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2003年01月31日(金) 他人はいい仕事してる

 昨日、NUTZさんから届いていた「謹賀新年CD-R」を聴く。
 しかしCD-Rを利用すれば、「曲目解説」や「昨年買ったCD」などの長文を載せられるという事に気がつかなかった。迂闊である。

 でもNUTZさんの選曲はいいなぁ。かなり好みの曲が集められているので、非常に参考になる。といってもこの辺ではストレートに入手できないものばかりなのだが。
 「昨年買ったCD」も詳細な説明があって、自分が買ったCDと比較すると、かなり信頼が置けるのが判る(もちろん自分にとってだ)。おかげで買うかどうか迷っていたのを、買うのと当面いらないのに分ける事ができた。
 特に「AMAROK」って結構前から気になっていたけれど、こういうサウンドなら買ってもいい。

 しかしこうして人のやっている事を見ると、なんて自分は怠惰なのだろうと思ってしまう。こうやってきちんと分類・整理して、解説まで作っているのを見ると、本当に凄いと感心するだけだ。自分はCDだってNUTZさんの1/10位しか買っていないような気がするから、なおさら恥かしくなってしまう。
 でもこういうのを具体的に目にする事で、励みにはなる。


 ところで、日本レコード協会の会長に、エイベックスの社長が就任するそうだ。もう日本のレコード業界も終わったな。これから日本の音楽業界は、衰退するのみだろう。少なくとも才能あるアーティストを育てるという雰囲気はなくなった訳だし、消費者の事は完全に無視する体質になるのは間違いない。
 まあ、日本の音楽業界にはなんの期待もしていないし、聴くのは主にヨーロッパの音楽だから、どうでもいいや。
 
 こうして消費者は離れていくのが判らないんだろうな。



2003年01月30日(木) 次のコナミは

 コナミの次のラインナップがHP上で正式発表となった。

 2/17が「懐かしのSFビークル」としてイーグル1ホーク・マークIXスティングレイ、メカニカルフィッシュマックスカーU-59スーパーカーである。でもこれだと、U-59とかスーパーカーがダブると嫌だなぁ。
 でもイーグルやホークは最低3機ずつは欲しいぞ。というかイーグルは10機欲しいくらいだ。希望どおりの数を集めるのはとても難しい。
 やはりコナミも、UFOとは違って、判る人が管理していないという事か。

 そして3/3が「SFムービーセレクション プレミアムパック」なのだが、これはなんと1パック\500とはずるい。なにせ内容が「SID」+「イーグル・レスキュータイプ or XL-5」という組み合わせというのだから、明らかに適当な仕事である。普通のファンなら、本来はイーグルが大量に必要となるのだ。
 どうも今回の担当は、ファン心理という物を無視しているとしか思えない。
 コナミは少しくらいサービスしろよ。今までさんざん買ってきてあげたんだから。

 ところで。
 会社では相変わらずやな事が多い。配置が変わった時、適当な引継ぎで逃げて、後は責任転嫁するってのは、とっても楽なんだろうなぁ。調べる資料が、な〜んにも残ってないし。聞けば忘れたと言うだけだし。
 で、何故かそういう人に限って、役職が上がっていく。なるほどねぇ。「自分では」ミスを犯していない訳だもんなぁ。



2003年01月29日(水) ギャビン・ライアルの訃報

 朝にフジのテレビを見ていたら、新聞記事の紹介をするコーナーで、メインの記事のすぐ隣に「ギャビン・ライ…」という文字と「内藤氏が」という文字が見えた。
 これはギャビン・ライアルが死んで、内藤陳のコメントではないのか、と思いネットで調べたら、やはりギャビン・ライアルの訃報があった。ここで内藤陳のコメントを載せたというのは、なかなかいい記事だと思う。できればちゃんと読みたかったぞ。

 しかし驚いたのはギャビン・ライアルが70歳だったという事だ。もっと年をとっていたと思っていたので、意外だった。
 つまり「深夜プラス1」を発表した時は35歳だった訳だが、私が読んだのはその8年後でしかないのに、もう大巨匠扱いだったので、この時点で年寄りだとばかり思っていたのだ。

 以前、アレフレッド・ベスターの訃報を読んだ時に「え、まだ生きてたんだ」と驚いたが、今回も同じ驚きと共に、意外と若かったというのが、自分の認識不足が判ってしまって面白い。勉強不足とも言うが…。

 まあ一度思い込んでしまうと修正はなかなか難しい、という見本であろう。

 しかし「深夜プラス1」って、戦争物以外でモーゼル・ミリタリーを活躍させた唯一の小説ではないだろうか。実際あんなでかい銃を冒険物に使用させようなんて普通は考えない。そういう意味でも凄い小説だったと言える。



2003年01月28日(火) やっと「クラインの壷」を見る

 富田さんにダビングしてもらった、NHKジュニアドラマ「クラインの壷」を見る。これは昔の「少年ドラマシリーズ」を復活させたようなドラマで、1996年の作品だ。

 この頃は仕事のセクションが変わり、とんでもなく忙しかった時期で、知らずに見逃していたのだ。
 しかし改めて調べて驚いたのは、これは平成ガメラ1作目の翌年公開なのだ。忙しかったとは言え、何故知らなかったのだろう。不思議だ。なにせ中山忍が前半のヒロインなのだから。
 でも後半は何故か佐藤藍子にシフトしてしまうのが残念だ。はっきり言ってこの子はヘタだ(確かに耳が大きいのには驚かされてしまった)。それでも人気はあったらしいが。

 内容は往年の少年ドラマシリーズの雰囲気そのままだが、現実と仮想の区別がまったくつかなくなる話なので、小学校低学年には判りにくいだろう。
 そして驚いた事に、ラストに希望がない。主人公の男の子は二度も失恋した上に、今いる世界が現実なのか仮想なのか、まったく区別がつかなくなってしまうのだ。これは悲惨なラストだ。

 ほとんど押井守の好きな世界ではないか。というか、ウルトラQ的世界と言えるかもしれない。これをもう少しひねれば、大人向けの、というか普通の映画になる内容だ。
 未見の人には一度見る事をお勧めする。視聴対象が子供でこんなラストというのは、もう二度と見られないのではないだろうか。

 なお、音楽は川井憲次だった(!)ので、劇場版パトレイバーや攻殻機動隊のものが、一部でそのまま使われてたぞ。



2003年01月27日(月) 赤方偏移していたとは

 どんぐり2号が某所の掲示板で拾ったネタ…、

  >昔みた千と千尋は赤くなかった。
  >昨日みた千と千尋は赤かった。
  >したがって、この作品は地球から高速に遠ざかっているといえる。

 つまりジブリの作品は赤方偏移しているからああ見えると言う訳だ。これはなかなかうまい。ザブトン5枚くらいはあげてもいいぞ。

 で、何から高速で遠ざかっているかといえば、当然映画ファンからだ。いや映画ファンだけではなく、一般消費者からもだ。テレビ放映の前後はスタジオの電気やシステム工事があるからと、一切の連絡が取れない状況を作っているところもなかなか凄い。まあ抗議の嵐が来るのを判ってて呑気に構えてたら、それはそれでバカだが。
 でもクリエイター集団というものではなくなってしまったように感じるのは、私だけではあるまい。

 ただ、今回の騒ぎに乗じて、「もののけ姫の時に引退するといったのに、ぬけぬけと復帰しやがって」というコメントも見かけるが、これに関してだけは事情が違う。

 あの当時、ジブリは本当に経営の危機にあり、もしこけたらそのまま某銀行が経営権を引き継ぐ、というところまできていたのだ。そんな状態であの性格だから、引退するというセリフが出た訳で、つまりあれは「俺が抜けたジブリで、お前らは何が出来ると思っているんだ」という、いわば銀行への当てこすりというか、脅迫だったのだ。なにせアニメのアの字も知らない某銀行が、ジブリを欲しがっていたのだから。
 さすがに当時の徳間書店の社長をしても、ジブリへの金集めは大変だったらしい。

 そもそも「となりのトトロ」だって、同時上映が「火垂るの墓」だったせいもあり、大コケだったし、なんだかんだ言っても昔はジブリ作品には人が入らなかったのだ。
 だから当時のジブリは常に戦闘状態だった、という事だけは理解しておいた方がいいと思う。
 この復活劇と赤方偏移とは、まったく次元が違う問題なのだ。

 でも、「ジブリの森の美術館」の館長って、宮崎駿の息子だって、本当かね。これは知らなかった。
 自分の息子にいろいろ継がせるというのは、クリエイターとしては良くない傾向なんだけどなぁ…。



2003年01月26日(日) あっという間に休みの終わり

 偶然「ゲッターロボ アーク」を見つけたので買う。しかし去年の7月に出ていたとは知らなかった。2話までしか読んでいなかったので、忘れていたのだ。ま、内容としてはある程度進まないと話が見えてこないのは、石川賢だからいつもの事だ。 むしろ問題は、きちんと話にオチがつくかどうか、である。
 しかし「ゲッターロボ」の最初のマンガを読んでから、シリーズとして25年以上つきあう事になるとは、思ってもみなかったなぁ。

 あとは一緒に「きみの血を」を買う。なんとシオドア・スタージョンの1961年の作品だ。
 これは小説としては悪くないのだが(ほとんど一気に読んでしまったくらいだ)、やはり題名からある程度の展開は予想がつくし、解説もそれを助長してしまっている。でも読み終わると、薄気味が悪いのは確かだ。人によっては嫌悪感をいだくであろう。
 ただし帯に付いている「異形の吸血鬼小説だ」というコピーには異議を唱えたい。これはそういう見方をしてはいけないのではないだろうか。あくまで「一般と異なる生活形態の者と会った時、どういう感情を抱くか」という、ファースト・コンタクト物の亜種ではないのだろうか。

 ただ、これを吸血鬼物と考えた場合、ハマーのドラキュラ物というのは、一般大衆向けエンターテナーとして非常に良く出来ていたと言わざるをえない。
 少なくとも「きみの血を」は、エンターテナーとしての映画化は無理だ。怪奇映画の雰囲気は十二分に持っているのだが、ストレートに映画化したら、観客の拒否反応の方が強いだろう。出版から40年以上経つのに、いまだに嫌悪感を抱かせ得る小説というのは、そうそうあるものではない。


 ところでここ数日、サンダーバードやUFOのサイトを覗くと、やはりコナミの食玩「キャプテン・スカーレット」の話が載っている。しかしどうもみなさん思い入れがないと言う。私とほぼ同じような年齢の人でも、サンダーバードとUFOは大好きだったが、ほかはあまり覚えていないらしい。
 う〜む、謎だなぁ…。私は一連の作品を忘れた事はないし、メカだって鮮明に覚えているのだが。

 だから「コナミの食玩も出尽くした感がある」などという書き込みには、「それはないだろう」と、かなり呆れてしまう。まだまだ出して欲しいメカはたくさんある。

 あ、そう言えばサンダーバードのサントラを予約していない。これはまずい。どうも2月3月と、妙に琴線に触れる物が出るのは何故なんだろう。



2003年01月25日(土) ようやくCDを引き取る

 昨晩は、子どんぐりが結局「千と千尋の神隠し」を最後まで見てしまった。はじめは別に見なくてもいい、とか言ってたのに。
 しかし予想はしていたが、DVDと同じマスターで放映したようだ。以前見たDVDと色調は同じである。元々劇場では観ていないので、自分の目での比較は出来ないが、ネット上で色々比較してあるのを見る限り、色は赤が強く感じるし、ジブリらしくない色使いと感じる部分もある。

 まあそれはどうでもいいのだが、一番問題なのは、これが欠陥かどうかをメーカーが全く問題にせず、出したものはそのままゴリ押しすればいいという前例を作ってしまった事だ。欠陥でなければしっかり検証すれば良かったのに消費者の意見は無視した訳だ。
 結局DVDというメディアは、映画ファンや観客のためにあるのではなく、「使い捨て消費者を対象とするメーカー」のために存在するという事になる。だから300万枚などというふざけた枚数を平気で出す訳だ。

 それはともかく。 
 ようやくクリムゾンの「ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ」とウェットンの「ロック・オブ・フェイス」を買う。金がないと発売日に引き取れなくて往生する。

 しかしこの「ロック・オブ・フェイス」、日本盤のCDジャケには「オヴ」と表記してあるがおかしくないか?
 そもそも原題は「ROCK of FAITH」であり「of」は普通「オヴ」とは表記しないだろう。どうも最近、こういう誤記が多い。それともメーカー側は、かっこいいとでも思ってわざとやっているのだろうか。
 これだけで、アルバムの評価が少し下がってしまうぞ(なんか最近、日記の内容が文句ばかりだ)。

 内容はのっけから「狂ったダイアモンド」かと思うような曲で驚かされたが、さらになんとなくエニワンズ・ドーターのような雰囲気が続く。ヴォーカルが始まるまでは…。
 しかし今回のアルバムは、全体的に非常におとなしい。これではライヴであまり使えないのではないかといらぬ心配をしてしまう。そしてエニワンズ・ドーターとかムーディ・ブルースのようなフレーズがふと聞こえるのは、気のせいだろうか。
 でもバックにパーカッションを利用して、民族音楽のような雰囲気もかすかに匂わせているのは、ちょっといいかもしれない。これをもっとストレートに出してしまったら、マイク・オールドフィールドになってしまうが。

 そしてクリムゾンは、前作の「しょうがない」を踏襲してあり、大幅なイメージの転換はない。だからある意味インパクトはほとんどなかったというのが偽らざる感想である。
 元々彼らはライヴが主体のグループだから、このアルバム単体で評価するのは早いかもしれない。4月のライヴを見た上で評価すべきだろう。
 ただ、インタビューで言っているほどメタルではない。というか、まだ完成していないと言うのが正しいのではないだろうか。

 過去、誰も言及していないと思うが、クリムゾンのアルバムには、完全にコンセプト・アルバムとして完成された物はないと私は思っている。彼らにとってスタジオ盤は二の次であり、ライヴこそがその本領を発揮する場だったのだ。
 だからこそ、70年代のライヴは伝説なのだ。



2003年01月24日(金) 「むげん」摘発にからんで

 モデルガン・ショップの「むげん」が20日、改造銃容疑で摘発されていたそうだ。エアガンのバレルやスライドなどを金属に換装した物を販売していたという事らしい。確かに以前からアルミスライドなどの広告を見かけ、法的な問題はないのか不思議だった。

 しかし何故今頃なのか。警察はその実態は以前から分かっていたはずで、相変わらず「そろそろこのへんで少し逮捕者でも出しておくか」という軽い気持ちなのかも知れない。
 なぜなら、本当に危ないと思っていたのなら、もっと早くに動かなければいけないからだ。例え指導という形でもいい。警察が言うように本当に危険に物なら、こんなに市場に出回ってからでは遅すぎる。はっきり言って、無駄な摘発か、そうでなければ警察は怠慢である。いままで見過ごして来た事で、一般市民への危険度があがった訳なのだから(もちろん、警察が言うように本当に危険な代物ならば、だ)。

 ちなみに摘発後も他のショップでは、平然とこれらのエアガンは売られているそうだ。やはり意味がない。

 そしてこれに関して調べていたら、昨年の12月1日から、警察庁が「けん銃使用・取り扱い規範」を改正し、拳銃を発射する際の判断基準を明確化し、事実上、使用を緩和したと言う事が判った(不覚にも知らなかった)。

 これは実に恐ろしい。警察は不祥事は隠すし、それでなくともバカな警官だって少なくない。まさに「キ×ガイに刃物」状態の奴だっているのだ。
 衆人環視の元で本当に危険な状況の使用ならともかく、状況が不明確で撃たれた人間が死んだ場合、警察側は絶対に自分の非は認めない。少なくとも当初は絶対に否定する。今までの事件では、ほとんどがそうだった。事件直後だというのに「調査中」ではなく「非はなかった」と断言するような連中を信用できる訳がない。
 つまり全く犯罪とは関係ない人間が殺される可能性が高くなった訳だ。

 だいたい、警官は拳銃を持つ必要はない。イギリスのように特殊部隊をきちんと配備すればいいのだ。
 毅然とした特殊部隊があれば、日本のような社会ではそれだけで威嚇になったのに、それをやってこなかったから、警官の銃はただの飾りだと犯人も充分に承知して抵抗するのだ。

 そもそもいくら警官だろうが、そのほとんどは銃に関してはシロウトとなんら変わらないという事実を忘れてはならない。そのために本来日本人は銃を持てない社会にしているはずじゃないのか? 
 右翼だの暴力団があれだけ銃を持っているというのは、ひとえに警察が無能または怠慢だからなのだ。その証拠に、銃による犯罪が起こった後、その出所が確定した事なんかほとんどないではないか。密売元が検挙されたなんて、個人程度のものしかないぞ。

 そしてその腹いせに、官憲によるオモチャ狩りが続くのだった…。



2003年01月23日(木) 文化の破壊

 ビートルズの名盤「アビーロード」のアルバムジャケットをポスターにしているアメリカの会社が、写真からタバコを消したという。
 ポールが持っていて(そんなに目立つ物でもないのだが…)、真似をする人が出ると困るという禁煙運動団体からの圧力なのだそうな。

 はっきり言っておくが、禁煙運動団体というのはバカの集まりなのか?

 私もタバコは吸わないし、百害あって一理なしという考え方で、タバコを世界中からなくすとか、税金を一本千円とかにする、等と考えるタバコ撲滅賛成派である。
 しかし過去の文化を破壊するという考えには絶対反対だ。もちろんタバコを子供に勧めているような写真なら問題にされても当然だが、アビーロードというビートルズ最高傑作(自分比)のアルバムの写真を改変するなど、許されるものではない。
 文化と犯罪は別物だと判らないのだろうか。文化的価値のある物をぶち壊す必要などないだろう。
 
 はっきり言うが、禁煙団体のこの行為は「タリバンの文化破壊と何ら変わらない」、まさに愚者の暴挙だ。

 そもそも私は、こういう何々団体という奴等が嫌いだ。組織が大きくなると、必ず変な事を始めるからだ。
 当初の目的がいかに崇高だろうと、組織化するとダメになる。あのヒトラーだって、当初はドイツ国民を救うという純粋な目的から動いていたのに、結果はああなった。
 大抵の宗教もそうだし、動物愛護団体や環境保護団体だってそうだ。皆組織化すると当初の意図からどんどん離れていく。

 多分このバカどもは、「アビーロード」という名前を利用した波及効果を狙ったのだろうが、こんな事をしたら喫煙者の反感を買うだけだし、禁煙賛同者の反感すら買うのが判らないのだろうか。
 「禁煙運動」と「文化遺産の破壊」を一緒にするような奴等はバカとしか言えないから、判らないんだろうな。

 いや、本当はこんなバカ呼ばわりで片がつくほど単純な問題ではないと充分判ってはいるのだが、書くと長くなるからやめておこう。



2003年01月22日(水) 川井憲次のボックスが出る

 ぬわんと、「川井憲次 CD-BOXシネマアンソロジー」なる仮タイトルだが、「押井守実写作品復刻盤+川井選曲ボーナスディスクの5枚組」が出る事が決定したようだ(2003年3月26日リリース予定)。これは買わねばなるまい。
 ただし問題は価格で、\10,000前後になるとは思うのだが、やはりあまり高いと考えてしまうしなぁ。全部持っている事だし…。

 音楽的には「ケルベロス地獄の番犬」が一番いい出来だと思う。そのタイトルとは裏腹に、非常に落ち着いた曲が多く、和む出来である。「機動警察パトレイバー2 the Movie」をもっとシンプルに突き詰めた作品と言えるのではないだろうか。

 この頃の川井作品は、映画を離れて単独で聴いても、一曲毎の出来が非常に良く、純粋にアルバムとして楽しめた。最近はかなり映像に合わせる事を意識しているのか、単独で聞くと「???」というフレーズがあったりするのだが、映像を見ると何故そうなのかが納得できる、という曲も多い。
 ただ、もしかしたら純粋にアルバムとして楽しめるのは、押井関係の作品だけなのかも知れない。

 ちなみに映像作品としては、「ケルベロス」が一番たいくつである。これは間違いない。だが、「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟に多大な影響を与えたと言われるあの銃撃シーンは、確かに一見の価値がある。要はそこまでが長すぎるのだ。
 「トーキング・ヘッド」はもう少しなんとかすれば傑作になりえたと思う。そのテーマも今の押井路線と完全に一致するのだが、結局映画としての出来が今ひとつなのである。
 そして「紅い眼鏡」は私がもっとも好きな作品である。もちろん作品としてはギリギリの低予算でこれしかなかったという制作方法をとっているが、幸いな事にそのテーマとのバランスが非常に良い出来となったのだ。
 「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」と共に、以後の彼の作品をずっと追い続けるはめになった作品である。

 なお、公開当時にこちらでは上映されず当然レンタルにもなかったため、これを見せてくれた青さんには今でも感謝している。



2003年01月21日(火) キャプテン・スカーレットの食玩

 昼休みに会社近くのロ×ソンへ行く。期待通り、狭い隙間に10個、無理矢理キャプテン・スカーレットが積んであった。
 こういう時はすかさず大人買いである。コナミのシリーズは、10個単位で買うと内容の見当がつけやすいので、揃えるのに便利なのだ。
 そして家のそばのローソンにも置いてあった。ただしこれが9個なのである。誰だ、この段階で1個だけ買うなどという大人気ない事をしたのは。これでは計画が狂うではないか。

 という訳で19個という半端な数になってしまったが、とりあえず全機種は揃ったので一安心。というか、10個買えば1個ずつのコンプリートは簡単なのだ。問題なのは私のようにエンゼル機は3機欲しいなどという、複数そろえる場合が大変なのである。

 ま、エンゼル機は4機になったし、追跡戦闘車も3台揃った。レア物のコンチェルト・エンゼルも出たし、他もすべて2台ずつは揃ったので、とりあえずこれでいいかな、という感じである。
 しかし、このシリーズで唯一入手していないのはパーカーだけなのだが、こうしてペネローブ、エリス中尉、と出てしまうと、改めてパーカーも欲しいかな、なんて思ったりする。\1,000位で売ってないものかな。

 ただ今回は、さすがにあのスペクトラムマークの塗装は難しかったのか、別のシールとなっている。まあ仕方がないだろう。国際救助隊もシャドーも秘密組織だから、機体には目立つマークなど付いていないのだ。
 そしてモデルの出来は相変わらずだが、今回パトロール車に人が載っていない。これは窓が大きいので、ちょっと困る。やはりUFOやサンダーバード程は力が入っていないという事なのかもしれない。

 そもそも来月のSFビークルに入る予定のイーグルでは、あのトラス・フレームがパイプではなく、板への書き込みである。さすがにあの価格とスケールでは無理なのか、だんだんパワーが落ちている。
 でもホーク・マーク9は、どうしても3機欲しいぞ。

 ところで今回これを買った所は、レジの女の子3人が二十歳そこそこである。きっと後で、ヒソヒソヒソ…、くすくすくす…、だったんだろうなぁ。まあいいけど。
 いずれITC物は、出来がある水準以上なら確実に買うという性格だから、仕方がない。これでプリズナーとか秘密指令Sとかプロテクターなんかも出たら…、大変だ。
 もちろんそんなのは、ありえない話だが。



2003年01月20日(月) 今日は空振り

 予想通りではあったが、キャプテン・スカーレットの食玩はまだ入荷していないようだ(そもそも入荷するかどうかすら定かではない)。
 でも関係掲示板(×チャンネルなんかじゃないぞ)には、もう先週の金曜にはコンプリートしたという書き込みもあった。地方と都市部のギャップというのは、どしようもないものなのだな。

 地方と都市と言えば、4月にフォーカスが来日、東京のみでライヴを行うとか。これがなんとクリムゾンの前の週なのだ。本当に一週間ずれてくれれば、行けたんだが。そう言えばクリムゾンと同じ日にサンタナもやるらしい。いいのか?

 で、フォーカスだが、オリジナル・メンバーは一人だけらしく、今回はどういう音作りになるのか、不安でもあり楽しみでもある訳だ。こういうのって、近くにいる人は行くかどうするか微妙に悩むんだろうな(贅沢な悩みだ)。
 個人的には去年のPFMは見たかったが、今回はこれの第二弾なのだそうな。近年、アトールは来たし、去年はまさかのイル・バレット・ディ・ブロンゾが来たし、もう誰が来ても驚かないぞ。
 でも、マイク・オールドフィールドだけは外せないから、これだけは注意していないといけない。

 そして「都市と星」と言えばクラークだが(強引なつながりだ)、まだ生きてたはずだ。この人もなかなかしぶとい。本当にギャグのネタでしかない「4001年」も、書けるかもしれないなぁ。「2001年」のフロイト博士を地で行っているような人だよ、まったく。
 ただ、やはり合作が多いというところに年齢を感じる。しかも合作は面白くないし。
 それでも、あまりクラークの小説らしくなかったが、合作の「トリガー」は珍しくそこそこ面白かった。途中までは…。そう、あれで終わりはないだろう。
 SFなら、あの後が重要なのだが、あまりにシビアな話になるから、書けなかったのかも知れない。やはりクラークと言えども、寄る年波には勝てないという事か。



2003年01月19日(日) 食玩写真で一日が終わる

 コナミの食玩を使って、少し写真を撮ってみる。これで一日がつぶれた。ちゃんとした写真が撮れたならともかく、ほとんど練習作という程度の物にしかならなかったのは問題だが…。

 背景用にはA3サイズの物を用意したのだが、やはりこれでも小さい。結局広角側では撮れず、全て望遠側となったので、やはり迫力に欠ける。使用しているデジカメの最短接写距離が20cm以上あるのだから、これは仕方がない。
 また、室内の灯りだけでは光量が足りず、どうしても影になる部分が暗くなりすぎる。いずれ予備のスタンドを買うつもりだが、少し暖かくなったら、背景の問題もあるので、外で撮った方が楽であろう。

 今回は、アクセントになるかと思い、10年程前に出ていたバンダイの「サンダーバード”大型玩具”2号」も利用してみた。
 コンテナのサイズを合わせてみたら、入り口サイズが食玩の物と合わせた時にあまり違和感がない。ただジェットモグラは高さでひっかかるが、コンテナの外に出してある限り、ごまかせる。
 少なくともモデルに関しては、テレビのコンテナから出て行くシーンとほぼ同じ写真は撮れるサイズだ。

 しかし買った当時は非常に感動したはずの大型2号や大型ジェットモグラは、今回チェックしてみたら、やはり玩具であった。昨年出た1個300円の食玩の方が、はるかに出来がいいのだ。
 もちろん開発コンセプトや対象年齢への安全性の問題という違いはあるが、しかしコナミの食玩の出来は、凄いとしか言いようがない。
 もはやこれを凌駕するモデルは、サイズ違いしかないと言ってもいいだろう。



2003年01月18日(土) あの「ゴジラ」は誰のだ?

 今日は会社。やはり、やる事はたくさんあるのに、やる気は起きない。

 夜、たまたま週間こどもニュースを見てたら、松井なんたらがニューヨークなんたらへなんたらしたとかいうニュースをやっていた(興味はない)。
 ところがそのバックに流れていた曲が、「ゴジラ」であった。そう、ブルー・オイスター・カルトのあの曲だ。
 しかし良く聴くと、オリジナルではない。ただしアレンジはとてもストレートである。アレンジしてあるとは言えないくらいストレートだ。
 これは一体誰のヴァージョンなのだ? とても気になるぞ。

 音楽ついでに、今日たまたま見た掲示板に「ブラッディ・マロリー」の日本盤が2/26発売予定になっているとの情報があった。検索すると確かにアマゾンでは予約受付中になっている。一体いつ決まったんだ。
 ちなみにこれは同名フランス映画のサントラで、担当は川井憲次だ。

 あと川井つながりで、「紅い眼鏡」のサントラ再発の噂も出ているらしい。もうすぐ押井の実写作品DVDボックスが出るから、それに乗じたガセネタじゃないかという気もするが。
 でも出るとしたら、どちらなのだろう。LPとCDでは内容が全く違うのだ。私はどちらも発売当時に買ったから、CDが出た時は、その違いにえらく驚いたものだ。

 いずれにせよ、DVDボックスにサントラからベスト的内容にセレクトしたCDが付くと宣伝している以上、ここでオリジナル・サントラを出すとは考えにくい。なぜなら今回のDVDボックスは、そのCD目当てで買う人も多いからだ。
 もしここでオリジナル・サントラを出すと発表されたら、DVDボックス予約者の1割は取り消すんじゃないだろうか。
 それでも私のように、押井の映画に関しては全LDと全サントラを持っているという人間の場合、取り消す理由も特にないのではあるが。



2003年01月17日(金) 来週はキャプテン・スカーレット

 おとといあたりから、いつも見ている「謎の円盤UFO」サイトの掲示板が開かない。朝昼晩と試しているがダメである。イギリスからのかなり貴重な情報も流れてくるところなので、早く復活して欲しいものだ。

 さて、来週月曜はいよいよキャプテン・スカーレットの食玩発売である。これに関する情報も、前述の掲示板に載るはずだったので、ちょっと困った事態かもしれない。

 しかしUFOの時は一日遅れての入荷だったから、今回も遅れ気味になるだろう。
 いや、段々発売数量が少なくなってきたから、そもそも入荷するのかどうかという大問題があるのだ。考えてみれば、UFOはトータルで良く40個も入手できたものだ。
 とりあえず今回は最低20個で、あとはその中身を見ながら追加を買うかどうか、というところだが、「エンゼル・インターセプターを最低3機」というラインがどこにあるのかが運命の分かれ目か。
 10個が1ボックスなので、これに1機しかないとなると、また30個買い、という事になってしまう。恐ろしい…。

 しかもUFOの時もそうだったが、トレードしたくとも、あまり市場に出回らないのだ。数が少なければ、手放すファンも少ない、という理屈になる。
 さて、とりあえず月曜火曜はロ×ソンへ直行だ。



2003年01月16日(木) 鉄腕アトムの、リメイク(何度目だ)

 今年の4月6日からフジテレビ系で「鉄腕アトム」の新シリーズが放映される、とエキサイトのニュースに載っていた。ふ〜ん。

 しかしこのニュースには「旧作のアトムは完璧なヒーローとして描かれていたが、新作では人間の心を持ったロボットに。自我に目覚めたアトムが、ロボットと人間の関係、ロボットとしての存在に悩み、葛藤する様子なども描き、幅広い年代層が楽しめるアニメになっている。」とある…。

 おい、アトムって昔からそういう作品じゃないのか。
 自我があるからこそ「鉄人28号」とは違って、常に自分の行為に疑問を持って悩んでいたのだろうが(だから幼稚園の頃、私は鉄人の方が好きだった。アトムってうっとうしいんだもん)。
 こんな作品を広い年代層対象に作るだぁ? 無理じゃないのか。

 さらに、手塚プロの小中和哉監督は、「今回の主要テーマは人間とロボットの抗争劇。人間の道具だったロボットが心を進化させ、自意識を持ち権利を主張し始めたとき、人間はどのように彼をとらえ、対応していくのか。そんな未来の壮大な問いかけについて考えるきっかけを与えてくれるはず」と話している、って…。

 これって火の鳥??? ロビタが出てくるのか? まあいいけど(あ、ブラックジャック方式で、オールスターにはなるんだろうな、きっと)。なんか微妙にアトムの世界観からずれていくような気がするぞ。

 でも、なんだかんだ言っても、やはりアトムが描かれたのは昭和20年代からなので、これをどう現代の社会と融合させるか、興味はある。
 あの頃の未来は、本当に羨望としての未来であり、本当の未来ではないのだ。

 そう言えば、先ごろ出版されたとり・みきの「事件の事象」の中にこんな話がある。

 定年直前のオヤジが、アトムのような未来世界にならなかったなぁと回顧しつつ、悲しげにしていると、火星人が地球を襲っているというニュースが流れ、画面には三本脚のあのマーシャンズ・ウォー・マシンが映っている。
 それを見て、「ああ、至福のうちに死ねる」とつぶやく…。

 これは実にいい話だ。アトムなんかで育った世代には、「現在」は「未来」ではないのだ。本当に欲しかったのは、子供の頃に夢見た、もう実現不可能な「過去の未来」なのである。

 という事で、アトムの世界観なんかをどうするのか、まずはお手並み拝見だ。



2003年01月15日(水) 三田誠広の広告なんて、久々だ

 昨日書くのを忘れていたが、朝刊の広告に「芥川賞作家 三田誠広の推理小説」なる物が載っていた。
 つまり、今の世の中では三田誠広というのは完全に過去の人なので、芥川賞作家と強調する必要があった訳だ。昔は結構好きだったので、ちょっと悲しい。
 でもあの広告では、いつの芥川賞受賞か判らない。人によっては「あれ、最近取った人だっけ?」なんて勘違いする人がいないとも限らない。編集部にも知っている人は少ないのだろうか。
 少なくとも「僕って何」と「Mの世界」は、若い頃に読んでおいてもいいと思う作品なのだが。

 そう言えば、もっと作品数の少ない庄司薫なんて、覚えている人はどれくらいいるのだろう。むしろピアニストである中村紘子のダンナ、という事で知っている人の方が多いのかも知れない。

 まあどちらの小説も、現代の一般的若者には向かない小説になってしまったという事か。

 ところで、今年になって初めて「みずよん」さんのHPを覗いてみた。
  http://homepage1.nifty.com/mizuyon/
 すると掲示板に「ペパクラデザイナー」という、なにやら面白そうなソフトの話が載っていた。簡単に言えば、あの「六角大王」で描いた3Dデザインを展開図にしてしまうソフトなのだ。スクラッチビルダーにとっては、なかなか興味あるものではないだろうか。
 定価は\7,800と、さっそく利用できる人には安いが、興味本位で買うにはちとためらうという、微妙な価格ではある。
  http://www.e-cardmodel.com/pepakura/

 とりあえず覚えておこう。いずれ利用する可能性もある事だし。



2003年01月14日(火) ライヴの「21世紀のズンドコ節」

 まこさんの掲示板にかめぞさんが張っていたCalifornia Guiter Trioのライヴ音源を聴いてみた。
 http://www.studiomlive.com/nearfest2001/cgt.html
 
 これはCDより凄まじい内容だ。
 あの「21世紀のズンドコ節」だが、CDではオープニングだけが21世紀の精神異常者なのに、ライヴの方はズンドコ節と21バカが平行して演奏されている。これは凄いとしか言いようがない。もう笑うのを通り越してしまった。
 こうなるとこの曲は、海外でどう評価されているのかとても気になる。ベンチャーズみたいな曲と思われているのだろうか。
 
 しかしさすがはフリップ翁の弟子だ。テクニックは当然としても、その感覚はタダモノではない。彼らを以前ライヴで見られたのは、とてもラッキーだった訳だ。

 話は変わって。
 昨日は深作欣二の訃報がいろんなメディアで報じられていたが、やはり「宇宙からのメッセージ」とかは、なかった事にするんだろうか。まあこの人くらいになれば、別に駄作や失敗作だからといって抹消する必要もないか。
 ちょっと気になっていたもんで。



2003年01月13日(月) キング・クリムゾンについて

 さ〜て、連休も今日で終わりである。なにもしなかったような感じがする。いや、実際そうなんだが。

 今日の外出では、キング・クリムゾンに関してフリップ翁のインタビュー記事が載っていたミュージック・マガジンロッキンオンを立ち読みしてくる。

 ロッキンオンのインタビュー中、「世の中は若い人と、若いと思っている人しかいない」と書いてあったが、なるほどこれは確かに頷ける。若いというのは、肉体的な若さの人はたくさんいるし、逆に自分で若いと思っているだけで頭の中は年寄りというのは、若者だろうが年寄りだろうが実年齢に関係なくいる。
 これはある意味当たり前なんだが、こうしてフリップ翁の言葉として活字になると、とたんに説得力が増すのは不思議だ。宗教にはまっていくというのは、こういう感じなのかもしれない。

 ミュージック・マガジンの方はもう少し普遍的な音楽話であったが、これを読むと、やはりクリムゾンはライヴとともに進化してきたバンドだというのが本当に良く判る。

 しかし昨今のクリムゾン・ファンというのは、いまだに70年代の幻影を求めているのだろうか。
 そもそもクリムゾンは、プログレッシヴであるからこそクリムゾンとしての存在価値がある訳で、仮にもファンを名乗る人がいつまでも70年代のクリムゾンを追い求めているのは間違いである。新しい音楽スタイルが成功しようが失敗しようが、それが個人的に好きであろうが嫌いであろうが、まずはその姿勢を認めるべきだ。

 その上でどうしても気にいらなければ、彼らは常にライヴで観客の反応を見ているのだから、ライヴに行って反応すればいいのだ。そうすればまた新しい何かを我々に示してくれるはずだ。
 そういう訳で少なくとも私は、彼らのライヴは必ず見に行く。どんなに遠くとも。それが彼らの意図を確認でき、またオーディエンスとして自分の意志を示せる数少ない場なのだから。
 これが今現在、私が示せる唯一のプログレ的姿勢なのである。

 だから私は何かを模索していた80年代クリムゾンを肯定するし、また初来日のライヴが非常に楽しそうだったという点から、好きでもある(この雰囲気は、映像ソフトを見てもあまり良く伝わらないのが残念である)。
 基本的に80年代以降のクリムゾンは、ライヴを純粋に楽しむ部分が結構強いのではないかと思う。ライヴの最後でヒーローとかフリー・アズ・ア・バードをやるというのは、ライヴの楽しい部分を強調する手段なのではないだろうか。いつまでも70年代のクリムゾンだけではだめだというのは、彼ら自身が良く判っていると思うし、いわばこれが現在の彼らの息抜きの部分でもあると、私は考えている。



2003年01月12日(日) 「立喰師列伝」って、面白いぞ

 横山光輝の文庫版で「昆虫惑星」と、「スニーカー・2月号」を買う。

 「昆虫惑星」はほとんどの作品を掲載時に読んでいたが、「91惑星SOS!!」だけは初めてだ。掲載誌が「月間少年チャレンジ」なんて、見た事がない。
 内容は「エイリアン」と「ソイレント・グリーン」を足して4か5で割った、という感じである。少なくとも絵的には、もろ「エイリアン」の影響大である。ま、そういう時代だったのだ。

 「スニーカー」は相変わらず押井守の連載(立喰師列伝)しか読むところがない。というか、これが連載しているから買っているだけなのだ。こういう楽しいものを他は引き受けてくれないらしいから、ここの編集長には感謝しなければならない。

 今回のテーマは「ハンバーガーの哲」で、彼の出現により「立喰師」の系譜に終止符が打たれたという話だ。つまり彼こそが、「月見の銀次」を始めとする「立喰師」とはその思想を異にし、戦後のファストフードにおける経済活動を根底から破壊する、「立喰のテロリスト」だったのである…。
 という展開についていける人が、どれだけいるのだろう。肝心のスニーカーの読者があれについていけるとはとうてい思えないが、とにかくきちんと完結して欲しいものだ。

 そして、今回の挿絵(いや、写真だな)は、どう見ても川井憲次その人にしか見えないのだが…。
 と思って検索したら、本人であると、本人のHPに載っていた。しまったぁ。でもこの人の容姿を知らなければ、ああいう姿は誰にも想像できないだろう(興味のある人は本屋さんに行って、スニーカー2月号の280ページを見よう)。
 ちなみに彼は「牛丼のマニア」だ…。

 ところで山田正紀の「神狩り2」は一体いつ出るのかと思っていたら、春の出版に延期になっていた。出れば買うけど、早く正式発表して欲しいものだ。

 しかし昨日今日と、掲示板への書き込みが多い。珍しい事もあるものだ。まあ書き込みが多くてうれしくないはずもないから、これはみなさんに感謝、である。
 そんなみなさんのためにも、今年はHPのコンテンツを充実したものにしたいが、時間がどれだけ取れるか、ちょっと心配ではある。



2003年01月11日(土) タワーレコードが来る

 白亜森嫁さんから掲示板への書き込みがあり、それによると2003年3月20日に下田のジャスコ・ショッピングセンター内にタワーレコードがオープンするのだそうな。これは新幹線の開通より事件ではないだろうか。
 店舗サイズは、多分仙台店レベルの大きさが限界だろうから、ここでなんでも揃うという事はないだろうが、それでもあのタワーレコードなのだから、それなりの品揃えになるはずだ。

 でも実は青森県という事で、邦盤が異様に多いという可能性もある。でもそれでは何のためのタワーレコードか判らなくなるから、企業イメージとしてそれは避けるはず、と信じたい。
 私としては、トゥールのように海外で人気のあるアーテイストや、プログレ系のCDの品揃えでその店を評価したい。これがある程度充実していれば、間違いなくタワー・レコードと言えるのだが。
 少なくとも青森県ではほとんど絶滅している「洋盤が充実した店」であってほしい。

 午前中、ちょっと電気屋に行ったついでに、DVDソフトの品揃えを見る。
 なんというか、「ワイルドバンチ特別版」が\1,500…。あの「2001年宇宙の旅」もこの価格だ。そしてその他にも\2,000だの\2,500と、もうふざけてるとしか言い様のない価格設定である。なぜLD時代に各社はパイオニアをプッシュしなかったんだか。いや理由は明白だが。

 しかしこのDVDソフトは、そのパッケージ・サイズが統一されていないというのが、非常に厄介である。
 最近トールサイズで統一し始めたようだが、私はこのサイズが嫌いだ。なぜなら場所を取るからだ。むしろ以前のCDサイズの方が良かったと思う。そしてトール・サイズのパッケージは何度も開閉していると、ケースがちぎれてくる危険性が高い。一枚のプラを成型して折っただけのケースだから当然である。
 つまりメーカーは、「映画という物を何度も見る人はほとんどいない」と考えているとしか思えない(ま、実際問題として、いくら好きな映画でも一般的な人はそう何度も観ないらしい。最近知ったぞ)。

 そう言えば「モンティ・パイソン/人生狂想曲」のソフトも、トールサイズで\2,500と低価格になった。安いのはいいけれど、これだと他のモンティ・パイソン・シリーズと並べて置けないではないか(フォルティ・タワーズはでかいけど、ジョン・クリーズの単独作品だからいいか)。
 某所で以前出ていたCDサイズの方を見つけたから、高いけど買っておこうかと考えている。そうすれば現在出ているモンティ・パイソン全作品がCDサイズになる(躊躇しているのはLDで持っているからなのだ)。

 あとは残る唯一の作品である「ライフ・オブ・ブライアン」が、DVD化の時どうなるか、だな。もちろんこれもLDで持っているから、別に出なければ出ないで構わないが(嫌な性格だね)。

 という訳で、全然関係ないが「ケンタッキー・フライド・ムービー」を観る。
 しかしこれ、あのジョン・ランディス監督作品なのだ、と言われてもピンとこないかも知れない。まあ実質的にこれで才能を認められたという部分が大きいと思う。ちなみに私は「アニマルハウス」でファンになったクチだ。
 内容としてはモンティ・パイソンがこれだメジャーになった現在、今観るとそう凄いという感じはしないかもしれないが、やはりあの時代を考えると画期的、というか冒険だったのかもしれない。
 
 キャストに黒人が多いのも、時代を感じさせる。



2003年01月10日(金) DVDを引き取り、CDを注文する

 ようやく「ケンタッキー・フライド・ムービー」のDVDが入荷したと連絡があったので、取りに行く。しかしこんな物、そんなに売れるとは思えないのだが、どうなっているのだろう(自分の事は棚の奥〜)。
 で、ふと出版元を見ると「アルバトロス」だった…。今時こんな物を出すのはここしかないわなぁ。と言う事は、発行部数もせいぜい3,000枚か?

 そして勢いで、キング・クリムゾンとジョン・ウェットンの新譜も頼んでしまう。
 なんと珍しい事に、どちらも入荷予定だとの事で、多分発売当日に入手できるだろう。やはり毎回ここでジョン・ウェットンの新譜を頼んでたからかなぁ。

 とにかくどちらも楽しみではあるが、特にクリムゾンはどういう展開になるのか、もう興味津々である。
 噂では「コンストラクション・オブ・ライト」からはかなり方向が違っているらしい。つまり昨年出たばかりの「しょうがない」をさらに進化させたものになるのだろう。メタル度はどうなっているのか、楽しみだ。

 ところで、クリムゾンのプロモのために来日したフリップ翁が、何かのインタビューでトゥールの事にちょっとだけ触れていたが、彼らはクリムゾンの影響を受けていると自分で言っているとの事だ。
 しかし、少なくとも彼らのアルバムにクリムゾンらしさは感じられない。むしろハード・ロック的だろう。そう、メタルではなく、ハード・ロックだ。でも音はメタル的ではある(ああ、何書いてんだか)。
 それでどういう影響を受けたのだろう。

 良く考えてみれば、クリムゾンの影響といっても、例えばイエスやフロイド、EL&Pやジェネシスなんてのは、それなりに音やフレーズで「あ、影響受けてる」と感じやすいが、クリムゾンの場合には、そういう簡単な指針がない。
 プログレッシヴであるという精神の問題では、音として表現しにくい訳だし、この辺はどうなっているのだろう。
 美狂乱のようにあまりにストレートでは、自らの進歩が望めなくなる可能性もある訳で、そういう意味では「クリムゾンの影響」というのは、音楽そのものではなく、ミュージシャンの遺伝子なのかもしれない。

 しかしトゥールは、以前クリムゾンの前座で出た事があるらしいが、これは見た人が羨ましい。トゥールだけでも人が呼べるというのに、彼らが前座でその後がクリムゾン…、夢のようなライヴではないか。
 ライヴがいろいろ見られる環境って、心底羨ましい。



2003年01月09日(木) ジョン・ウェットンの新譜が出る

 題名に「ジョンの新譜」と書こうとしたが、これではウェットンだかアンダーソンだかレノンだか、とにかく誰だか判らなくなるから、結局フルネームにしてしまった。

 きっかけは「BURRN!」の立ち読みで(ディスク・レビューは必ず見ている)、そこにジョン・ウェットンの新譜が1月22日にマーキーから出るとの記事が載っていた。
 「ロック・オブ・フェイス」という「邦題」らしく(他国とは題名が違う可能性大!)、あわてて信者さんのHPを覗いたら、もうしっかりと曲名まで載っているではないか。

 しかしここしばらくのウェットン関係は、ライヴ盤攻勢、しかも「日本人から金を巻き上げようと考えている」としか思えない代物ばかりだったので一瞬焦ったが、どうやら今回はスタジオ盤らしいので、一安心。
 やはり「Welcome To Heaven」程度の作品は出して欲しいものである。
 少なくともオリジナルを出してくれれば、多少レベルが下がってもついつい買ってしまう。昔からのファンとはそういうものだ(と思う)。
 
 さて、どこに頼もうかな。なにせマーキーだから、黙ってたらまず入荷はないと考えた方がいいのだから。



2003年01月08日(水) なぜか渋松対談は読んでしまう

 CDを聴こうとしていたのだが、つい「渋松対談Z」を読んでしまった。

 実はロッキン・オンで最初に読むページがこれで、これがつまらないと、後を読む気がしなくなるのだ(ひどい読者だ)。もっともいつも買っている訳ではなく、立ち読みがほとんどなんだが。
 内容は読んだのばかりで、しかも抜粋しただけあって「なぜあれが入っていない」というのもある。できれば全部単行本化して欲しかったと思うのは、私だけではなかろう。

 そして今回、「定本渋松対談・復刻版」も買っていたのだが、これがまた今と全然作風が変わっていない。
 30年ほど前のもので、もちろん一人の話す量が今とは比べ物にならないくらい長いのだが、その漫才としか思えない会話体は、今と変わっておらず、もはや伝統芸能と言えるかも知れない。
 なにせ「復刻版」の方は、ボケとツッコミに時々わざとらしさが感じられたのだが、「Z」の方はとても自然なのである。って、仮にも音楽評論家に対する評価ではないなぁ。

 ただ、私がこのページを毎回読んでいるのは、極めて正論かつ的を射ているからなのだ。この辺でやはり渋谷はタダモノではないと思ってしまう。というか、考え方における同類を見る目になっているのかもしれない。



2003年01月07日(火) いろいろ観る

 まだ体が仕事モードにならない。多分仕事モードになる頃は週末なのであろう。そして休みに入ってまたボケる、と。

 とりあえずちょこちょこ顔を出している掲示板に挨拶するが、さすがに一週間もの間全くネットから外れていると、過去ログを読むだけでも大変だ。せめてロムだけでもしていれば楽なのだが。
 結局あまり読まずに書き込みするしかなくなるので、流れを壊していなければいいけど。

 夜は、ビデオに取った「オースチン・パワーズ・デラックス」を観る。
 なんか1作目よりテンポが悪いし(単に演出が悪いだけか?)、下品なネタが多すぎるように感じる。まあ下品なネタは仕方がないのかもしれないが、テンポの悪さは致命的だ。なにせ時々イライラしたくらいだから。
 結局、前作はその辺のバランスが良かったのだろう。

 ネタとしては相変わらず007等のスパイ物パロディであるが、ちょっとチープではあった。
 一番笑ったのが「このレーザー兵器を開発したパーソン教授にちなみ、この作戦をアラン・パーソンズ・プロジェクトとする」と言うところだったのだから、全体の雰囲気は想像できるだろう。
 もっとも、いくら金をかけたところで、B級映画とはそういう物である。
 いや、こういう映画は嫌いじゃないんだが…。

 で、その後は「BRAINWASHED」アメリカ特別版に付いていたDVを観る。
 当然字幕はないので何を言っているか判らないが、まあ雰囲気で、このアルバムを作った時の事を思い返しつつ、ジョージの人柄などを褒めていたのだろう。
 でもこの時期のジョージを映像で見られたのはうれしいし、彼の息子を映像で見たのは初めてなので、まあ7分位だがそれなりに価値があったと言える。
 ちなみにジェフ・リンは、テロップが出るまで誰だか判らなかったぞ。



2003年01月06日(月) 21世紀のズンドコ節〜?

 さて、仕事始めである。当然忙しいのだが、頭は遊びモードである。困ったものだ。
 夜は日記を書きながら、買ってきたCDを聴いてみる。

 「CALIFORNIA GUITAR TRIO WITH TONY LEVIN AND PAT MASTELOTTO」は、以前クリムゾンを見た時に前座で出ていたのだが、フリップの弟子だけあってテクニックはある。ギター・トリオで「運命」なんかをやったりして、結構面白かった。
 今回、「燃える朝やけ」のカバーが入っているので買ってみたのだが、これはもうストレートだった。ジョンのヴォーカルが聞こえてくるような錯覚すら覚える。

 しかしこのアルバムには「21世紀のズンドコ節」なる珍妙な曲も入っている。聴いたとたんに笑ってしまったが、本当は笑ってはいけない曲なのかも知れない。とにかくインパクトはある。
 なんか以前とは作風が変わりつつあるようだが、パット・マステロットがいれば、それも頷ける。

 あとは懸案だったイエスの「イエスタディズ」もちょっと聴く。これはS&Gの「アメリカ」が入っているという理由のみで買った訳だが、実際オリジナルとはかなりかけ離れている。いかにもイエス・サウンドになっているのが凄いと言うべきか。
 ただ、これはもう数回聴いてみないとだめだ。多分ライヴの方がしっくりくるのではないかと思う。

 ついでなのでアトールの『組曲「夢魔」』も聴く。これはLPも最初のCDも持っているが、非常に好きなアルバムだ。
 もうなんというか、変幻自在、まさにアクロバティックかつメロディアスなアルバムだ。これが日本のユーロロック市場に火をつけた記念すべきアルバムなのだ。もちろん私もこれがきっかけだった。
 今回、紙ジャケ、リマスター仕様という事なので、三枚目だが買ってしまった。結局、二つで充分ではなかった訳だ。
 これは結局、最後まできちんと聴いてしまったぞ。



2003年01月05日(日) 帰省その6・帰路につく

 名残惜しいが、帰る事とする。
 10時に出発したが、高速は一部とんでもない吹雪で、ほとんど前の車が見えない状態がしばらく続いた。その上、高速道路だというのに、雪が積もっているのだ。さすがに流れが40kmを切っていたが、これでも早いくらいだ。
 これで停車している車がいたら、まちがいなくぶつかった事だろう。

 と、かなり緊張したが、とりあえず無事に帰宅できた。
 そして部屋の気温は8℃であった…。

 ちなみにPCを置いてある部屋は北側のせいもあり、とても寒い。どの位寒いかと言うと、吐く息が白いのだ。
 
 ストーブやありったけの発熱機器を使用しても、20時を過ぎてまだ14℃である。ちなみにPCの置いてある部屋はまだまだ寒い…。
 とてもキーボードなど触っていられる状態ではないので、今日の書き込みは諦めたのだった。



2003年01月04日(土) 帰省その5・スカイダイバーの色

 午前中はお土産を買い、午後はその辺をウロウロする。

 ところでスカイワンの食玩を、バンダイのスカイダイバーに合わせてみたところ、ノズルの位置が違うため、合わない事が判明した(このためにわざわざ持って来たのだ)。これでは写真を撮れない。

 もっとも、昔作った物とは色が違うので、合体させる訳にはいかない。
 ちなみに色についてだが、食玩の色は不満である。これが正しいのかも知れないが、昔テレビで見たり本で見たりした時点では、金に黒が少し混ざった色だと思っていた。現在でもこれがそう大きく違っていたとは思えない。
 照明の具合などで、実際の塗料の色とは見え方が違うと思うのだが…。
 
 あとは、探していたスペース1999のスタンガン形「水鉄砲」が、ようやく見つかった。これはいずれ紹介する予定だ。



2003年01月03日(金) 帰省その4

 子どんぐりの要望で、またまたジュンク堂。ひたすらドラえもんの学習マンガとコゲパンを見ている。仕方がないので、何冊か買う。

 午後はCDを買いに出る。
 探していた「CALIFORNIA GUITAR TRIO WITH TONY LEVIN AND PAT MASTELOTTO」とアトールのリマスター盤「組曲「夢魔」」を買い(はいはい、LPも最初のCDも持ってます。これで三枚目だよ、判ってるってば)、他店でイル・バレット・ディ・ブロンゾの「YS」、そしてイエスの「イエスタディズ」も見つけた。これでイエスの「アメリカ」がようやく聴ける。

 夜は、再び富田家へ行く。
 竜男さんと済さんも来る。済さんとは久々である。会社が銀行絡みで色々あったらしく、胃潰瘍だとか。まあ薬で治るらしいが。
 でも相変わらずみんなでバカ話である。共通言語での会話は、気楽で楽しいなぁ。

 ここで「戦闘妖精雪風」の映像版について意見を聞いたが、当然駄作、失敗作という事で意見の一致をみる。
 竜男さんは原作を読んでいないのだが、やはりストーリーが判らなかったと言う。そりゃそうだ、たかが50分以下であの原作を一冊やるんだから無理があって当然だ。
 原作との比較うんぬんではなく、純粋に映像作品として失敗なのだ。

 そして帰宅すると、3時を過ぎていた。



2003年01月02日(木) 帰省その3

 午前中は駅ビルとジュンク堂へ行く。駅ビル内の、理科実験道具屋としか言えないような店もまだ健在であった。たいしたものである。

 ここの地下で、「BRAINWASHED」のアメリカ特別版をようやく買う。ジョージ・ハリスンの遺作だが、これにはDVDがオマケに付いているのだ。
 そしてたまたま見かけた「世界のCMフェスティバル第一部」なるDVDも買う。

 夕方はチャウチャウと合流し、M野家へ行く前に万葉堂へ連れて行ってもらう。 以前から探していた古書店なのだが、確かに面白い店だ。いずれじっくりと見たいものだ。
 M野家へ行きしばらくするとTSUBAKIと竜男さんも来る。
 結局、あの狭い部屋が男5人で埋まり、とても狭い。なにせチャウチャウには2名分のスペースが必要なのだから…。

 その後、チャウチャウは明日は出られないというので、富田家へ行く。
 2時過ぎまで騒いで、後はみんなを送って3時半帰宅。外は寒いぞ。



2003年01月01日(水) 帰省その2

 子どんぐりをつれてトイ×ラスへ行く。元旦もやっているのは便利である。
 今回は、これという物はなかったので、バン×イのCANバッチgoodを買う。例のパッチをお手軽に作るおもちゃである。
 しかし昔に比べて、プラモの扱い量が大幅に減ったのは少し困る。

 午後はNODAYAに行く。ここも年末年始と無休であり、しかも恒例の安売りを行っている。我々のような帰省組にはとても便利だ。
 「エイリアン&プレデター」が半額の\4,400には驚いた。なにせ新製品なのだから。そしてブリスターパック版の「バワードスーツ」が\3,420、タスクフォースの「ジュニア707」は\1,800だ。個数の割に容積が膨大である。

 しかしモデルガンがほとんどなくなっていたのは寂しい。やはり売れない物は扱わないと言う事なのだろうか。これは4月のキング・クリムゾン公演の時、何件かモデルガンを扱っている店を回らなければなるまい。

 夜はチャウチャウに電話し、明日のM野家と富田家へ行く打ち合わせをする。


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