どんぐり雑感
シネマ館
「スター・ウォーズ」
これについては最初に言っておく。誰かルーカスを止める奴はいなかったのか。 [ジェダイの復讐]を見た時の哀しさなんか吹っ飛ぶほどの凄さである。キャラクターとしてあのジャージャーはひどすぎるし、ストーリーもあまりに偶然が多すぎる。 映像的にはともかく、映画としてはまるでなってない。 ところで、前作である[特別編]を観た時に「なぜライトセーバーのアニメートを修正しなかったのか」と思っていたが、これを見てなんとなく理解できてしまったのは私だけではないだろう。 つまり彼の興味の本質はカーチェイス、突き詰めれば若くして怪我のために断念した「レースへのあこがれ」にあったのだと思う(そもそも1作目ラストのデススター・トレンチ内における戦闘シーンは、上下の動きがほとんどない事からカーチェイスの変種と言える)。 この作品におけるレース・シーンの描写は、まさに病的である。私は未見なのだが、DVD版ではここがさらに長くなっていると聞く。実際映画館で観た時、全体のバランスとしてレース・シーンは少し長いと思ったが、レースの構成だけで考えると妙に短く半端な感じはしていた。やはり上映時間の問題から、本来考えていたよりも短くせざるをえなかったのだろう。 いずれにしてもレースとチャンバラでは、その力の入れ具合があまりにも違いすぎる。ダースモールとの戦いでも、あれではカタルシスがまったくない。 おそらくルーカスの中では、サムライという物の必要性は、とうの昔に消え去っていたのだろう。 邪推だが、1作目を作る時に「世界のミフネ」にオファーしたが断られたという時点で、彼にとってオリエンタル・ミステリーたる「サムライの精神」と「フォース」の融合は、あきらめたのではないだろうか。 そう考えれば、彼が映画的にカタルシスを求めるのはレースであるのも納得できるし、全体の雰囲気にジャージャーのように素っ頓狂なキャラを、あえて持ってきてピエロ役にしたのも、なんとなくうなずけてしまう(それが良い事かどうかは別の問題だが)。 つまりジャージャーとは、ルーカスが考えるところの、菊千代なのだ。 またこの作品の問題として、音楽があまり重要な役目を持っていないという事がある。前三作に比べて、映像とマッチして印象に残る曲がない。 ルーカスは最初の頃よりも、音楽の重要性を軽視するようになったのだろうか。それとも単純にジョン・ウイリアムスのせいなのだろうか。 これを書いている時点で、もうすぐ「エピソード2」が公開されるが、少なくとも映画としては期待していない。でも観に行く事だろう。まったく、まんまとルーカスの罠にはまっている訳である。 あとこれは配給会社への苦言だが、「ファントム・メナス」などというタイトルではなく「見えざる脅威」とかなんとか、とにかくシリーズに統一性を持たせる邦題にすべきだったと思う。これは明らかに子供の視線へとシフトしてしまったシリーズなのだから。
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