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2003年02月28日(金) あっという間に消えた

 昼にちょっと本屋へ行ったら、昨日3冊あったモデルグラフィックス誌がきれいに消えていた。
 そうか、先月もこのパターンだったのに違いないと気がついた。入荷数は徐々に減っているのに、需要は徐々に増えているから、こんな事になっているのだろう。

 だから立ち読みすら不可能な本屋は、本屋じゃないんだってば。立ち読みして買うかどうかを決めるのだから、そうでなければさっさとネットで発注してしまうのだよ(だいたい本屋で注文すると、忘れた頃に来るし、来ればまだましな方である)。

 そもそも雑誌にしても単行本にしても、少し中を見るからこそ、買う価値があるかどうかが判断できるのだ。
 中を見ないで頼むと一般的にははずれる事が多いのは、まだまだ宣伝だけはうまいせいかもしれないが。

 しかし以前はそれなりに雑誌類だけは置いてあったのだが、最近はそれすらもなくなりつつある。特に音楽関係はだめだ。ストレンジ・デイズもユーロロック・プレスも全く入荷していない。レココレもほとんど見かけなくなったし、CDジャーナルすら危ない。
 一体、このへんの本屋は何を考えているのだろう。

 ところが神林長平の「小指の先の天使」はなぜか三冊ほどあったりするから不思議だ。当然迷わず買ったが。
 もしかして神林作品って、今ではメジャーなのか?



2003年02月27日(木) 浴玩、ねぇ

 今日も雪が積もる。いい加減積もった部分が固くなっている上に、道路がツルツルだ。歩行者にはかなり辛い。
 なにせこちらは車社会だから、警官も人を止めて車を優先させるのだ。困ったもんだよ。

 ところでモデル・グラフィックスを立ち読みしたら(ついに先月号は見かけなかった)、食玩ならぬ入浴剤玩具(浴玩とかいうらしい)という物が出るとの事だ。
 しかもその内容が、よりによってあの「奇想天外兵器」だというから驚く。フライング・パンケーキなんて常識すぎるという代物だ。これは買わねばなるまい。
 このへんに入荷すれば、だが。

 そしておなじみ海洋堂企画では、あの岡田斗司夫監修で、スペース・シリーズが出るらしい。こちらはアポロ等の実在のロケット・シリーズだ。解説も彼が書くというので、ちょっと期待してしまう物ではある。
 まったく、海洋堂もうまい。そこそこな物とマニアックな物を交互に出す事で、マニアックな物は高いレベルで出せるのだから。

 あ〜あ、また物が増える訳だ。


2003年02月26日(水) なんだかなぁ2

 今日、また親睦会の事でムカつく発言がある。本当に自分が知っているから他人も知っていると信じ込んでいるようだ。
 いろいろ書こうかと思ったが、とても醜くなるので止めた。バカと同じ土壌にのぼる事もないか。

 ところで昨日来、北朝鮮からミサイルが発射されたと大騒ぎしているが、どうも地対艦ミサイルだとの事らしい。だったら大騒ぎするような事でもあるまい。
 射程は多く見積もってもせいぜい150キロというところだろうから、ちょっと大きな軍隊ならどこでも持っているし、当然わが自衛隊にも射程200キロ近い物がある。訓練での使用はそれほど珍しい物ではない。

 まあ今回は明らかに、金や食糧、そして燃料欲しさの恫喝だろう。テポドンなんかの脅しとはスケールが全然違う。あえて例えれば、カッターと戦車の違いだろうか。その位凄みが違うし、本来の脅しの意味も違うのだから、あまり騒ぐとかえって付け上がるだけだろう。
 黙っていれば、もうすぐ車輌を動かす燃料すらなくなろうとしている状態なのだから、そんなもの、放っておけばいいのだ。

 ネットでは、「国が消息不明になった」というネタの方がうけている。ナウル共和国という伊豆大島の1/4位の面積の国だそうな。
 以前は燐の産出で豊かになったが、取りすぎて国土が荒廃し、政権争いもあって非常に貧乏になり、唯一の国際電話回線も料金が払えず不通になったらしい。
 さて、どういう展開になるのやら。


2003年02月25日(火) コナミのSFシリーズ?

 コナミの食玩シリーズ、やはりITC物は次で終わりのようだ。種類とか出来とかで多少の不満は残るけれど、とりあえずはあのレベルで良くここまでやってくれた、と感謝しておこう。散財させられたけど。
 それでも色々な意味でエポック・メーキングだったのは間違いない。

 ところが、である。これをSFシリーズとして続けるらしく、次は「エイリアン」を出すらしい…。
 まあノストロモ号とかナルキソッスとかが出るなら多少の興味はあるが、どうせ出すならここは「2001年宇宙の旅」にするべきじゃないのかなぁ。もちろん版権の問題がある事は重々承知だけれど。

 ただ、過去の例を見ても、SFメカだけのシリーズというのは、意外とないのである。
 どうも日本ではメカだけのオモチャは売れなかったようで、いきおいキャラクター重視になっていた。だからこそそれを打開すべく「人型ロボット・タイプの兵器」がオモチャとして必要であり、それが純粋なメカの代用品として進歩していった訳だ。

 結局日本では、サンダーバードのようなメカ主体の物は作れなかったし、定着しなかったのだが、アトムや鉄人は所詮擬人化してあるメカだからこそ人気があったのだ。
 そしてガンダムというのは、人型ロボットでありながら、純粋に兵器の扱いだったからこそ意表をついたSFメカと言える存在だった。そしてマクロスのヴァルキリーが、ある意味で究極の形を作ったと言える。もはやこれ以上に意表をつくSFメカの登場というのは、難しいであろう。

 ただ、ガンダムやヴァルキリーといったメカがここまで一般に定着するとは、当時誰も考えていなかったのは間違いない。やはり兵器だったからである。

 兵器という観点から、個人的にはメーサー殺獣光線車の決定版が欲しいのだが、これも売れないという理由から、なかなか決定版が出ない。まあどう考えても高くなるのは目に見えているから、マーケティング上、不利ではある。
 それでも来月には、バンダイから劇場版スタートレックのエンタープライズが出る予定なので、全く希望がない訳ではない。
 ただしこういう純粋なSFメカは、出たら買うしかないのがつらい。そうしないと後が続かないのだ。


2003年02月24日(月) なんだかなぁ

 会社の親睦会行事で「歓送迎会」を行うとアナウンスしたら、えらい人とかそこそこの役職の人から、「異動するのは誰だ?」とさかんに訊かれる。
 
 あのね、それを決めてるのは君たちなんだけど。ボケてるのか?

 一介の平社員が、人事権を持っている人すら知らない情報を知っている訳ないだろう。それとも、そんな常識すら忘れてしまうほど、みんなそんなに心配なのか?
 まあ、みんなバカとしか言いようがないな。


2003年02月23日(日) デフリンピックとは知らなかった

 デフリンピックなるオリンピックがあるというのを最近知った。これは聴覚障害者のオリンピックで、ちゃんとIOCに承認されている。
 なぜ身体障害者によるパラリンピックと別なのかと言うと、聴覚障害、つまり耳が聞こえないだけの人はコミニュケーション障害であり運動には関係がないという事で、パラリンピックには参加できないためだという。そうだったのか。

 そして運動障害ではないと言う事で、この大会がマスコミに取り上げられる事はほとんどないらしい。
 まあ実際問題として、ニュース性が弱いと考えるマスコミの事情も判らないでもない。マスコミといえども所詮は企業、競争による経済原理が働くのだから、耳が聞こえないだけで運動能力が普通である人の大会など、報道に値しないと思っているのかもしれない。
 つまり「身体に障害がある人は、かわいそうだ」という考え方がまだまだ幅を利かせているのだ。でも頑張るという点では、みな同じだと思うのだが…。

 ちなみに、障害者に対してただ「かわいそう」と思うのは間違いだと、私は思っている。「社会生活を送る上で、不便な点はフォローしなければならない」というだけでいいではないか。
 つまり不便な点をフォローする以外は、普通の隣人なのである。別に必要以上に哀れむ必要などない。普通に接すればいいのだ。みな、社会の一員という扱いでいいではないか。

 障害者と言えば、日本のマスコミは必要以上に気を使うから、テレビでは障害者を笑うネタは使わないし、必要以上に過敏に反応する。
 ところがあの「ミスター・ビーン」などはイギリスの番組だけあって、障害者もネタとしてちょくちょく登場するのだが、それをNHKで放映する時は、どんどんカットされる。だから見ていて話が妙に飛んだりしているし、ひどいのになるとオチがまるまるカットされる。

 例えばビーンが海岸で人目を気にしながら着替えるスケッチがあるが、ラストでイスに座っていた人が白い杖を持って立ち上がるというのが本来のオチなのだ。それでビーンの間抜けぶりが際立つ仕組みになっているのに、ここがまるまるカットされている。
 ちなみにこれを目が見えない人に教えると、普通は笑うそうだ。そりゃそうだ、別に目が見えない人をおちょくっている訳ではないのだから、これは明らかにNHKの過剰反応だ。

 イギリスは、「モンティ・パイソン」をはじめとして、笑いの対象を差別しない。権力者はもちろん、下層階級や外国人、老人や子供、はては女王陛下までが笑いの対象になってしまう。そんなのがBBCで放映されているのだ。この辺がイギリスは大人だと思う点だ。
 笑うのならすべて平等、差別はしないという筋が通っていれば、敵はたくさんできるだろうが、論理的には正しい。差別するのに差別はない、という訳だ。

 でも日本人である私からすると、そこまでやるのか、と怯えるくらいすごいネタも多い。
 さきの「ミスター・ビーン」でも、障害者をおちょくる事で、一歩間違えば死んでしまうようなシークエンスのスケッチもいくつかある。確かに笑えるのだが、ここまでくるとちょっと怖いぞ。
 こういうのをノーカットでソフト化というのも、日本じゃ無理か…。

 あ、モンティ・パイソンには「聴覚障害者の100m走」というスケッチがあるなぁ。これは単に笑えるけどね。


2003年02月22日(土) 今度は緑か

 昨日一晩で40センチほど積もった雪を、今日もちまちまと片付ける。
 とてもじゃないが、一気になんとかできる量ではない。なにせあれだけ積もると、片付けようにもその雪を捨てる場所がないのだ。ああしんど。

 疲れたので、昨日買った押井の実写映画トリロジーなどを観る。
 これは各作品すべてに、押井監督と関係者のオーディオ・コメンタリーが付いているので、とりあえず聞くつもりでいたが、ついつい「紅い眼鏡」の本編を観始めたら最後までじっくりと観てしまった。やっぱり個人的にはとても好きな作品だからなぁ。

 あとは「ケルベロス」のMG42のシーンだけを見たが、やはり迫力がある。
 ちなみに特典ディスクには、この銃器関係のメイキングが付いているが、MG42は想像以上にカートのエジェクトが凄まじい。映画ではそんなに感じなかったが、真下へものすごい勢いで排莢されている。これでは恐ろしくて近くへは寄れないだろう。
 排出直後のカートはモデルガンでさえかなり熱いのに、ましてやステージガンとは言えMG42だと、とんでもない熱さだろう。そんな物が勢い良く顔面なんかにぶつかったら…。

 ところで「紅い眼鏡」は、部分的にカラーでほとんどがモノクロなのだが、なぜかモノクロシーンは緑色だ。ちなみに「七人の侍」もそうだった。両作品ともLDは普通に白黒なのに、DVDは緑である。なにか調整のクセみたいなものでもあるのだろうか。
 緑と赤は反対色という事は、やはり例の赤い作品も何か関係があるのかもしれない。良くは知らないけど。

 結局こういう点からも、どうもDVDというメディアは今ひとつ信用できないのだ。確かに輪郭は非常にきれいなのだが、色再現に関してはあまり良くない。以前から言っているが、根本的に画面が暗く感じるし、黒の再現性がとても悪い。現在過去の作品を問わず、だ。
 「マトリックス」までは、LDとDVDを比較しているが、色に関しては、間違いなくLDの方がきれいだ。これは間違いない。

 まあLDが廃れてしまったから、仕方なく買っているのである。メーカーはそこの所を勘違いしないように。別にLDよりキレイだと思って買っている訳では、決してないのだ。
 だからこのままあまりにも人をなめた真似をし続けるなら、私も極力買わずにレンタルなどで済ませる事になるだろう。今までは「いい物を出してくれるなら、こちらも買うべきだ」と思っていたから、自分が興味のある少し変わった作品が出れば無理してでも買ってきたが、これからは考えを変えるかもしれない。
 これはメーカーの蒔いた種なのだから、少しは反省して欲しいものだ。

 と、こまで書いてふと思ったのだが、DVDにおける黒の再現性がまだ良くないのは常識なので、もしかして白黒映画はわざと緑っぽくしているのではないのだろうか。それにより黒の再現性の弱点を「ごまかして」いるのかもしれない。確かにこれで暗部の再現性は良くなる。
 うん、我ながらいい思い付きだ。意外といいところを突いているような気がする(自画自賛だな)。


2003年02月21日(金) ここへきて変更かい

 会社の親睦会で年度末のイベント「仮称・歓送迎会」をやるのだが、予定していた日に偉い人たちが急遽夜に勉強会だかを開く事になった。
 それはいいのだが、いきなり偉い人から宴会の開催日を変更しろと言われてしまった。しかしこの前後はもう会場を取れないのだ。なんたって最高で90名近い人数の宴会だから、会場を押さえるだけでも大変なのに、急に変更しろと言われてもなぁ。
 さらに偉い方々の予定をいろいろ調整すると、平日しかないという事になってしまった。まったく今ごろになって変更では、会場も迷惑だろうし、今回は仕方がないが、もう当分あそこは借りられないだろう。

 なんだか一気にやる気がなくなってしまった。まあいいけどね。

 ところで2/25発売予定の押井のDVD-Boxが、なんと今日入荷したと電話があった。かなり早い。
 だいぶ待ち望んでいた人たちも多かった実写セットだが、「攻殻機動隊」や「アヴァロン」からファンになった人は、怒るか呆れるだろうな。いやぁ、評価が楽しみだ。
 しかしこのボックス、部数はどの位なのだろう。5000以上だとしたら凄いけど、そんなに売れないのではないだろうか。昔は2000位のものだったらしいし。

 ま、私はその少ないバカの一人だ。ずっと押井をバックアップしてきたと言う自負はあるし、そのくらい宣言してもばちは当たるまい。なにせ出たものは全て買ってきたのだから(おかげで貧乏なんだよ。押井の作品はいつも価格が高いのだ)。


2003年02月20日(木) U-59とスパイダーマン

 題名は全然関連がないなぁ。

 おおともさんからのメールで、コナミのU-59用デカールの版下が届いた。試しに印刷してみたが、とてもいい出来だ。いずれ使ってみたい。フォトショップで作ったのだとは思うが、どうやってここまで精密に作れるんだろう。スキルのない自分がちと悲しい。
 でもこういうので必要に迫られると、意外と覚えていくものだから、やはり人のやっている事を見るのは重要なのである。

 とか言いながら、借りてきてしまった「スパイダーマン」を見てだらだらと過ごしてしまう。だまっていたら、絶対に自分からは見ないのが判っていたのだが、会社の人が持っていたので、つい借りてしまった。

 これ、割と平凡なストーリーではあるが、ラストがこの手のにはありがちな「I love you」「Me too」じゃないところがいい(もっともこれはパート2対策であり、絶賛するような事ではないが)。
 しかしサム・ライミ監督とは思えないほどスタンダードな作りなのに「死霊のはらわた」を思わせるシーンもちゃんとあったりして、ちょっと笑える。それでもストーリー的にも映像的にもB級映画の作りなのが、いかにもこの監督らしい。金がかかっているのが欠点か。
 あとはオーディオ・コメンタリーがちょっと楽しみではある。

 しかしスパイダーマンを演じた人が、まるでエド・ビショップ(ストレイカー司令官だ)の若い頃、あるいは息子という顔付きなのが妙に気になってしまうのだった。

 なんてだらだらしていたら、おおともさんからデカールの改訂版が届いていた。
 いやあ、今度は切って貼るだけという初心者向けながら効果絶大という優れものであった。凄い。凄すぎる。

 こうしてみると、ロオク本舗絡みの人たちもそうだし、コナミの食玩でもそうだが、もしかして私はとても凄い人たちに、とてもいい時期に知り合っているのかも知れない。


2003年02月19日(水) Shadeがピンチ?

 会社にあったとあるビジネス書、基本的にこういうのはあまり参考にならない本なのだが、たま〜に変な情報が載ったりするので、あれば目を通している(例の某銀行によるジブリ乗っ取り未遂もこのへんの本に載っていたのだ)。

 すると中に、エクス・ツールスが1/20に民事更生法の適用を申請していたとあった。3DCGソフトとして有名なShadeの会社なのだが、そんな状況にあったとは知らなかったので、驚いてしまった。
 中を読む限りでは製品自体の問題ではなく、新版の発売が予定より2ヶ月遅れて決算をまたいでしまったため繰越損を出してしまい、このため銀行が短期で金を貸してくれなくなったためらしい。

 もちろん元々自転車操業だったのが良くないのだが、銀行が商品の優秀性や将来性を全く無視して財務諸表でしか審査してくれなかったため、行き詰まったようだ。確かに銀行は人的財産には金を出さないし、財務諸表のみでしか最終判断はしない。いや、できないのだ。

 いくら優秀でも、知的財産、人的財産は、固定資産に結局は勝てないという状況をいつまでも続けている。本当に日本の将来は暗い。
 幸いにもShade自体は、イー・フロンテイアという会社への営業譲渡でなんとか生き延びられるようだ。ただしこれからどうなっていくかは判らないが。

 しかし日本と言う国は、「いい物がなくなって、どうでもいい物が残る」という図式が、昔から多いような気がする。
 基本的にいい物がでると、似たような劣るものが出て、そうすると営業力に物をいわせていい物を蹴落とす、という感じだろうか。まさに「悪貨は良貨を駆逐する」だ。
 だからいい会社が伸びるのに必要なのは、膨大な宣伝費か、それがなければ運のどちらかだけなのかもしれない。地道な努力だけでは、絶対に大きくなれないのが実態であろう。


2003年02月18日(火) 今日のDVDとCD

 DVDがちょっと安かったので、「スタートレック2・カーンの逆襲スペシャル・エディション」を買う。
 久々にジェネシス・デバイスのシーンが見たかったのだ。

 ジェネシス・デバイスのシーンは、予想通り今の目からすればどうという事もない。しかしあれでも当時は革命的映像だったのだ。なにせどこだかの数学学会で事例として発表したくらいだ。
 いずれにせよ対費用効果で、絵的に問題がなくかつ元が取れるという映像を作ったのは、これが初めてなのだ。若い人には信じられないかもしれないが、そういう意味ではとても想い出深い作品ではある。

 しかしカーク提督は、実に無能である。見ていて腹立たしくなるくらいだ。どう見ても優秀な周囲の連中に助けられているとしか思えないのだが、あれが一般的なアメリカ人の描く英雄像なんだろう。
 彼の存在が、私をトレッキーにしない唯一の理由なのかもしれない。
 いずれにせよ、劇場版スタートレックは1と2があれば充分だ。

 ついでに輸入版CDも480円均一だったので、この辺では当然めぼしい物などないのだが、なんとなく4枚買ってしまった。
 名前に引かれて「KERBEROS/BARBEQUE AT ALDERAAN」、なつかしくて「THE TURTLES/LOVE SONGS」(しかもRHINOだった)、なんとなくこんなのもいいかなと「HUNBLE PIE/CLASSICS」、本当にただなんとなく「TALKING HEADS/NAKED」という本当に脈絡がなく、しかもアルバム的にどうでもいいような物ばかりだ。
 全く未知なのはKERBEROSだが、はずれても480円ならいいだろうという感じで聞いたら、やはりはずれだった。メタル系プログレらしいが、かなり軽めだ。端的に行って、特徴がないのだ。

 こうしてみると、やはりドリーム・シアターって偉いよなぁ。独自のスタイルを確立して、後を追う者たちを作ったんだから。二枚目が出た時からずっと聴いているが、彼らはその姿勢がプログレッシヴなところがいい。

 とりあえずメタル系で常に気にしているのは、ドリーム・シアター、マジェラン、シャドウ・ギャラリーあたりだが、これはどちらかといえばプログレ寄りか。
 まあ、純粋なメタル系で「これは凄い」というのが、なかなかいないんだよなぁ。どうしてもアルバム単位で聴くと物足りないのだ。

 そう、私はアルバム単位でまとまって出来がいい、というのが好きなのだ。
 だからビートルズで言えば「アビイロード」がベストで「ラバー・ソウル」が二番手となる。「レット・イット・ビー」は最悪の駄作という事になり、「ヘイ・ジュード」は初めから編集盤と位置付けられているから特に好きではないが許すし、「オールディーズ」は勢いも手伝って最強のベスト盤だから、好きだ。
 まあ、こんな事はどうでもいいか。


2003年02月17日(月) 今日も食玩20個だ…

 今日はコナミの「懐かしのSFビークル」の発売日。昼にいつも入荷しているロ×ソン二箇所を調べたが未入荷だった。

 夜になってから念のためと思い、20時30分に行ってみたら、バイトの人がちょうど並べている最中だった。
 並べ終えるのを待って、そのまま20個をカゴへ入れる。なんか一瞬、悪い事をしたような気分になった。もしかして、「売れるのは嬉しいが、せっかく並べたのにすぐ持っていくなんて」と思っているかもしれない。

 帰宅して早速開けると、レア物と言われているスーパーカーも出て、とりあえずコンプリート。
 でもマックスカーが4個と言うのはちと多いが、飛行形態への改造という事も考えている事だし、なによりU-59が4個出るよりましだ。
 10個あたりの数量分布は予想通りだったので、イーグルもホークも4機ずつ揃った。イーグルはあと2機くらいあってもいいが来月レスキュータイプが出るから、ま、良しとしよう。

 しかしこのスケールだと、イーグルの発着ランチを作ってみたくなるなぁ。資料はかなり揃っているのだから、そう難しい事ではない。

 しかし肝心のモデルの出来だが、やはりUFOがピークだったのだろう。ところどころ粗があり、何よりかなり省略された作りになっている。塗装もイーグルやホークは汚しが少しオーバーだし、マックスカーは個体ごとに塗りムラがかなりあったりする。
 コナミのこのシリーズ、もう限界なのかもしれない。あとは来月のSIDが出たら、もう終わりだろう。

 でもこれだけの物を提供してくれたのだから、まずはメーカーに感謝したい。


2003年02月16日(日) 休みの日記は長くなる

 昨日、掲示板にJemさんが「五人と一ぴき」シリーズの本が復刻されたと書き込んでいた。
 そう、あのNHKドラマの原作である。38年ぶりの復刻だそうで、訳者に福島正美の名前があるところが、もう露骨に時代を物語っている。と言うか、この人も訳していたのか、という驚きの方が強い。ちなみに原作は8冊もあるそうだ。

 それだけでも驚きなのに、テレビは1969年4月から2年半で100話放映していたとの事だ。ちなみに私は、1970年3月までしか見ていない。4月からサッカー部になったので、ほとんど6時台の番組は見られなかったのだ。
 しかし100話もやったとは、かなり人気があったんだろうし、この人気が元で少年ドラマシリーズの企画が通ったのだと思う。なにせ最初から「タイムトラベラー」なんて作品で飛ばしてくるんだから。
 当時はSF物や推理物(冒険物か)がかなり流行っていたから、違和感はなかったのだ。
 やはりこの時期のNHKは活気があったなぁ、すべてにおいて。今とは本当に比べ物にならない。

 で、調べている途中で驚きの事実が判明した。
 このシリーズの前に「名探偵カッチン」という番組が放映されており(「ちここの暗号」なんてしょうもないものも、当時は楽しんでいたっけ)、これはカッチン、トム、チカたんという三人組の少年少女探偵物なのだが、このチカたんを演じていたのが「平野文」、つまりラムの声をあてたその人である。これはかなり驚いた。実はうる星やつら放映当時は、特に平野文のプロフィールに興味はなかったから、全然知らなかった。
 つまりこの人、芸歴は結構長いという訳だ。

 こういうところでネット検索の便利さを実感してしまう私は、やはりまともではない、という事か。

 そしておうともさんのHPには、もうホーク・マーク9とイーグルの食玩が載っている。みんな早すぎるぞ〜。
 でもホークの塗装は、思ったより良くない。なんかむりやり汚しているという感じになってしまっている。一応かなり大型の宇宙戦闘機という設定なのだから、汚しは適当に控えてもらった方がいいのだ。汚し塗装なんて、必要なら後からなんとでもできるのだから。


 で…。
 本日「拳銃猿」(by ヴィクター・ギシュラー)読了。
 原題は「GUN MONKEYS」で、確かに「拳銃猿」なんだが、もうちょっと洒落た題名にしても良かったのではないか。
 元々腕っ節しかなく考える事が苦手なのに、ボスが突然行方不明になり、仁義を重んじるあまり、ひたすらボスを探すという、確かに猿としか言えない男の話ではある。
 でも読後感からすると、もう少しなんとかして欲しかった。本来「男たちの挽歌」みたいな話になってもおかしくないのに、あまり悲壮感を感じさせないあたりはとてもうまいと思う。

 しかしストーリーの要である「ボスの行方」と「帳簿」は、作者にとってマクガフィンだったのではないだろうか。やはり拳銃バカというか、暴力の世界でしか自分を生かせないチャーリーの精神的成長(ただし中年だ)を描くのがメインだったのかもしれない。

 暴力描写もかなり淡々としたプロの仕事が多いため、本来悲惨なシーンになりそうなのに、うまく描写している。本来はとても酷い事をしているのにあっさりと描写しているのだ。たとえば大口径の拳銃で相手の膝を打ち抜くなど、知っている人間にはかなりきつい描写なのだが、必要なら手加減しないが、必要以上の時間はかけないというプロの仕事をあらわしているから、これでいいのだとは思う。
 それでも膝を砕くという事がどれだけ凄惨な事なのか判らない人にとっては、かなりあっさりと話が進んでしまうぞ。
 この辺が、大藪春彦なんかとは雰囲気が異なるところだろう。
 しかし最近軽めの本ばかり読んでいるなぁ…。


 ところで…。
 会長の日記に、「小学5年生の長女のクラスでは誰と誰とが別れた別れないとここ数日間修羅場が続いているらしい。乱れた世の中である事だなあ。」とある。
 子どんぐりも5年生だが、そういう話はとんと聞かないし、チョコももらっていない。なんでも学校に持ってくるのは禁止との通達があり、子供たちは放課後に駆けずり回っているらしいのだが、子どんぐりは「ポケモン見るから」とさっさと帰ってきたらしい。
 トロいだけなのかも知れないが、平和な事ではあるよなぁ。


2003年02月15日(土) 「間違っている」と間違う事もある

 昨日の日記の題名は、わざとアンバレン帯と書いたのだが、どんぐり2号は間違ったと思っていたとの事だ。しまったなぁ。まあ題名とはいえ、唐突だから間違ったと思われても仕方がないか。もちろん正解はバン・アレン帯だ。念のため。

 間違いといえば、会社で「ベトナムでの北爆を教訓にして云々」というイラク絡みの記事を読んでいた女性が、「北爆」は「空爆」の誤植だと思っていたという。驚いて説明したが、やはり知らなかったようだ。
 確かにベトナム戦争というのは教科書でやるには新しすぎて、歴史としてはもう古いのかもしれない。でもアメリカの行動パターンには、かなりベトナム戦争の影響があるのだから、知っておいた方がいいと思う。

 今となってはそもそもの発端がフランスの植民地政策から始まった事すら忘れられているし、日本の学生運動もベトナム戦争とかなり遅れて入ってきた共産主義思想であれだけ活発かつ過激になっていたのも忘れられているのかもしれない。
 たとえ日本国内の事であっても、世界の動きと連動していたからこそ、大きな社会問題になったのである。だから世界情勢も知らないと、日本国内の動きは判らないという事だ。

 ちなみに会社で女性が読んでいた記事には、「アメリカが本気でイラクを攻撃する気なら、一般市民がいてもBLU爆弾での大殺戮も辞さない」みたいな記述があったが、この筆者はBLU爆弾をきちんと理解していないようだ。

 BLUシリーズには大きく分けて、燃料気化爆弾、貫徹爆弾、空中炸裂弾という三種類あって、大量殺戮兵器は最初の燃料気化爆弾だけだ。そしてこれは当日の風向、気温など気候により性能が大きく左右してまう、ある意味不安定な兵器なので、効果が確実ではないのが弱点だ。核のように効果が確実な兵器ではないのだ。

 そして貫徹爆弾は、地下深くに作られたシャドーの本部、ではなく司令部まで潜っていって直接破壊する兵器で、空中炸裂弾は、ゲリラのかくれる場所をなくしたり、ヘリの着陸場所を確保するために、木々を吹き飛ばして平地を作り出すために使用する。

 つまりシリーズ名は同じでも、使用目的は全く違う兵器なのだ。と、些細な事を長々と書いてしまう私であった。


2003年02月14日(金) アンバレン帯?

 今日は全国的にバレンタイン・ディというものらしい。「らしい」と書くだけで、もう縁がないとばれてしまう。
 この日に女性が男性へチョコレートを送るのは日本だけの風習だと思っていたら、最近は韓国もそれを真似しているとの事で、やはり女性が慎み深いといわれる文化では、欧米化する過程でこうなるのは必然だったのかもしれない。

 しかしバレンタインの由来というのも、実はあまりはっきりとしていないらしいが、やはり「究極超人あ〜る」に出てくる由来ネタが最高に笑えるし、大好きな話だ。
 これは「そもそも昭和20年、GHQのバレンタイン少佐は、当時の占領下で甘いものに飢えていた日本の子供たちを哀れみ、軍の物資であるチョコレートをくばったのが始まりだ」というのだが、実にもっともらしく聞こえるではないか。

 実際会社で、入社直後の女の子にこれを話したら見事に信じ込まれてしまい、半年後にまだ信じていた事が判って慌てた事がある。
 これ以後、この子が人の話を鵜呑みにしなくなったのは言うまでもない。いい社会勉強になったというものだ(ほんとか?)。

 で、今日は結局、義理チョコを一個もらってしまった。それなりに名のあるチョコなので、これではお礼をしなければなるまい。

 ところで「謎の円盤UFO」の某掲示板に、もう首都圏でコナミの食玩「SFピークル」を入手したという書き込みが。
 えらくフライングだが、許されるのか。正式発売日は2/17で、こちらはその翌日なのだぞ。もっともおかげで、10個ボックスにおける配置はほぼ見当がついたからいいけど。今回は20個プラス4個だな。これでイーグルが5機揃えばいいが。

 あ、バレンタインのお礼にコナミの食玩というのはどうだろう。バカにされるのがオチかね、やっぱり。


2003年02月13日(木) 「蒼いくちづけ」とは恥かしい題名だ

 神林長平の「蒼いくちづけ」を読む。
 しばらく前に買っていたが(神林作品は、とりあえず見かけたらすべて買う)、表紙がアニメ調でしかも解説を読んだ限りでは、とても面白そうに思えなかったため、しばらく放っておいたのだ。
 先日もこの人の「ラーゼフォン」を読んで、はずしたばかりだったし。

 しかし置きっ放しはそろそろまずいと思っていざ読み始めたら、いやこれが面白い。表紙と解説で、絶対損しているぞ。題名もいまいちだし。
 我々の世代は、装丁や解説も重視するのだから、こういう表紙と解説では、売れないのではないかと心配になってしまう。表紙につられてろくに本を読まないアニメ・ファンが買ったとしたら(そんなヤツがいるかどうかは不明だが)、それは荷が重いだろうし、まっとうなSFファンならあの表紙で引いてしまう。
 どうも最近のハヤカワはセンスが良くない、というより、悪い物が多くなった。

 とどめがあの解説だ。大体のアウトラインだけであり、肝心の部分がまったく説明されていないため、おとぎ話をモチーフにしたラブ・ロマンスか?と誤解してしまう。
 こんなつまらない解説を読んだのも、久々だ。普通は解説に騙されるものだ。

 肝心の中身は、神林が「リング」等のホラーを書けばこうなる、という感じだ。もちろん主題はホラーではなく、SFだ。いつもの彼らしく「人間とは一体何のために生きているのか」というテーマはあるし、SFらしく道具立ても揃っている。それでもこれはまさにホラー小説だ。
 神林SFだから、何らかの合理的解釈に至る、というか納得できる味付けになるのが判っているから、読みながら「一体この後どうするんだ」という感じで、ページをめくるのももどかしかった。

 ただし、彼の作品にしては非常に軽いと言える。私があっという間に読み終えたのだから、かなりの軽さだろう。
 だがエンターテナーとして、なかなか良く出来た作品に仕上がったと言える。とにかく「ラーゼフォン」より面白かったのは確かだ。
 どこかが映像化したら面白そうだが、どちらかと言えばテレビ局が喜びそうな題材ではある。むしろ、シリアスな少年ドラマシリーズにしたらいいかも知れない。いや、マジで。


2003年02月12日(水) ふろヰ道のライブ・ビデオ

 会長から届いた「年末のふろヰ道ライヴ・ビデオ」を見る。
 のっけから大将軍の声がかなりの迫力で、会長のギターも暴れているし、大王のドラムも、見た目は淡々と叩いているように見えるのに、とても迫力がある。
 そしてみんな、かなりのっているためか、冒頭の「畳」はかなりいい曲に仕上がっている。個人的にもこの曲はかなり好きだ。
 やはりペースが遅くとも、こうして徐々に曲を増やしていくのは、見ていてとても楽しい。

 そして、場所のせいかみんなのパワーなのか、はたまた機材のせいなのかは、実際にその場にいなかったから判らないが、音に厚みがでたように感じるし、プレイ自体がかなり安定している。やはり毎週毎週、きちんと練習していただけの事はある。
 みんなそれなりの年なのに、必死になって練習していたというのは、やはり凄い。いや、この場合えらいと言うべきか。
 後悔先に立たずだが、もっと見に行きたかったものである。

 さらにこのテープ、ちゃんと編集処理がされていて、無駄がない。さらに最後は以前のライヴ・シーンをはさみつつ終わるから、とても感動的である。
 まあある意味基本的な作り方ではあるが、実はその基本的な作り方というのが、意外と難しいのだ。
 見ていて本当に感動的な終わり方だったから、やはりとてもうまい編集なのだ。

 そして私のテープには、おまけが入っていた。会長がお子さんの運動会の時に応援で太鼓を叩いているシーンである。
 何故そんなモノがというと、UKの「イン・ザ・デッド・オブ・ナイト」を叩いているからなのだ(私は、車の中にUKのテープを常備しているから、このサウンドを聴いた瞬間にUKだと判ったぞ、とちょっと自慢)。

 まさに判る人にしか判らないという代物だが、こういう子供の行事をきちんとバックアップして、なおかつその中で遊んでしまうという、この姿勢に脱帽である。やはりちゃんと家族を大切にしているのが判る。

 しかしこうしてみると、何もかもが「少しは見習いたまえ」と言っているようだ…。


2003年02月11日(火) スキーとビージーズ

 会社の親睦会行事で安比へ行く。
 ただし私個人は裏方に徹するから、今回はスキーをやらない。ブーツも板もボロボロだし、まあいいか。

 そもそも、新しいスキーを買いたいものだとスポーツ店へ行くと、これが全然置いていない。あるのはボードとカービングばかりだが、私はカービングを使う気がないから困ってしまう。

 なぜ使う気がないかというと、カービングは初心者でも簡単に「曲がれる」のだが、これは逆に言うと膝にかなりの負担をかけてしまうという感じがするからなのだ。
 従来のスキーだと、ターンするためには、足首、膝、腰を使い、さらに上半身の体重移動まで含めて行うから、大変ではあるが覚えてしまえば体に無理がかからない。しかし簡単に足首や膝の動きだけで曲がるという事は、特に膝への負担は大きくなる。
 若者はいいが、私くらいの年齢になって、特に膝が丈夫でない場合、膝を壊してしまう可能性が大きいと思うのだ。

 と、ずっと思っていたら、やはり某スキーメーカーの人が同じような事を言っていた記事を見つけたから、まず間違いないだろう。この人は、いくら売れていても、年をとった人にはカービングを勧めないそうだ。
 やはり良心的な人はいるものだが、こういう事はもっといろんなメディアで取り上げてもいいと思う。それによっていらない事故が減るのだから。


 そして、帰ってきて今朝の新聞を読んだら、1/22に他界したビージーズのモーリス・ギブの経歴が載っていた。
 まあ中学の頃は結構好きだった(メロディ・フェアとかの路線だ)が、この人自体については良く知らなかった。
 
 で、一番驚いたのは「趣味はペイントゲーム」という件だ。二酸化炭素ガスなどを利用してペイント弾を撃つ、要は日本のサバイバル・ゲームの元になったやつだ(このペイント弾用のガスガンが日本で許可されなかったため、BB弾を使用するエアガンが普及したのだ)。
 しかもチームもあればパーツ等の専門店まで開いていたと言うからかなりのマニアだ。これは全く知らなかったのでかなり驚いたが、読んだ後、とても微笑ましくなってしまった。

 アメリカなら実銃の射撃という趣味も簡単なのに、あえてペイントゲームにはまるという事は、やはり「仲間と遊ぶ」という事が好きだったんだろうな。


2003年02月10日(月) モデルガンのファンは強い

 いくつかモデルガンのページを定期的に見ているが、さすがに「モデルガン」と限定しているところは中身が濃い。「エアガンは扱わない」と宣言しているところは、大抵が同世代だ。判るなぁ、この気持ち。消えつつあるモデルガンへの愛着なのだ(ただし蒸気機関車なんかへの哀愁とは違う。モデルガンは代替がきかない趣味の物なのだ)。

 そしてモデルガンだから、当然火薬を詰めてガンガン発火している。飾っておくだけではなく、「大事に発火している」ところがいい。当然壊れるが、これもモデルガンの宿命なのだ。それを判った上で遊び倒しているのだ。
 これこそがモデルガン本来の遊び方だろう。

 そもそもこういうHPの濃さというのは、半端ではない。メーカーが倒産した事で、そこの従業員があちこちのショップへ行ったりしているから、色々な情報が流れてくるようだ。
 だもんで、知り尽くしていたと思っていたMGCのGM5シリーズでさえ、次々と知らなかった事実が…。

 MGCのGM5シリーズは、その発売時期によってヴァージョン違いになっているのは有名だが、なんとシリーズ70でもガバメントとコマンダーとデトニクスでは、デトネーターの形状が違い、しかも互換性がないという。これは知らなかったが、一体何の意味があるというのだ。

 カートもスモールとリアルの二種類あったのだが、発火に関してはスモールの方がいいらしい。なぜならリアルになってからは、デトネーターのセンターがずれているので、不調はまだましで、物によってはバレルがすぐに壊れるのだという。
 私は初期型及びスモール末期のモデルしか持っていないから、全然知らなかった(基本的に私が持っているモデルは、ほとんどが初期型だ)。

 またバレルにメッキしてあるモデルは、やはりバレル自体の破損が早いという。
 まあプラにメッキをかけると脆くなるというのはほとんど常識だが、火薬を使用するのだからもう少しなんとかするべきだったのではないのか。といっても初めからメッキを考慮した設計と言うのは冒険ではあるが、結局こういうところがおろそかになったから、倒産するのだよ。

 そもそもこうして途中からサイズや材質が変更になると、当初の設計要求を満たせなくため、一般に調子は悪くなるらしい。スライドの重さ、リコイルスプリングの強さ、ハンマーの質量が変わるだけで、不発の問題やエジェクトの不良なんかが起こるのは容易に想像できる。

 モデルガンという物は、基本的に火薬を利用し、またその形状から悪用もされやすいため、過去官憲の圧力が強かったという歴史がある。したがって製造業界としては異例と言えるほど初期の完成度が高い。これは無用のトラブルを避けるために必要だったのだ。
 だから途中で変更があるというのは、入荷材料の都合というケースも多く、その結果性能が悪くなる。それに対して設計の変更、金型の修正ができないというのは、斜陽産業の悲しさであり、仕方がないと言えば仕方がないといえるだろう。

 しかしモデルガンは、一度出した後、すぐに金型をエアガンに流用してしまうメーカーが多い。こうして消え去ったモデルガンも多いなぁ。というか最近のはほとんどこのパターンだ。金がないから買えずにいると、あっという間に消え去ってしまう。悲しいものである。
 タナカのUSPなんかは、欲しかったが、製造終了という事はパーツ供給に問題ありという事で、結局遊べなくなる。パーツ供給が無理なら初めからエアガンにでもしておけばいい。
 火薬を使用するモデルガンというオモチャは、壊れたのを修理しながら遊ぶ物なのだ。


2003年02月09日(日) 観たり聴いたり

 今日も今日とて、借りてきた「マクロス・ゼロ」と「トゥームレイダー」を見るという怠惰な一日である。

 「マクロス・ゼロ」は、あのマクロスの前日談である、らしい。たった30分の話で5,000円は高いと思うが、話はそれなりに見えるから「某雪風」よりははるかにマシだ。
 しかし演出が20年位前と全然変わっていないのには驚いた。最近のアニメは映画しか見ていないから良くは知らないが、テレビはいまだにあんな陳腐な演出方法をとっているのだろうか。だとしたらちょっと怖いぞ。はっきりいって、ポケモンと変わらないのだ。

 その上マクロスにおける戦闘機の機動は、ちと無理があるよなぁ。そもそもF14を出してしまったのは失敗だろう。F14であの機動は、絶対に無理だ。そしてヴァルキリーもあんな機動中の変形では、いくらオーバーテクノロジーの産物といったって、機体自体が壊れてしまうし、中の人間ももたないだろう。

 それでも変形の過程を細かく見せられると、それは無理だろうというシーンであっても喜んで見入ってしまう自分が悲しい。まあ、好きこそものの哀れなりけり、だ。
 とにかくこれが一巻目なので、今後どうなるのかはお楽しみ、なのであろう。

 「トゥームレイダー」はこれもゲームが元だけあって、まあ昨今のハリウッド的映画であり、御都合主義的脚本ではあるし、トンデモ系の話で時代考証科学考証その他考証も適当である。
 それでも映画としては、あまり破綻していない。まあ教科書的と言ってもいいが。それにアクションシーンでは、それなりに見せ方もうまい。
 結局「バイオハザード」との違いは、演出がしっかりしている点にあると言えるだろう。映画は演出次第でどうにでもなるという見本かもしれない。
 もっとも「バイオハザード」を見た後だから、それなりに面白かったのかもしれない。要は比較の問題だ。

 劇中、ララの使うH&K USPは、マガジンチェンジが面白かった。まあ実際にああいうシステムを使用したら、マガジンリップのトラブルによるジャムが起こる可能性大だが、そこは映画だしね。それなりに見栄えがよければ、いいのだ。

 途中から帰ってきた子どんぐりも一緒になって見てしまったという事は、とても作り方はスタンダードな映画だという事だ。

 そしてどんぐり2号は、町中で「THE ビッグオー オリジナル・サウンド・スコア」の「1」と「2」を買ってきた。結局シングルはなかったので(最近、シングルCDは店に置いていない)、アルバムにしてしまったのだ。
 しかし確かに「2」のあの曲は「謎の円盤UFO」そのものだ。過去「サンダーバード」のパクリは数多くあるが、「謎の円盤UFO」をここまでやったのは初めてであろう。
 このアルバムの他の曲も、UFOのテーマをアレンジした物があり、なかなかいい雰囲気に仕上がっている。私としては、非常にうれしいぞ。
 そして「1」の方には「フラッシュ・ゴードン」や「ゴジラ」「Uボート」等、なかなか笑わせ…、いや楽しませてくれる曲が多い。

 まったく、油断も隙もないなぁ。


2003年02月08日(土) 久々にトヨタへ行く

 ちょっとトヨタのディーラーに行って、WISHのカタログをもらってくる。

 現在乗っているレガシーが、今年車検の上、ノーマル、スタッドレスともタイヤを買い替えないといけないのだ。さらに一昨年、去年と立て続けにマフラーがやられたし、2500ccでパワーはまあまあだけど、高速以外での燃費は悪いし税金も高い(ちなみに高速では結構飛ばしても、リッターあたり14km程度は走るからこの点はいいのだが)。
 そろそろ代え時なのかもしれないと言う訳だ。

 しかし現在出ている車を見ても、心底欲しいと言うのはほとんどない。もちろん高い車ならそれなりにあるけれど、そんなのは買えないし、後々メンテに金がかかるのは目に見えている。
 現在の三代目レガシーはデザインが嫌いだし、フォレスターは3ナンバーサイズなのが欠点だ。

 ちなみに私はあくまで5ナンバーサイズにこだわる。この狭い日本の駐車場は5ナンバーサイズが標準になっているため、あちこち動き回る私にとって、この問題は大きいのだ。
 そういう意味では現在乗っている二代目レガシーはいい車だと思う。車の基本性能と大量の荷物を積むというバランスが、非常にいい。デザインもいいしね。

 今回ディーラーで実際に車を見ていると、どうしてもカーゴ・ルームの比重が軽いと感じられる。早い話が使いにくいのだ。車の基本性能は悪くないのだが、荷物がつめそうもない。やはり通勤をメインに設計されているのだろうか。
 そしてちょっとスペースが広いかなと思うと3ナンバーサイズだ。

 そういう意味では、意外とWISHはいい設計ではある。1800ccというエンジンはちょっと非力だが。と思ったら4月に2000ccが出るらしい。ただしこれは3ナンバーサイズになるとの事で、当然候補から除外される。困ったもんだ。

 ただ価格の面で、確かにWISHの車輌価格は安いのだが、冷静に必要な部分を加えると、実はレガシーの中級クラスと変わらなくなってしまう。レガシーは、長距離走行に必要なものはかなり充実しているので、ノーマルで買っても別に支障はないのだが、WISHだといくつか必要な装備を加えないといけない(このへんは長距離走行をあまり重視していないという事なのかもしれない)。

 なるほど、トヨタはうまい商売をしている。いざとなれば車輌価格は下げずに装備でサービスという奥の手で、他社と差別化できる訳だ。値引きをしなければ利益率の高い装備で儲かるし。
 スバルとかはそうそう車輌価格を下げられないもんなぁ。

 さて、これからしばらくはあちこち見て回るか。


2003年02月07日(金) バイオハザードには愛がない

 借りてきた「バイオハザード」を観る。

 なんと言うか、「所詮は元がゲームか…」という感じだ。基本的には「ゾンビ」で、何もかもがこの映画に集約されており、あちこちにその残骸的映像がちりばめられている。
 そのほかにも映像的にどこかで見たシーン満載である。オマージュとかではなく、見ていてこれはあのシーンだと露骨に判るのばかりなので、どうにも話に没頭できない。
 確かにあのアリスというキャラはもう少し工夫すれば、とてもいいキャラになるのだろうが、いかんせんご都合主義で話が進むもんだから、ツッコミどころ満載になってしまう。
 ラストのクリーチャーも、最近にしては珍しいダイナメーションか?という動きで、不自然きわまりない。

 音楽面でも、オープニングはいかにもジョン・カーペンター風で笑ってしまったし、劇中も、マリリン・マンソンはいかにもこの人というイメージ、他もホラー系の教科書的作りになってしまっている。
 多分作っている連中はとっても楽しかったんだろうなぁ、といういかにも大学生のノリ的映画と言えるだろう。
 この程度の映画で満足する人って、一体どれだけいるというのだろう。

 でもこの監督、実はこういう映画をそつなくこなす、ある意味職人なのかもしれない。つまり、この手のB級映画にある「マニアックな視線」が乏しいのだ。
 例えば「マトリックス」におけるウォシャウスキー兄弟は、ところどころにマニア心をくすぐる映像を挟み込んでいる。しかし「バイオハザード」はそういう映像を真似てはいるが、マニアックな視点になっていない。どうにも中途半端なのだ。

 とても些細な事なので、今後とも指摘する人は出ないだろうからあえて書いておくが、ララがケルベロスに襲われる時にベレッタM92アイノックスを撃つシーンで銃のアップになる。これは明らかに「マトリックス」においてネオがデザートイーグルで射殺(?)されるシーンの真似なのだが、これが実に中途半端なのである。

 「マトリックス」では画面上にキレイに銃が収まり、カートの動きとスライドの動きが非常に良く判る。通常こういうシーンは自己満足なので画面から浮いてしまう危険性があるのだが、何を見せたいかが明確なビジョンとしてあるから、これをうまく映画の流れに溶け込ませている。
 しかし「バイオハザード」では、エジェクション・ポート付近のアップなので、銃全体の動きが判らない。これはカートの動きを強調しようとしたのかもしれないが、アングルが悪いため肝心のカートがよく見えない。
 つまりこの人は何を見せたいかが明確ではなく、こういうシーンに必要な「マニアックな視線」が欠落して、ただの真似になっているのだ。

 そして映画全体がこうなのである。あまりに映像が平坦なのだ。
 この手のB級アクション映画は、全体として出来が多少悪くとも「あのシーンだけは凄かったなぁ」と思わせれば、7割方は成功と言える。「バイオハザード」には、結局そういうシーンがまったくと言っていいほど「ない」のだ。

 脚本にも映像もにオリジナリティがないという状況では、観客の記憶から消えてしまうのも時間の問題であろう。


2003年02月06日(木) 中島らも逮捕。他はだれ?

 昨日日記をアップした後で、中島らもが覚せい剤所持で逮捕されたと言うニュースを見た。
 すべての日本人は、遊びで麻薬をやってはいけないが、この人に関してだけは、大目に見たっていいじゃないか。
 そもそもタバコは国が公然と売っているのに、どうして麻薬はだめなんだ。このダブル・スタンダードが私には理解できないぞ。麻薬がだめならタバコも禁止するべきだろう。あの習慣性は麻薬以上なんだから。

 しかしこの事件で「末端価格は21,000円」って…。自宅にあったのは、大麻たばこ5本(計約2グラム)と乾燥大麻(約4グラム)、マジックマッシュルーム(約3グラム)だそうだが、検挙すべき連中は他にもっといるだろうに。
 そして調べに対し、大麻所持は認めたが、マジックマッシュルームについては「身に覚えがない」と所持を否認しているという。彼なら本当に「憶えていない」かもしれないぞ。
 この人の場合、逮捕と言う事態なのに妙にほのぼのしてしまうのは何故なんだろう。

 「憶えていない」といえば、つい先日、青森の70代の民生委員がセクハラ容疑で告訴されたが、当人いわく「そんな覚えはない」だと。
 まあこの年代だとセクハラという概念が全くない人も多いから、本当に本人にはセクハラしたという認識なんかないのかもしれない。認識がないから余計に困るのだが。
 しかもその女性が抗議したら、さっさと役職からはずしたというくらいだから、アタマの硬さはかなりのものだ。この爺さん、職場ではずっと甘やかされてきたのだろう。まあいい年して民生委員なんてのに噛り付いてるくらいだもんなぁ。

 同じ「覚えがない」なのに、正反対の事例と言えるかな。いや、ひとえに人柄のせいか。

 ちなみに私の職場にも高齢者がかなりいるのだが(戦争に参加したというくらいの人達だ)、やはりセクハラの概念は、まったくない。本人に悪意がないだけに、なおさら困るのだ。
 悪意があれば、それは当人が悪い事だという認識があるのだから抗議も成立するが、そういう認識がないと、なぜ文句を言われているのかが全く理解できないのだ。
 ま、こうして逆恨みという事になる、と。


2003年02月05日(水) 10フィート運動が続いていたとは

 先程のNHKで「10フィート運動」の現在を取り上げていた。これはアメリカの公文書館から日本の被爆状況の記録フィルムをコピーで買い取り、映画にした市民運動だ。

 完成したのは知っていたが、それを公開する運動が現在も国内外で行われているとは知らなかった。これは一度見てみたいものだが、やはり販売とかしているのだろうか(NHKもこのへんの事を教えてくれてもいいのに)。
 いずれこれから調べていけば判るのだろうが、どうもあちこちで公開するという手法らしいから、販売に力を入れているという感じではなかった。
 少なくとも私が住んでいる近辺で上映されたという話は聞かなかったので、見る機会もなかった訳だ。いや、単に見逃しているだけという可能性もあるが。

 こういう運動に関して、金を湯水のごとく使う某球団をかかえた某新聞社なんかは、もっと積極的な応援をするべきだと思うのだが、やはり名前も売れて金になる球団運営の方が楽しいのだろう。

 だが実は、開設当時のプロ野球を国民的スポーツにまででっち上げた戦略グループが、現在の原子力発電所普及のためのシンクタンクでもあったのだ。
 まあそんな連中が絡んでいる新聞社が、原爆の悲惨さを訴える映像を後世に残そうなんて、あまり考えないんだろうなぁ。被爆というのは原発政策にとってタブーだから、むしろ抹消したいとすら思っているのかもしれない。

 実際これらのフィルムや写真は、放っておけばいずれ経年劣化で見られない状態になってしまう。無視して保存活動をしないと言う事は、長期的に破壊しているのと同じなのだ(それが目的か?)。

 そもそも有志による運動だけでは管理に限界もあるのだから、いずれ失われてしまう危険性もある。
 現在のデジタル修復技術はかなりのものになったのだから、技術的にはなんとかできる時代なのだ。自治体や企業などが保存活動のバックアップを行う事も必要だと思うのだが、いかんせんこういう金にならない部分で応援しようなどという企業は、現在そう多くはないと容易に想像がつく。
 スキルはあるのに金がないという、ここにも構造不況の波があったか。

 それでも人類が核をもっている限り、広島長崎というアメリカによる人体実験の惨状は、後世に伝えるべきものだろうし、なんとかするのが被爆国日本としての「戦争に対する責任」ではないのか。

 なんか今日の日記は、自分らしくない内容だなぁ…。


2003年02月04日(火) シャトルの今後

 またまた某所でのネタだが。

  >NASAって何の略だ?
  >Need Another Seven Astronautsじゃないの


 というのは、とてもブラックで笑ってしまった。

 まあ不謹慎っちゃあ不謹慎なんだが、実際NASAとしても、計画が再開した時に今以上の安全策(ほとんどないに等しいが)は示せるはずもない。離陸時にしろ大気圏再突入時にしろ、どうやったって安全に機体から脱出するのは不可能だ。戦闘機等とはあらゆる面でスケールが違いすぎる。
 例のシャトルからの脱出訓練というヤツも、現実には役に立たないのだが(ある意味マスコミ対策ではある)、それでも万が一にも助かる可能性があれば訓練はしておいた方がいい、という程度のものだ。

 そうなると次のミッション時に、パイロットなどはともかく、一介の科学者でしかないミッション・スペシャリストが乗船を拒否する可能性が出てくる。
 それこそアポロ以前のように飛ぶ事自体が立派に仕事であり「飛ぶために飛ぶ」という時代はとっくに終わってしまった現在、宇宙で何かを研究するために飛ぶのだから、乗組員として当然危険は少ない方がいい。
 命をかけてまで研究する価値があるのかどうかという、それこそ命と仕事を天秤にかけなければならなくなるのだ。

 ところでこの事故に絡んで、もう破片をネットで売買しようとする連中が出たという。
 拾った破片を「どうしても欲しかったから隠匿した」というなら、実際には事故原因の究明に必要なのだからやってはいけないのだが、気持ちとしてはまだ判る。
 しかしそれをさっさと金儲けに利用しようという奴らには憤りを感じる。
 ただし、別に「人の不幸で金儲けをするな」と言っているのではない。一般社会ではそういう事例はいくらでもある。私は宇宙開発に限定して言っているのだ。
 この分野はまだまだ冒険的要素が強いのだから、今後も研究・対策が必要であり、死亡事故を無駄にしてはいけない。あらゆる面で、まだまだこれからの分野なのだ。

 そして宇宙開発大好き少年だった私にとって、この分野は開発途上だからこそ、夢もたくさんあると言える。


2003年02月03日(月) 話題にもならなかった

 今日、会社では誰もシャトルの事を話題にしていなかった。いつもなら新聞第一面の記事は必ず話題になるのに。試しに数人に振ってみたが、誰も興味がないようで、もっぱら話題は冬季アジア大会であった。
 なるほど、一般社会とはそういうものなのか。自分の生活に直接関係のない事、しかも宇宙開発関係は話題にすらしない、と。
 これはアメリカ国内で宇宙開発中止の声が上がり、仮に中止になったとしても、アメリカ人だけを責める訳にはいかないという訳だな。

 しかしニュースは人的被害を乗組員7人に限定しているが、あれだけの事故で地上の死傷者がなかったのは奇跡に近いのだという事も主張した方がいいのではないだろうか。

 さて…。

 ようやく「ワイルド7」のさいころ本5巻目を入手。いよいよ6巻目が「地獄の神話」である。個人的にはこれが一番好きなエピソードである。その後のワイルドは、だんだん構成がおかしくなってくるからなぁ。

 「弥次喜多 in DEEP」は8巻で最終となった。前半はまるでキリスト教の事を言っているみたいだが、ラスト近くなると、かなり混沌としてくる。「え? 最後はこういうオチかい」とも思うが…。彼の作品にしては少し長すぎたのではないだろうか。

 「ブラネテス」の3巻は、一歩間違うと宗教へ行ってしまいそうな危うい部分にあえて挑戦している。挑戦自体は高く評価するが、どうもこじんまりとまとめてしまった感がある。どうして火星への片道切符ではいけないのだ?

 なんて書いてたら、子どんぐりが「巨人獣の3巻ないの?」と来た。これは100円ショップで買った本だから、2巻で終わりなのだが、どうも続きがあると察知したらしい。実際、太田出版から一冊にまとまったのが出ていたのだが、買い逃している。
 しかたがないので、本来の続きを話してやったら「悲しい話だねぇ」だって。そうかそこまで理解できるようになったか。
 で、なぜ鉄人とかは読まないんだ?


2003年02月02日(日) コロンビアもなくなった

 スペースシャトル・コロンビアが帰還中に空中分解した。

 考えてみれば、初飛行から20年以上経ってる機体である。そろそろ大きなトラブルがあってもおかしくはないのだ。
 これは機体の老朽化だけでなく、アメリカの検査体制、管理体制さらには宇宙開発への意欲の問題も含んだ、総合的かつ構造的な老化である。

 1986年のチャレンジャー打ち上げ失敗は、本当にまさかの事故だった。結果として人災であったが、文字通り予想外の事故だった。
 当時どういう事故が一番心配されていたかと言うと、耐熱タイルの剥離により大気圏再突入時に熱に耐えられず機体が破壊されるというものだったのだ。したがって今回の事故は、当初から心配されていて、起こる事がある程度予想されていたパターンの事故ではある。
 なにせ機首のタイルがはがれたら、1500度以上の高熱にさらされて、一瞬のうちに破壊されると言うのは判っていたのだし、アポロの頃のように溶融剤による熱放散と違い、単に接着してある耐熱タイルにすべてを託しているのだから、剥離自体が大問題となる。
 そしてタイル剥離というのは日常的に起きており、単に重大な事故が今まで起きていなかっただけなのだ。

 ましてや耐熱タイルというのは、熱には強いが(ステファン・ボルツマン効果で、熱の流入出が均等になる)、力学的応力には非常に脆く、簡単に割れてしまう。こういう物に命を託しているのだ。
 結局スペース・シャトルと言えども、危険度においてはアポロの頃の「冒険」となんら変わりはないという事だ。

 そしてアポロの頃もそうだったが、アメリカ国民の感情として「こんなにも危険で、しかも自分達の生活に直接役立たない宇宙開発は中止しろ」という声が上がるのではないだろうか。無事に宇宙開発が再開するのか、心配である。

 ところでコロンビアは、1981年のスペースシャトル最初の打上げ機で、打上げから着陸まで大騒ぎで実況中継もされていた。そしてその着陸時の交信テープはレコードになっており、これはレコード自体がシャトルの形をしていたので、当時思わず買ってしまった。
 結果として、コロンビアの誕生から死までを見てしまった訳だ…。

 ここまで書いてテレビを見たら、航空評論家など懐かしい名前がたくさん出てきて解説していたが、相変わらずテレビ側の質問はマヌケなものが多いのに呆れる。
 蓄積のない問題(つまり興味のない問題)には、テレビ局というのは対処できないのだとつくづく思うし、対処できないジャンルがどんどん増えているのかもしれない。私のようなシロウトでさえシャトルの構造や運用については知っているのだから、もっとテレビ局には勉強して欲しいものだ。
 結局何を聞きたいのかが、どうも不明瞭だ。

 さらにある局ではテロの可能性も捨てきれないなどといつまでも言っているが、テロというのは目立つ事件を起こし、短時間でそれがテロだと判る明白な証拠を残さないと意味がなく、さらにそれによってある程度の賛同を得なければならない。
 こういう本質を理解していれば、シャトルへの、しかも帰還時のテロなど可能性としてほとんど「ゼロ」だと考えるのが普通であろう。

 しかし60,000メートル上空でマッハ18の飛行体でも、あれだけの映像が捉えられるというのも、意外な感じであった。


2003年02月01日(土) リクルートが安比から撤退

 ニュースによると、リクルートは3月いっぱいで安比高原から完全に撤退するそうだ。後は札幌に本社がある観光会社が引き継ぐという事になっているが、本当に大丈夫なんだろうか。
 去年までは岩手県等の公共団体がパックアップしていたからまだなんとかなった訳だが、完全に民間に移行すると、収益次第で簡単に撤退するのは目に見えている。

 現状の日本経済というのは、もう昔のような右肩上がりの経済成長なんてありえないのだから、その中でどうするかを考えていかなければならない。そして、収益だけで考えればリゾート開発はリスクが大きいのだ。
 特に安比の場合、どうしても冬がメインでそれ以外の季節の収益はあまり多くないのは明白だ。
 夏の安比なんかはのんびりしてて好きなのだが、こじんまりとしたイベントなんかは、いずれなくなってしまうのかもしれない。民間は、利益が上がらなければどんどん縮小するというのが当たり前なのだから。

 そう言えば、バブル期までの異常景気を体験してきた年寄り達というのは、日本政府や銀行がなんとかすれば、これから好景気に転じると本気で信じている節がある。ボケかバカなのだろうか。
 冷静に分析すれば、以前のような好景気や高度経済成長なと、二度とくるはずがないのが判るはずなのに、あえて無視している。右肩上がりはありえないという前提で経営戦略を立てなければならないのに、どうしても成長するという前提でしか物事を考えられない。
 そしてそういった年寄りの妄想に、下の世代が動かされるのだから、たまったものじゃない。

 確かに今の年寄り達の若い頃は、働けばたくさん稼げて、退職金もたくさんもらえ、年金も高額だ。しかし下の世代は、働いたって儲かる訳ではなく、退職金どころか会社自体が存続するかどうかすら判らない。まして年金制度なんて崩壊するのは判りきっている。
 こんな状態で、「しっかり働けば明るい将来が来る」なんていう年寄りのセリフは、誰が信じられるというのだ。

 さらに「小泉内閣が変われば景気が良くなる」とか言う単純なバカ者もいるが、たかが日本の政権が変わった程度でどうこういう事態ではない。なにせ世界的なデフレや不況であり、これは政治経済が複雑に絡んでいる結果なのだから、一国の思惑だけで左右されるようなものではない。
 むしろ小泉政権というのは、田中政権以降、久々の都会派首相であり、イナカ者の「地元優先国家無視」の奴等よりははるかにマシなのだ。本当にマシなのだよ、これでも。
 問題なのは、彼が自民党だという点にある。つまり与党である自民党の力を利用しないと改革は無理なのだが、その自民党は改革を望んでいない、という自己矛盾があるのだ。

 こういう事情があるから、改革は一般国民の生活が良くなる訳ではないと明言できないし、また言霊思想の賜物なのかもしれないが、明言する人は少ない。
 そして、自分だけはなんとか無事に勝ち抜きたいと思っている人間がほとんどだから、日本の将来はどうでもいいという状況になっているのだ。

 結局、高度成長期の遺産というのは、バカな日本人を作ってきたという事でしかなかった訳だ。この国は本気で滅亡へ向かっているのかもしれない。
 今までこういう事は、漠然とした雰囲気でしか捉えられなかったが、今は世間を見ていると本当に心配になってくる。

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