレオン・ソロ」とか「スパイ大作戦」とか…、それはもう雨が降るのを楽しみにしていたもので、だからテレビでのプロ野球放映は大キライだったのである。なにせビデオなどなかった時代なのだから。
 ちなみに言うと、小学校の頃の野球は、私にとってやるものであり見るものではなかった。中学からサッカーに切り替えたけどね。

 いずれ今回のスト、テレビのニュースで見ている限りファンの間では好意的に受け入れられているようだが、やはりそれは首都圏や球場の近くに住んでいる人の意見でしかない。
 私の周囲にもプロ野球のファンがおり、この青森からわざわざ東京まで見に行ったりしているのだが、スト決行という事は、チケットが払い戻されたとしても、交通費、宿泊費がすべてムダになるのである。これについては当然だが誰も保証しないし、そもそも少数意見だから無視されるのがオチだ。
 結局、バブル崩壊後は、ありとあらゆるジャンルで田舎は置き去りなのである。


2004年09月17日(金) スペース1999と後生鰻

 帰宅すると、アマゾンからCDが届いていた。昨夜の時点でメールは来ていなかったので、ちょっと連絡が遅いと思う。当日メールをよこされてもなぁ…。

 そして何が届いたかと言うと、「SPACE:1999-YEAR1」、つまりUK盤ファースト・シーズンのサントラである。YEAR2は以前、「UFO」と一緒にブートで入手したので、とりあえずはこれで「SPACE:1999」のサントラは、ほぼ揃ったという事になるのだろう。
 ちなみにYEAR1はBarry Gray、YEAR2はDerek Wadsworthとコンポーザーが違うので、当然ながら雰囲気が全然違っている。そもそも作品自体の雰囲気が違うのだから、どちらがいいという比較は出来ない。
 どちらも作品にあった音楽なのだから、全然質が違うのだ。
 しかしTerra Novaと言う曲、始めの部分はどう聴いても「UFO」を「ベン・ハー」風にアレンジしたという感じで、なんだか笑える。

 さて。
 栃木で起きた兄弟誘拐殺人事件については、二人とも死亡が確定した。
 川に投げ込んで殺した実行者は責められてしかるべきだが、そもそもこの事件のきっかけを作ったのは他ならぬ被害者の親である。この辺はきちんと追求するべきだろう。

 ところでこの事件を聞いて、一部の落語好きは「後生鰻」を思い出したと言う。どういう話かはここを見て欲しい(多分これが一番判りやすいと思う)。
 http://www.remus.dti.ne.jp/~izaki/syokikai/rakugo/gosyounagi.html

 確かにこの落語のストーリーを聞くと、まさに今回の事件を連想してしまう。いや、本来は逆なのだが、そもそもこの話を知らない人にとってはそうなってしまう。殺した方も、殺された親の方も、どちらも人間としては問題があるだけに、なおさらこの落語の赤ん坊が事件の子供たちとダブってしまう。

 一応CDでは志ん生のが出ているが、最近では文珍も出したらしいので、これはちょっと聞いてみたい。
 この落語、オチはある意味残酷ではあるが、とにかく悪意が全くないので、つい笑ってしまう。笑っていいのかどうか判らないのだが、それでもやっぱり笑ってしまう。
 少なくとも、落語としては悪趣味だとは思わない。ある意味で人間の愚かさ、悲しさを表わしていると言っていい。

 これは文章で読むより、話を聞いた方が面白さは伝わるのではないだろうか。やっぱりシュールな落語というのは心底凄いと思う。
 こういう落語を、モンティ・パイソンのメンバーが全盛期に聞いていたら、どういう感想を抱いただろう。その辺は興味がある。


2004年09月16日(木) 「スター・ウォーズ」はどこへ行く

 今月末に出るスター・ウォーズ三部作のDVD(もちろん最初の三作だ)だが、オリジナルでないのは当然として(ルーカスは、これを永遠に封印すると宣言したからだ)、特別篇とも違っているのだという。
 なんでもダースベイダーの顔を差し替えたりしているらしいから、当然他にも手を加えた部分があるのではないだろうか。もしライトセーバーのシーンが修正されていたら感心するが、その他は別に手を加える必要などないだろうに。そもそもここは特別篇の時に直すべきだったのだ。
 とにかく今回、明らかにルーカスはやりすぎだ。

 この改変を歓迎するむきもあるようだが、それは間違いだと断言する。
 我々リアルタイムで見てきた者は、合成がずれていようが、技術的な限界から動きがぎこちなかろうが、それらも含めて映像に感動したのである。そういう事を差し引いても素晴らしい映像だったのだ。
 それを今さらデジタル処理で綺麗な映像にしても、仕方がない。ここまで技術が発達すると、時間と金をかければ綺麗になるのは当たり前ではないか。当時は光学合成と言う、限界がある技術でいかに凄い映像を作るかと言う創意工夫が随所に見られたからこそ、楽しめたのである。映画評にも書いたが、「ジェダイの復讐」が光学合成の物理的限界だったのである。そこまで当時のILMはやってしまったのだから凄いのだ。

 だから百歩譲ってデジタルのそういう改訂版を作るのを認めるとしても、当然オリジナルも平行して販売するべきだろう。私は、感動した元々の作品を見たいのである。オリジナルを見られないのは、我々の感動を否定する事に他ならない。
 それは自分勝手な考え方だと思う人もいるかもしれないが、そもそもルーカスの行動自体が自分勝手である。当時の観客を完全に無視しているのだから。

 さらに日本版の題名である「ジェダイの復讐」を「ジェダイの帰還」に直すのだと言う。おそらくこれもルーカス側の圧力であろう。なんだかなぁ、である。
 でもこれが許されるのなら、「ファントム・メナス」という題名も「見えざる脅威」とかなんとかに当然直すべきだと思うが、これを直さなかったら片手落ちというものだ。「ジェダイ」以降、視点が子供向けにシフトしたシリーズなのだから、子供が判る題名にしないといけないのだ。
 いずれ公開当時と映像も題名も違うのなら、それは別物である。公開当時のオリジナルと改訂版の両方をソフト化するのが、映画人としての良心というものだ。

 でも私はLDボックスでオリジナルと特別篇の両作品を持っているので、ここまで来ると、もうどうでもいいや、という気になってしまうのも事実だ。
 すべてのスター・ウォーズ作品を映画館の封切りで見てきたので、これらはいわば青春の記録なのであるから、もちろん来年公開予定の最後の作品も見に行くが、エピソード1を見た時点で、もうスター・ウォーズという言葉に興奮する事はなくなってしまった。
 オリジナルと特別篇、「二つで充分ですよ」。

 しかし改変ついでに、某作品のように「I am your mother」になっていたら面白いだろうなぁ。そこまでやったらすべてを許してしまうかも。


2004年09月15日(水) 子供が殺されると憤るぞ

 昨日の日記を今日になって読み返したら、ちょっと論理の展開が破綻していた。まあ一気に書いたのだし、仕方がないか。やはり翌日アップした方が文章のチェックはできるが、一気に書いて載せた方が、その時の気持ちがストレートに出ていて、私としては面白い。
 という訳で、今日も一気に…。

 栃木の行方不明だった子のうち一人が遺体で見つかった。
 しかしこの事件、もちろん誘拐殺人容疑の下山容疑者が悪いのだが、そこまで追い込んだ人間の存在があるからすっきりしない。
 そもそも殺された子供たちの親である小林某というのは、子供がいる人のアパートに子連れで転がり込むと言うのがまず非常識だ。ニュースでは二人とも暴走族上がりだという事だが、そもそも暴走族上がりと言うのは、人に迷惑をかけていてもそれを理解できない程度の知能だから困ってしまう。

 よく「暴走族は卒業した」なんて事をいう奴もいるが、それは中退の間違いだろう。単に自分が飽きただけなのに卒業などという言葉を使って欲しくないものだ。人間的に成長して暴走族を辞めた訳ではないのだ。暴走族なんてのは、そういう存在なのである。走り屋とは全く次元が違うし、結局は暴力団予備軍でしかない。
 暴言だと言われるかも知れないが、そんな人間が子供を育てるというのは、所詮無理なのである。法律で規制してもいいくらいだ。そのくらい社会に迷惑をかけている存在なのである。

 そして、暴走族が人に迷惑をかけている事を認識できないというのは、精神的に子供だという証拠である。佐世保の事件の女の子と、実は精神構造が同じなのではないだろうか。もちろん子供はそれを徐々に学習していくのであり、あの女の子はそれをマスターする前に犯行に及んでしまった悲劇なのだと思う。
 だが、バイクに乗る年になってもそれを認識できないようでは、人間失格だ。ましてや今回の「親」は40近いのである。もう呆れるしかない。

 さらに、今回も児童相談所がまったく役に立たなかった。
 この日記で何度も言っているが、ほとんどの児童相談所は、ある種の人間が定年後に金をもらうための存在に成り下がっている。今回も「警察が動いていると思った」というとんでもない言い訳を発表していたが、それがいい年をした大人のコメントか? やる気のなさが滲み出ているではないか。
 せっかく周囲の人が虐待だと察して届けているのに、それらをすべて無視したのである。少しは動いたと言うが、結果として無視したのと同じである。

 結局今回も、子供たちがダメな大人たちの犠牲になったという訳だ。
 一般人が悲劇を食い止めようとしているのに、そのための組織が全然動こうとしない。素晴らしい社会だよ、まったく。


2004年09月14日(火) いい死刑? 悪い死刑?

 池田小学校で大量殺戮を行った宅間被告の死刑が執行された(各メディアでは児童殺傷事件という言い方をしているが、児童相手のこの行為は殺戮以外の何物でもないだろう)。
 まあ死刑判決自体には驚かなかったが、この異例の速さは何だというのだろう。1審大阪地裁判決が確定しただけではないか。上告しなかったにしても、異例である。これだけ早いと、被害者の家族は納得できなかったのではないだろうか。
 やはり裁判所も検察側も、そして弁護側も、精神障害というものがちらついている以上いずれ人権保護団体が出てくるのは判りきっているから、さっさと片付けたかったという事なのだろう。

 そもそも私は基本的に死刑制度には反対である。理由は二つ。
 まず誤審が避けられないという事。特に日本の裁判官は当たり外れが大きく、誤審で死刑になったら取り返しがつかない。
 もうひとつの理由は単純で、国が代わりに死刑にしても遺族の恨みが晴れるのか、という疑問があるからだ。特に今回の宅間被告は改悛の情が見られなかったと言う。そんな状態で死刑にしたところで、遺族が納得できるのだろうか。多分同じ状況に陥ったら、私なら納得は出来ない。

 したがって、仮に100%絶対に間違いのない裁判システムが存在するのなら、死刑に賛成してもいい。別に加害者の人権まで積極的に守ろうなんて思うほど、私は人間ができている訳ではない。
 実際には100%間違いのないシステムなどありえないのだから、死刑制度に反対しているのである。
 ちなみに言うと、死刑は犯罪抑止の役には立たないというのが、定説である。

 こうして考えると、やはりアメリカのように「懲役500年、恩赦なし」というようなシステムの方がはるかにいいと思う。これは昔、日本の法曹界でも論議されたそうだが、「懲役500年などと言うのは、人間の寿命を考えれば非論理的かつ非常識」だという意見で流れてしまい、以後誰も検討していないらしい。
 だが殺人でも早ければ3〜4年で出所できる現状が、正しい姿だとはとても思えない。そしてそういう人間の再犯率は意外と高いのである。「俺は人を殺した」というセリフが脅しになるし、捕まったところで数年で出られると判っているから、要は世間をなめてしまうのだろう。
 悪質な犯罪にはそれなりの対応をするべきなのである。

 そしてそれとは別に、今回の死刑執行の早さは、ある疑念を抱く。
 つまり国が自分に都合の悪い人間がいたと判断したら、さっさと抹殺できるという事を示しているのだ。まず抹殺した上で、後から「誤審でした、すみません」と謝ったところで、やってしまった物は元に戻らない。してやったりと陰で舌を出して笑うのは目に見えている。
 ちょっとオーバーだと言うかもしれないが、少なくともそれが可能だという事を提示してしまったのだ。

 そして超党派の議員連盟や日弁連、人権保護団体などが大騒ぎをしているようだが、こういった連中は海外の目や加害者の人権しか考えていないケースが多いので、私は信用していない。
 どうも根本的な事を見落とした論議しかしていないと感じてしまう。

 とにかく死刑制度には反対だが、現状の刑法制度がいいとは全然思っていない。というより、ほとんど欠陥だらけだと言える。刑法が世間の現状に全然追いついていないし、裁判官の数も足りなければ教育もなっていない。
 こうなっては、「犯罪者の更生を促す」という考えに固執せず、「犯罪者を減らすにはどうすれば良いか」という方向へシフトする事も考える必要もあるだろう。

 でもそうなると、「恐怖政治が一番」という事になってしまうかもしれないが…。


2004年09月13日(月) マサカはギリシャの料理?

 それはムサカか…。

 某所で、「真逆」という言葉の用法についての書き込みを見た。
 これは広辞苑では「まさか」で載っており、「まさか、そんな事が起こるとは思ってもみなかった」というような使い方をする。そもそもそんなに一般的な漢字の使い方ではないが、そこまでは判る。
 しかしこれを「まぎゃく」「しんぎゃく」という読み方をする人が増えているのだと言う。意味は「真に逆である」という事らしい。これは初めて知った。というかそういう使い方をしている人が大量に存在すると言うのが驚きだった。まさに初耳である。
 あまりに気になったので、検索したらいくつか引っかかってきた

 とある掲示板では、オーナーが「この誤用が始まったのがいつごろなのかを知りたい」という事を言っていたので色々な書き込みがあったが、かなり昔からそう読んでいた、というかそれしか知らなかったと言う人が多々見られる。
「数学が元では?」という意見もあったが、私は聞いた記憶がない。まこさんあたりは知っているかな?
 少なくとも2000年後半に発売されたゲームで、誤用が完全かつ爆発的に定着したらしいのだが、それ以前から使用していた人もいるという事ではある。ただし1980年以前から使用していたという例は、まだ見当たらない。 だいたい、用法からすれば「逆」という言葉の意味に「真」をつける必要などないだろう。どうも近年日本語の扱いが軽いためか、二重に強調している言葉が多いと感じるが、まるで「馬から落馬」と同じくらい違和感がある言葉が多い。

 なんだか、日本語が崩れていくのをリアルタイムで見ているようだが、これはネットだからこそ、なのかもしれない。
 ネット以前は爆発的に広がるのが雑誌、テレビ、ラジオという比較的限られた媒体だったので、誤用だと訂正する人もそれなりに存在したのだが、ネット社会では見ている人の教養が限定されている社会なので、誤用があっても誰も気づかないという事も多い。だからこそネットというのは慎重に利用しなければならないのだ。

 そもそもいくら検索エンジンが発達しても、そこに書かれた内容が正しいかどうかは、本人が判断しなければならない。そのためには内容を吟味できるだけの知識とともに、疑うと言う事も必要になる。
 と、例によって話はだんだん大きくなっていくのであった。


2004年09月12日(日) デンキネコが見たい

 昼になって、部活の子どんぐりを遠くの中学校へ送る。12時頃に出発なので、なにかと慌しい。というか、何もかもが中途半端になってしまう。

 帰りは近くの書店で待ち合わせという事で、一度帰宅し、DVDで「リベリオン」のガン=カタ・シーンだけを二度見る(何でだ?)。
 やはり何度見てもかっこいい。あのいかにも「気配で撃つ」という雰囲気がいいのだ。けっして射線上を見ている訳ではなく、顔は前を見ているが左右の敵を撃つ、というのがいいのである。これがガン=カタの「型」と言われる所以なのである。

 その後すぐに出かけて書店などを見てまわる。この時、何故かDVDが2割引だったので、以前から欲しかった「PATLABOR MOVIE ARCHIVES」を買う。ついでなので「攻殻機動隊タチコマ追悼盤 be Human」も買う。ただしこちらは定価だが、500円の割引券をもらったのでよしとしよう。
 しかし菅野よう子って、意外とロックの心得もあるようだ。70年代ロックのイメージを習得しているような曲が、かなりある。やはりこの人のも追いかけて見るべきなのだろうか。

 ところで、こうしてCDとDVDを一緒に買うと、その価格にはえらく差がある、というか、なぜCDは安くないのだろうと思ってしまう。
 そう思っていたら、たまたまネットのニュースに「メーカー側が定価を維持できる再販制度の対象となっているのは書籍、雑誌、新聞、レコード、音楽用テープ、音楽用CDの6品目」だけだというのがあった。つまりDVDは入っていないから、どこもあれだけ安売りできるのである。知らなかったなぁ。
 DVDが許されるんだったら、別にCDだって一割くらい下げてくれたっていいではないかと思ってしまう。こっちは年に数枚、なんて訳じゃあないんだからさ。
 なんて声が上がると、6品目が7品目になるのかもしれないが。

 夜、いわさき氏から久々の電話。
 岐阜のSF大会の話などを聞く。やはりまこさんのテルミンは年々パワーアップしているようだ。
 あと「デンキネコ」を2本見て、そのうちの「かみなりだま作戦」は必見だ、との事。要はこれ、サンダーボール作戦のパロディで、竹内均まで出てくると言う。話を聞く限りではとても面白そうだ(彼の話術のせいもあるかな)。販売されたら買うのだが、007が絡むと販売は難しくなるのではないだろうか。でもこれは私も是非見たいし、欲しいなぁ。
 辺境に住んでいると、何らかの上映会すら期待できないのが悔しい。
 そう言えば「ガメラ4」も見たいが絶望的だよなぁ(もちろん、来年公開予定の作品とは無関係だ)。
 来年は横浜だし、なんとか参加してみるかな。

 ところで、夕方になってPCのデフラグをかけたら、これが三時間もかかってしまった。再インストールした時に、パーテーションを変更してCドライヴを大きくしたためだろう。
 もっと拡散した状態だったらどうなるのだろう。難儀な事である。


2004年09月11日(土) エアウルフまで出る

 朝一でKCよりブツが届く。
 読んでいたら午前中が終わってしまった。やはり後半、みんながいい人になっていくあたりからしても、まるで「みず谷なおき」の本を読んでいるようだ(もちろん誉め言葉だ)。
 しかし1990年代は、やたらとcz75が流行っていたんだなぁ。

 ネット上で、カメラの価格等を調べていたら、午後も終わる。
 やはりネット上の安価販売している店で、さらにローン販売可能というところはきわめて少ない。というか、今のところ一軒しか見つからない。しかもいくら安価と言えども、12回ローンにするとかなり高くなる。
 安価販売している店は、それなりの歴史と信用がないと、東北の片田舎に住んでいる身としては心配になるのだが、そうするとどうしても一括払いになってしまう。地元と比べて、20,000円近く安いというのが判ってしまうとなぁ。数千円なら安心料として地元で買えるのだが…。

 ただ、そもそもEOS7sという機種自体が、想像していた以上に流通していない。出た時期がデジタル一眼の戦国時代突入直前だったからだろうが、やはりこれは早めに押さえておいた方が良さそうだ。
 もっともそんな時代なのにフィルムカメラとしてEOS Kiss7というとんでもない機種まで出すのだから、キャノンも侮れないのだが。

 そんなこんなでネットをうろついていたら、例の新世紀合金シリーズの次のアイテムが「エアウルフ」という記事があった。写真はまだ試作段階の物しか載っていないが、電池でメイン・ローターとテイル・ローターが回転するとの事だ。しかも限定版で別ヴァージョンのカラーも出すと言うのだが、これがどういうカラーリングなのかは、さっぱり判らない。
 そろそろ雑誌側も情報提供はネットに依存しているのか、雑誌だけではまったく追いつかなくなってきた。スピードの問題だけならまだなんとかなるが、情報そのものが載らない事も増えてきたし、仮に載っても売り切れた後では意味がない。

 夜になって、テレビでは9.11テロに関する番組が多い。
 その中で、「たけしのこんなはずでは」をなんとなく見たのだが、ほとんどトンデモ本の世界だ(以前からそういう番組だったが)。
 特に「ビルに突撃した旅客機は、地上からの遠隔操縦だった」とか言うのになると、信じる方がどうかしているだろう。主張している弁護士も「私の調査では」を連発しているが、結局確実な証拠が何一つないどころか、憶測でしかない。
 現代アメリカの弁護士の場合、真実の追求ではなく「裁判に勝つ事」が第一義なのである。信用してはいけないのだ。

 ただ、「ペンタゴンへ本当に旅客機は激突したのか」というのは、当時からの疑問ではある。グローバルホークが突っ込んだという説はともかくとして、旅客機が突っ込んだにしては被害が異様に少ない、というのは航空関係者の間では当時から言われ続けていたのである。
 また、ペンタゴンの近くに墜落したと言われた旅客機について、続報がなかった(誤報という事になった)というのは意外だった。確か便数なども発表されていたと思ったのだが、不思議である。
 これに関しては、はっきりした答えが知りたいと思っていたものである。

 結局、陰謀説が出た時点で、真実の解明が遠のくのは間違いない。双方の情報戦になってしまうと、無用な雑音も侵入して、ますます情報は錯綜してしまう。

 しかし事件の後、アラブ系の人間に対する迫害の仕方を見ていると、アメリカは真珠湾の時から何一つ変わっていない国だと判ってしまう。
 やはり民族としてみると、アメリカ人も他の民族も、ナショナリズムと言う物に関しては同じで、一見、世界の治安を維持する国連のような活動をしているようでも、所詮は自国のためなのである。それでもそんな国に従わないと、日本は多分生き残れない国だというのが悲しいが、それが政治的現実というものだ。


2004年09月10日(金) 何事もない一日

 会社は朝から忙しい。一名抜けた穴をカバーしているので、一日が本当に早い。しかも時間が制限される事ばかりだから、疲れる疲れる…。

 子どんぐりは授業で水泳…。本州の端っこでまだ水泳をするか? そこまで時間が足りないなら、イベントを減らせよ、と怒りたくもなる。そもそも授業で勉強という物をあまりしてないぞ。

 さて、昨夜は「押井守・映像機械論[メカフィリア]」に一通り目を通したのだが、なんと内容は連載時のままである。テーマ別に順序は変えてあるが、内容は変わっていない。
 これで何故驚いたかと言うと、デザイナーの出渕裕に対する文章がそのまま載るとは思ってもみなかったからだ。多少は編集するのかと思っていたのだが…。
 もうとにかく彼に対しては罵詈雑言に近い書き方をしていたのである。あれは連載当時に本人はそうとう驚いたとの事だが、それがそのまま単行本になったのだから、読んでいるこちらもさらに驚いてしまう。
 一応後ろに載っていたインタビューで「僕も大人ですから」という事を書いていたし、納得ずくではあるのだろうが、いや、凄いなぁ。

 しかし劇場版ラーゼフォン(出渕裕監督作品)のDVDには、その二人の対談が載った小冊子が付いている。そういう状況下で作られたにしては、マニアの間でも評価が高い内容になっている、らしい。押井監督のテキストとして読めるらしいので、是非とも読んでみたいのだが、そのDVDを買う余裕はない。
 押井監督のネームバリューが上がるにつれ、色々なジャンルに顔を出せるようになったのはいいのだが、そうなると今度はすべてを追う事が不可能になる。以前は「出た物をすべて買っていればいい」という事が可能なほど、メディアへの露出度は低かったのである。
 今の状況が、良いのか悪いのか…。

 おおっ、なんだか今日は書く事がないな。


2004年09月09日(木) BURRN!とメカフィリア

 先日話題にした、20周年を迎えた雑誌「BURRN!」だが、実はまだ買っていない。
 という訳で本屋に行ったら、これがまったくない。そりゃ確かに入荷数は少なかったのだが…。他の場所でようやく一冊だけ置いてあるのを見つけたので購入する。一応20周年だからね。

 で、レコード・レビューを見たら、なんと「ハート」が11年ぶりのスタジオアルバムを出していて、かなり驚いた。これはちょっと聴いてみたいかな。
 まあ女性ヴォーカルのロックと言うのは、これでなかなか難しく、例えば「ラナ・レーン」なんかは、私の場合すぐに飽きてしまう。「ハート」は意外とロック好きのツボを押さえているので、それなりに楽しめたのだが、やはり「ラナ・レーン」は単調な感じがしてしまう。
 過去に「ルネッサンス」という偉大なグループもあるが、ああいう方向性は簡単に真似は出来ないだろう。ただのマネで終わってしまう可能性大だからだ。
 同じ欄に「ルナティカ」というグループも紹介されていて興味はあるのだが、やはり女性ヴォーカルのロックというのは、どうしても警戒してしまう。そもそもこの辺では置いてないからなぁ。

 そして帰宅後しばらくして、アマゾンから「押井守・映像機械論[メカフィリア]」が届いた。最初の発行予定から1年以上経ったような気がするが、まあいいか。
 という事で、ぱらぱらとめくってみたら、なんとイラストに色が着いている。写真もある。しかも最後の章は書下ろしである(ただし、連載終了直後の、ではあるが)。当時は本にまとまる可能性は低かったので(実際、「イノセンス」がなかったら出版されなかっただろう)一応連載時のモデル・グラフィックス誌はすべて保存しているため比較できるが、これでは編集に時間がかかったのも、ある程度は納得できる。
 価格が2940円と高めだが、元々この出版社のは高いし、まあ内容を考えればこんなものだろう。いや、出版物として考えれば、合格点である。押井ファンおよびメカファンにとっては、だが。

 ところで書き下ろし部分を読んで意外だったのは、押井監督は「ライトニング」の大ファンとの事だ。もちろんBACライトニングの事だ。
 まあ私も嫌いではないが、戦闘機としてはあまりいい機体ではない。元々迎撃機だから仕方がないのだが、贅肉を落としすぎた機体なのだ。だから増槽を主翼の上に配置すると言うとんでもない事をしなければならなくなったりする。押井監督はそんな機体が大好きで、とにかく迎撃機と言う物に惹かれ続けたのだと言うから恐れ入る。

 しかし「迎撃機と呼ばれるものは何でもチェックし、謎の円盤UFOのインターセプターにも惹かれ、事のついでにエリス中尉のファンになった」と書かれていたが、これはとても良く判る。
 かく言う私も、UFOは登場するメカニック群に惹かれて見たのだが、そのついでにエリス中尉とストレイカー司令官のファンになったものだ。
 それはともかく、押井監督が自らの映画におけるメカをどう考えていたのかが非常に良く判り、その理屈を説明しているのだから、ファンでなくとも読む価値はある、と思う。


2004年09月08日(水) せんべい汁応援歌?

 台風の吹き返して、すごい風だった。
 雨が伴わなかったのが不幸中の幸いである。もし雨が降っていても、あれでは傘がさせないではないか。そして夕方のニュースで津軽のりんご園の映像を流していたが、見事なまでにボロボロとりんごが落ちていた。

 昨日書き忘れだが、ヨーロッパが再結成していた。またエイジアも活動を始めたらしい。過去の名前に頼るというのも情けないが、今はある程度の名前がないと、仮に実力があっても活動できない時代なのだから、ある程度は仕方がないのかもしれない。
 もっとも、エイジアには今回もジョン・ウェットンはいないし、曲自体もあまり良くないと言う噂だが…。

 曲と言えば、青森県南、というより八戸地区限定の「せんべい汁」という料理があるのだが、これの公式応援歌という物が発表された。(http://www.senbei-jiru.com/で一番だけ聞ける)。
 そもそも「せんべい汁」という存在そのものが「一体なんじゃ、そりゃ」というネーミングで、私も初めて食べた時は、心底驚いたものだ。食べてみれば、「ひっつみ」と同じような物だとすぐに判るのだが、まあ昔は米が全く取れなかった土地なので、こういう代理食が発達したのだろう。
 ちなみに、郷土料理といいながら、家庭に定着したのは昭和40年代の事らしい。意外と歴史は浅い。

 それはともかくこの曲は、いかにも戦隊物という感じの曲で、まあノリはいいんだろうが、すぐに忘れられる可能性が高い。
 いわゆる戦隊物のテーマというのは、どちらかと言えばワンパターンで、覚えやすい反面、差別化が難しく、端的に言って区別がつきにくいのである。毎年同じ年齢の子供を対象にしている戦隊物の存在理由からすれば、それは当然で戦略的にはきわめて正しいのだが、応用するのは意外と難しいのである。
 しかも「日本ブレイク工業」という最強の営業ソングが存在する現在、やはりインパクトは小さいと言わざるを得ない。
 まあ、演歌でこられるよりははるかにマシではあるが…。ちなみに演歌は、その発生当初から進化の袋小路に入ってしまった存在で、音楽としてはとても認められない。民謡やカントリーのように、自然発生したものとは一線を画すると思う。余計な事だが…。

 そして八戸近郊には、「せんべい汁」と並んで不可解なネーミングの「いちご煮」という物も存在する。実際に出された物を見ても「???」という料理ではある。
 こちらは高いから、応援歌なんかは出来ないのだろうな。


2004年09月07日(火) 20周年かぁ…

 雑誌を見ていたら「トッド・ラングレン」や「キャラヴァン」が10月に来日すると言う。
 これは行ってみたいなぁ。無理だけど…。とにかく最近は、こじんまりとした所に1970年前後の有名どころが来ている。この方がいかにもライヴという感じでいいのだが、田舎では絶対にありえないパターンでもある。
 まあ大きなホールをいっぱいに出来ないからという事情もあるだろうが、もともと東京ドームのような巨大会場でのライヴは大っ嫌いなので、いい傾向だと良い方に考えてしまう。

 いくら大音響のロックであろうとも、私は観客との密着度が重要だと考える。ただその場で騒げればいいというのではだめなのだ。そのプレイヤーと一緒に楽しめなければ、ライヴとは言えない。
 そういう意味で、1981年に初来日した時のクリムゾンは、非常に楽しかった(私は浅草国際劇場で見たが)。ああいう体験は、多分もう二度とクリムゾンでは味わえないのだろうと判ってはいるのだが、やはりそれでも来日する度に行ってしまうのだ。

 で、ふと隣に置いてある「BURRN!」を見たら、これが創刊20周年なのだそうだ。今月号は久々に買ってもいいかもしれない。
 立ち読みしたら、今までの色々な歴史を簡単にまとめてあり、ドリームシアターの実質的デビューである2ndは、1992年発売だったと再確認する。まだ12年しか経っていないのに、押しも押されもせぬ大物である。このアルバムは一時期毎日聴いていたものだ。
 このアルバムは日本では圧倒的支持で迎えられたが、アメリカでは音楽業界ですらこれを理解できず、わざわざ日本の事務所に問い合わせて、その後シングルカットされ、アメリカで大々的に売り出されたのである。

 そんな事を思い出していたら、コージー・パウエルが事故死したのは1998年4月8日だったというのも思い出した。バイクで足を骨折して、まだ完治していなかったためイングヴェイとの来日ができず、彼が来日している時にサーブ9000での自損事故である。何故かこの時「さすがはイギリスのロッカーだなぁ」と訳の判らない感心の仕方をしたものだ。
 日本ではあまり大々的に取り上げられなかったが、やはり実力のあるドラマーは少ないので、残念な出来事だった。

 ちなみにこの雑誌、初代編集長は酒井康氏なのだが、私は彼が作った「炎」の方をもっと続けて欲しかった。あれは非常にバランスの取れたいい雑誌だったのである。ロック好きの中年が好みそうなロック以外の話題も多く、まさに大人のロック好きのための本だった。
 廃刊になったのは、あくまで親会社の事情であり、決定した時の編集後記が凄まじかった。2ページにわたって「……」だけだったのである。これだけでも、かなりの怒りが伝わったものだ。

 そう言えば、以前「ラストメッセージin最終号―休廃刊雑誌286のサヨナラ語録」という、休刊・廃刊を遂げていく雑誌の編集後記ばかりを集めた本が出ていたのだが、買うのを忘れていたなぁ…。


2004年09月06日(月) テロのためのテロ?

 9月に入ったとたん、もうテレビではストーブやスタッドレス・タイヤなど、冬物のCMを流し始めた。まだまだ日中は暑いのだが、画面は寒い。

 そのテレビのニュースでは、先週ロシアであった学校篭城テロの模様を流しているが、かなり悲惨な結末であった(もちろんこれは、最悪ではない)。

 これについてイスラエルの新聞であるイディオト・アハロノトは、「ロシアの特殊部隊員の多くが、逃げ惑う子供を守る際に死亡したとみられる」と報道したらしい。本当だとするとかなり悲劇的である。
 こういう大量の子供が人質になった場合、軍側は犯人制圧部隊と人質救出部隊という二部構成でいかなければ、結局子供たちの救助に手間取る間に犯人側の抵抗が大きくなり、いたずらに犠牲が増えるのである。
 特に今回は、爆弾をあちこちに配置してあったようで、こうなると起爆装置をもった犯人の制圧が一番重要になる。もちろん複数の人間がデッドマン・スイッチを持っている可能性もあるので、簡単に射殺という訳にも行かないのがテロ対策の難しさだ。だからこそ事前の準備が重要になる。
 多分今回は、偶発的に軍の突入が起こったのだろうが、それにしてもちょっとお粗末である。50時間以上も経過していたのだから、それなりの準備は出来ただろうに。

 しかしここまで子供たちを追い詰め、いざという時に混乱を起こしたのが当初からの計画だとすれば、かなり冷酷なテロリストである。実際今回のテロは、冷酷さではかなり際立っているという。元々人質を殺す事が目的だった可能性も高いらしい。
 まあテロリストというのは、どんな大義名分を掲げていても、所詮は弱者を対象にした人殺しである。政治の指導者を直接狙うより、弱者を利用したほうが簡単かつ効果が大きいからだ。テロというのは弱者の武器ではあるのだが、だからと言ってテロリストの肩を持ってはいけない。

 ところで仕掛けられた爆弾には、例によって釘や金属片が仕込まれていたようだが、ニュースで見るとボールベアリングのような物も見られる。最近は足がつきやすいから、パチンコ玉は使われなくなったのだろうか。ベトナム戦争の頃は使い古しのパチンコ玉(当然、日本製)がかなりの数使われており、多分あの頃の武器輸出では最大の威力だったと言ってもいいのではないだろうか。
 直接武器と関係のないものが、武器として使用されるのも、戦争と言うものの恐ろしさなのである。

 そもそも日本は武器輸出を禁止しているとは言っても、豊和はライフルの下請けをしているし、M-16用コルト社純正スコープがニコン製だったと言うのは、ミリタリーの世界では常識である。自由経済とはそうしたものだ。武器と全く関係のない大手メーカーなど、ほとんどないと言える(流石に日産は、ミサイルから手を引いたのかな?)。
 だからテロリストとしては、可能性は著しく低いが、日本を襲う口実として利用するのは簡単なのだ。例えそれが誇大妄想であっても、である。

 いずれ殺された子供たちは哀れである。そしてその親はもっと哀れである。


2004年09月05日(日) ニフティに変更

 昨日は「しりあがり寿」氏が講演で来ていたのだが、結局子どんぐりの送迎で時間が取れず、諦めてしまった。まあ今回の講演時間は短かったし、あまり大した事は聞けなかっただろうと、勝手に思い込む事にしよう。

 今日も今日とて、朝も早くから子どんぐりの運転手である。なんだかここ数週間というもの、平日より早く起きているので、休みにくつろいだ気がしない。そしてこれがしばらく続くのだ。
 ちなみに今日は三沢の航空祭だったのだが、見事なまでに曇天で、これはどう見ても曲技はあるまいと思っていたため、個人的には一安心である。
 夕方のニュースでは、ブルーインパルスは地上演技のみで、米軍のF16ですらデモンストレーションを中止したとの事だ。やっぱりねぇ。雲が低すぎたから当然であろう。ショーなのに雲の上を飛ばれても、仕方がないではないか(本当は危険だから、なのだが)。
 そして人手は17万人だったそうで、これは去年とほとんど同じはずだ。

 さて、使用していたプロバイダーを、ODNからニフティに変更した。
 ODNを運営している日本テレコムがヤフーの傘下に入ってしまったためである。急激に巨大化してしまったヤフーでは、末端での運営に非常に不安があるし、そもそもこういう状態で顧客獲得をするという事は、末端の会社では何をやっているか判らないのである。
 端的に言って、組織としてのヤフーは信用できないと言う事だ。

 という訳でこまごまとした変更などがあるのだが、その過程で、e-honで予約していた押井守の「映像機械論[メカフィリア]」が、何故か予約から消えていたのが判明した。いくら出版が伸び伸びになっていたからって、勝手にキャンセルするかね。仕方がないので、アマゾンで改めて予約しておく。
 この時ついでなので、DVDの「ロマン・ポランスキーの吸血鬼」と、サントラCD「SPACE:1999」も発注する。すべて予約商品なので、いつ入荷になるかは運次第ではあるが。
 そう言えばサントラCDの「Thunderbirds 2」はまだ買っていないが、国内版で1と2のカップリングが出てしまったからどうしたものだろう。ただし価格が4000円と異様に高いので、多分買わないとは思うが。

 そんな事をしながら、久々にジョン・ウェットンの1999年東京ライヴを聴く。
 しかしこれ、演奏が下手、というか雑である。確かに曲自体は名曲が多いのだが…。そもそもこのCD自体が、前後して同じような内容のアルバムを出しているのだから、ただの金稼ぎだったのだろう。とにかくワンパターンと言われても仕方がない内容なのだ。
 もちろんこれは、日本において彼のアルバムはブートですぐに出回るという事への対応もあるのだろう。つまり、ブートで出されるくらいなら自分で稼いでしまえ、というところだ。しかし例えばキング・クリムゾンのように、出すならそれなりの音質にする、あるいは内容で勝負というのならまだ判る。そういう気配りもせずにただ出しているだけでは、はっきり言ってブートと大して変わらない(ちなみに、今のブートは音がいいのだ)。少しはファンの事も考えて欲しいものだ。

 とか言いつつ、それでもつい買ってしまい憤るというのが一番良くないよなぁ。どうせそういう内容だと言うのは買う前から判っていたのだから、むしろ買う方が悪いよなぁ。

 で、クリムゾンのコレクターズ・ボックスのVol.8はどうなっているのだろう…。


2004年09月04日(土) 流浪の部活

 今日は出勤日である。
 ただし午後は休みを取って、子どんぐりの送り迎えをする。おかげで午後はまるまる潰れた。
 ここしばらく送り迎えが多いが、中学の体育館が改築中で使えず、あちこちの中学の体育館を借りて「流浪の部活」をしているためである。しかし本当に不便な場所ばかり借りている。明日も朝から隣町まで行かなければならないのだが、三沢の航空祭があるので、どの程度道が混むのかちょっと想像がつかない。

 夕方、本屋に行くと、棚のかげから「キャンディーズ」という文字が見えた。何かと思ってみると「タイムトリッパー・キャンディーズ・メモリアル」という雑誌であった。
 中を見ると、キャンディーズや木之内みどりなどが紹介されている(南沙織とか山口百恵というあの時代のアイドルだ)。内容的にはそれほど珍しいものではないため迷ったが、付録が「キャンディーズ出演CM収録」というDVDだったのでつい買ってしまった。
 基本的にリアルタイムで見ていたが、まさかこういう形で世に出るとは思っても見なかったなぁ。

 そのDVDを見る前に、「サンダーバーズ」(もちろんアメリカ空軍の方ね)のドキュメンタリー等をダビングしてもらっていたので、それを見た。
 これは以前、富田さんのところで見せてもらった物と同じなのだが、やはり面白い。こういうバックグラウンドを知ると、いかにエア・ショーが大変なものなのかが良く判る。それでなくともサンダーバーズのショーは、自衛隊のブルー・インパルスとは桁違いの迫力なのだ。
 ちなみに自衛隊がヘタだというのではなく、アメリカは飛行機が日常の足であり、またショー・ビジネスの国だから、死と隣り合わせの迫力も当然と言えば当然なのである。

 そしてこの後に、現用ジェット戦闘機の歴史のような物も入れてもらったのだが、これもまた勉強になる。まあ大概は知っている事ばかりなのだが、文章で読むのと映像で見るのとでは、やはり迫力、情報量とも違う。
 ちょっと意外だったのは、ユーロ・ファイターが、F16と同じく機体をわざと不安定にさせて格闘性能を上げているのだという点だ。だから通常はコンピューターが一秒間に数千回の微調整を行っており、人間の力だけでは飛ばせない機体なのだという。
 このユーロ・ファイターもF16も、人間の耐えうる9Gを簡単に超えてしまうので、パイロットは耐Gスーツを着用しているのだが、ナレーションでは「いずれ人間が邪魔になってしまい、無人機の時代がくるかも知れない」と言っていた。
 これって「戦闘妖精・雪風」のテーマのひとつではないか。
 元々F16が開発された時、旋回時のGは訓練されたパイロットが耐えうる9Gを超えていたため、わざわざリミッターをつけて性能を殺していた訳である。だから当時から戦闘機にとって人間は邪魔な存在になってしまっているのではないか、と思われていたのである。もちろんAIなんかが未発達の時代だ。

 こうなってくるとF22の次の機体のコンセプトはどうなるのか、非常に興味はある。
 ただし仮想敵国であったソ連が崩壊した現在、アメリカとしては不必要に高性能かつ高価な機体を作るメリットはあまりない。そもそも議会の賛成を得る事が難しくなっている。
 そうすると、戦術はともかくとして、戦略の基本概念の見直しという事もありうるのかもしれない。


2004年09月03日(金) 次の4年間

 今日は一応28度くらいまでは上がったようだ。夕方になってもまだ24度以上あり、暑い。

 北京の日本人学校に北朝鮮脱出者とみられる29人が逃げ込んだ。
 中国側は「いわゆる『人権組織』が違法入国者を扇動し中国の法律に違反することは許せない」と表明しているが、やはり北朝鮮が崩壊しては困るので、配慮している訳である。まあアメリカが大統領選でそれどころではないという事情もあり、ある程度強気に出ているのだろう。
 ただし、オリンピックを4年後に控え、「人権無視の国」と言われ続けるのも困るという事情もあるので、今後の動向が気になるところだ。
 つまり「中国でのオリンピック開催」というのは、世界の政治にかなりの影響を及ぼす可能性がある。アメリカ大統領の任期も次の4年だし、政治的にはこれから激動の4年間になるかもしれない。

 そのアメリカ大統領選だが、現状ではブッシュ再選の可能性が高い。なんと共和党の大会で、民主党の議員がブッシュの応援演説までしていたくらいだ(これは共和党があまりにリベラルになったため、南部の保守派がぶち切れたためらしい)。
 だからヒラリー女史は立候補していない。彼女は次の4年間は、再選したブッシュにテロ対策を任せて国内を安定させ、その次の大統領を狙っているのだろう。そういう、政治的には賢い人だ。
 そもそもアメリカは、一度テロと戦うと明言した以上、その方向を簡単に変える訳には行かないので、次の大統領は非常に大変なのである。そんな苦労をするよりは「戦争を始めたブッシュに任せてしまえ」と考えている政治家も多いだろう。したがってアメリカのメンツを守るためには、どんな形であれ、次の任期期間中にある程度のケリをつけないといけないのだ。これは並大抵の事ではない。

 ただし、こういう話題になると日本のマスコミはとたんにおとなしくなるから、あまりテレビや新聞は参考にならなくなる。情報は海外の物も必要になってくるし、また信用できる評論家も見極めなければならない。正しい判断を下すには、正しい情報が必要なのは当たり前である。
 そしてその当たり前の事をするのが難しいのも、日本の特徴なのである。

 さて、「イノセンス」のDVDで、「リミテッドエディション VOLUME 1・DOG BOX」の発売が、9/15から10/20に延期された。他のは予定通り出るし、ハダリ付きのスペシャルですら10/15である。
 理由はバセットハウンド・フィギュアの制作が遅れているためという事だが、細かい修正でも入ったのだろうか。押井監督の注文したハードルがそんなに高かったと言うのだろうか。

 いや、これは多分「金型に傷をつけて修正に手間取った」と私はにらんでいるのだが…。真相はいかに。


2004年09月02日(木) いいワープロ、悪いワープロ

 昨日はマンガの感想を書いたが、読み直すと肝心な事が抜けていたりする。まあ日記だし備忘という事で。
 ただこれだけは書いておかないといけないかな。
 実は子供が主役のアクション・マンガはあまり好きではない。場数を踏んだ大人に、かなう訳などないのだ。だから「エリート」のような設定が必要に…、あ、特殊装甲強化服の原点って、もしかして「エリート」?

 それはともかく、だから昔の少年漫画は、主人公が子供であっても、必ず周囲に優秀な大人を配してシリアスな展開をさせたり、あるいは子供なのか大人なのか良く判らないような書き方をして、バランスを取っていたのである。
 今の若手のマンガがつまらないのは、そういう社会のバランスが描けていないのも一因なのだろう。

 話は変わって。
 一昨日の「プロジェクトX」では、東芝によるワープロ開発をやっていたようだが(実は見ていない)、やはり日本語の文章をつくるのはワープロ専用機の方がはるかにいい。ノーマルのパソコンでは、その言語変換効率は著しく低く、会社では、単漢字変換すら必要になってしまう。何故か「東京都」が一回で変換されないのである(等去雨都だったか、とんでもない物が第一候補に出てくるのだ)。

 私自身、ワープロは1985年頃から使っていたが、その経験上からも、パソコンでは日本語変換能力は軽視されていると思う。とにかく快適には文章を作れないのだ。
 やはり日本語の文章を打つには、日本語専用の機械が一番いい。日本語という特殊な言語は、アルファベット民族との汎用機では自ずと限界が見えてくる。彼等には、そもそも漢字が際限なくあるという感覚は、恐らく想像の埒外であろう。

 やはり自分の文章を打とうという時に、余計な労力は使いたくない。定型文ならともかく、自分を強調する文章では、ある程度スムーズに変換してくれないと、結局文章自体が平凡になっていく(今でも充分平凡? ほっとけ!)。
 という訳で、そのうちATOKと一太郎を入れてみたいと思うのだが、実際の感覚はどうなのだろう。少なくとも開発者の意図を見る限り、基本的には優れたソフトだと思っているのだが。


2004年09月01日(水) 漫画いろいろ

 台風が去って、また暑くなってきた。夜になってもまだ暑い…。

 さて、KCから「砲神エグザクソン」「ジオブリーダーズ」が各々2巻ずつ届く。やはりこの辺では見つからないし、立ち読みも出来ないので、とても助かる。

 まず「砲神エグザクソン」、これはなかなか面白い。
 もう少しシリアスでもいいかな、という感じもするが、バランスはそう悪くない。メカ的演出としてはイデオンを連想させるが、まあロボット・ヒーロー物としては、男の子の夢に近いといえる。

 アシストするアンドロイドは、ちょっとご都合主義的万能兵器ではあるが、まああの程度は許さないと、コブラのレディになってしまいそうだ。
 個人的には巨乳の女性キャラというのは、アクションの邪魔だし、そもそもデザインとして美しいとは思えないので大キライなのだが、それに意味を持たせたのはエライのだと思う(もちろんこじつけではあるが)。

 SF的ネタや各種の説明も、適度にしている感じがして、話のスピードがあまり落ちていないのはいい。いずれ、「男の子のための、ちょっとシリアスなロボット物」としては、なかなかうまい作り方をしている。
 ただしあの博士のセリフは、ゲッターロボの神隼人を連想させるが、やはり意識しているのではないだろうか。
 まだ2巻なので、「砲神エグザクソン」は70点というところか。

 そして「GAN SMTH CATS」は、薀蓄漫画になっている部分が多いのが惜しまれる。暴言かもしれないが、「美味しんぼ」のアクション版といえば判りやすいだろうか。料理なら薀蓄もあまり邪魔にならないが、アクションでは難しいのだ。
 語りたいのはとても良く判るが(例えばcz75は、ファースト・ヴァージョンとセカンド・ヴァージョンでは雲泥の差がある、という話とか)、やはりこういうのはある程度絵で説明しきってしまわないと、せっかくのスピードが死んでしまう。薀蓄なら薀蓄だけで一話描いてしまった方が、はるかにいいだろう。
 そういう意味で、「ワイルド7」中期までの望月なんかは、薀蓄の挿入がうまいと思う。

 あと「かわいい女の子キャラ」というのが、個人的にはちょっと、なのだ。やはりガン・アクションをするにはそれなりの女性を描いて欲しいと思う。
 この手の漫画の、多分先駆けとなったと思われる「みず谷なおき」氏は、ちゃんとキャラを書き分けており、この子ならあれだけのアクションをこなしても不思議ではない、という描き方をしていた。特に「ブラッディ・エンジェル」や「シナモン・シリーズ」は、アクションがかなり描けている。
 そして前者では、婦人警官がスーパーの強盗に出くわした時、「どうしてスーパーの強盗がcz75なんか使うんだ!」と叫ぶのに対し、犯人が「理屈じゃないんだ!」と叫ぶ。この辺のギャグの入れ方と説明のカットの仕方は実にうまいと思ったものだ。ただし1999年に享年38で亡くなっている。つまり新作はもうないのが惜しまれる。

 それはともかく「GAN SMTH CATS」に出てくる話題は、まるで雑誌のGUNを読んでいるようで、実際ほとんどのネタはこの雑誌で取り上げられている。物によってはどちらが先が判らないが、かなり参考にしている事は間違いない。そういう意味では読んでいて楽しいのは事実だ。やはり薀蓄とは、捨てがたいものがあるのだ。
 実際ほぼ毎月GUN誌を立ち読みしているだけで、かなりの知識は得られる。機種名なんかは忘れるのもあるけど…。そしてその時系列を覚えていると、こういう漫画がいつどこで影響を受けているかが如実に判り、それまた楽しいのである。
 ただし、漫画特有のウソもあるので、描いてある内容を100%信じてはいけない。

 ところで、ワルサーP-38の射撃シーンがあったが、これはエアガンを見て描いたというのが一目瞭然であった。チャンバー内がエアガンのシステムなのである。こういうところはもっと勉強して欲しいなぁ。
 という訳で「GAN SMTH CATS」は75点かな。

 最後に「ジオブリーダーズ」だが、これはあの厚生省の存在等、ストーリー的には非常に気になるのだが、いかんせん絵があまり好みではない(キャラもそうだが、ごちゃごちゃして見にくいのである)のと、笑わせようという意図が空回りしているのがいただけない。
 またベースがシリアスなら、物理法則はあまり無視しないで欲しいと思う。そして主人公が危機に陥ってもほとんど無事だが、無理な演出の後で「結局無事だった」は止めた方がいい。あれではただのご都合主義になってしまう。
 という訳で「ジオブリーダーズ」は今のところ60点。もちろん今後の展開次第で変わる訳だが。

 という備忘日記であった。


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