2003年07月31日(木) テレビの基本は吹替である
「吹替洋画劇場」を読んでいる。これはなかなか面白い本だ。まあ洋泉社だし。あまり理路整然とはしていないが、勢いにまかせた辛口だから面白いのである。
でもこの本、実は基本的な部分は非常にマトモなのである。まあそうでなければ楽しめないのではあるが。
それはともかく、日本のテレビにおける吹替え映画というのは、とりあえず映画がどういう物かを知る上で非常に役に立ってきた訳で、特に洋画の吹替え技術というのは、日本では独特の発展を見せてきたのだ。
欧米と違い、オリジナルの役者と声の質が違っていても、とにかく雰囲気と役者としてのうまさを重視していたおかげで、吹替えなのに違和感なく映画の世界に浸れたのである。
もちろんテレビのプロデューサーやディレクターがきちんとしている場合は、という限定条件も付くには付くが、今と違って昔のテレビ関係者は優秀な人が多かったのである。
現在のILMのように、スターウォーズの吹替えはオリジナルの役者と声質を一致させる事を第一に考えているようでは、いい吹替えにはならない。だからC3POの声が野沢那智ではなくなったのだ(いくら日本が側が説明しても、理解されなかったらしい)。
まあ吹替えは日本独自の発展をしていったのだから、欧米には理解できないのも仕方がない事ではあるが…。
しかし当時の吹替えフィルムが残っていないというのは、映画を文化の一部であるという事を軽視していた日本独自の悲しい事である。
なんとか死ぬまでには、モンティ・パイソンの最初の吹替え版はちゃんと見てみたいものである事だよなぁ。
で、またまたまた「宇宙戦争」ネタである(いい加減しつこいかな)。
検索していたら、2003年5月(つまり今年だ)に巨大ステージセットを舞台にした一大イベント「THE WAR OF THE WORLDS」のこけら落としがマンチェスターで行わたらしい。本当は昨年の予定だったらしいが、とにかく続報が見つからなかったので、詳細は不明である。
何故に25年も前のアルバムの舞台を今頃?
ちなみにオープニング・アクトとしてホークウインドがプレイする事になっていたらしい。なんかそういう部分でも興味を持ってしまう。
ホークウインドはもちろんアルバムに関与していないが、「このイベントにふさわしいロックバンドとして招かれた」とある。何がどうふさわしいというのだろう。そのへんの事も知りたいものである。
やはり世の中、知らない事だらけだ…。
2003年07月30日(水) さらに「宇宙戦争」は続く
またも「The War Of The Worlds/宇宙戦争」ネタである。続くなぁ…(多分これも会社で嫌な事が続いているせいだろうけど、それは書かないでおこう)。
あちこち検索してみた結果、「秋はひとりぼっち」は「ヴィグラスとオズボーン」による1972年の曲という事で、やはり記憶に間違いはなかった訳である。
ちなみにこれが収録されているVigrass & Osbone名義のアルバム「Queues」が1999年に復刻されていたという。知らなかったなぁ。
余談だがボーナストラックとして「パールを忘れないで」という曲が入っており、これの原題が「Rmember Pearl Harbour」って、おい。
検索途中で、大石恵の「Rain」というシングルが引っかかってきた。これには「秋はひとりぼっち」のカヴァーが入っているそうである。ちょっと聴いてみたいかも。
しかしそのCDの説明には、「80年代にムーディ・ブルースがヒットさせた」という事が書いてあるのだが、これは明らかにおかしい。確かにその頃はアルバム「ジェミニ・ドリーム」がヒットしていたが、「秋はひとりぼっち」との関係はない。
ジャスティン・ヘイワードというのがキーになって、勘違いしているのかもしれない。
他のHPには「作曲はジェフ・ウェイン。ムーディ・ブルースのジャスティン・ヘイワードが1978年にカバーし、再ヒットさせている」とあり、確かに間違いではないが、この「宇宙戦争」の事は何も書いていない。
だから1978年のヒットは、「宇宙戦争」からのカットなのである。当時、「宇宙戦争」の輸入盤はかなり売れていたのだ(なにせ日本盤が限定で出たくらいだ)。このおかげでリバイバル・ヒットのような状態になっていたのも事実なのだ。
アルバムはジェフ・ウェインが中心となって製作され、ジャスティン・ヘイワードももちろん参加している。彼がムーデイ・ブルースのリーダーだったのは事実なので、色々と勘違いしてしまう人も出るのだろう。特にこの「宇宙戦争」はかなり特殊なアルバムだから、SFに興味がない人には説明が難しい、というより存在意義を説明する事自体が困難かもしれない。
根本的に、SFとロックの両方に興味がない人には、あまり評価されなかった可能性もある。だからこそ「Highlights From The War Of The Worlds」なんてCDが出されたのではないだろうか。
この辺の経緯を丹念に調べたら、意外と面白いかもしれない。
2003年07月29日(火) 今日はRefugee
昨日届いた「Refugee」を聴く。
PATRICK MORAZという人は、YESで聴くと周囲もバカテクなためあまり目立たないが、こうして聴くととんでもないテクニックの持ち主だと判る。しかもかなり特徴のあるプレイをしているから、キース・エマーソンやリック・ウェイクマンと比べても遜色がない。いやもしかしたら実力はそれ以上かもしれない。
当時はYESでのMORAZしか知らなかったから、どうしてこの人が入ってきたのか良く判らなかったのだが、このアルバムを聴くとYESに引き抜かれたのも当然であろうと納得できる。
やはりこういうアルバムを聴く事で見えてくる事もあるのだ。
ただ、やはりLEE JACKSONのヴォーカルはちょっと弱い。時代を考えてもあまりウケなかっであろう事は容易に想像できる。このアルバムならインストだけで勝負した方が良かったと思うのだが、でもおかげでYESに引き抜かれたのだから、まあよしとしようではないか。
でも「The War Of The Worlds」もいいなぁ。何度聴いても飽きない。
正規のロック・アルバムというカテゴリーには属さないけれど、オールラウンド・オールタイム・ベストなら間違いなくベスト10に入れるであろうアルバムである。
ま、「宇宙戦争」を小学校の時に読んだのがSFにのめり込むきっかけだったのだから、仕方がない。
2003年07月28日(月) ついに「宇宙戦争」が来た
メールを開いたら、アマゾンからCD発送の案内が。
ついにあの「The War Of The Worlds」と「Highlights From The War Of The Worlds」がCDで手に入るのだ。嬉しい…。
しかし「Highlights From The War Of The Worlds」はどういう風に曲が入っているのだろう。オリジナルは「宇宙戦争・ザ・ミュージカル」なのである。曲に色々とセリフがかぶせてあるから、純粋にそれをカットしてあるのかどうか。
という事で、早速聴いてみた訳だ。
1曲目の「The Eve Of The War」が始まる前に例のオープニングのセリフは入っていたが、これは予想した事だ。曲自体は編集で短くカットされており、セリフ自体はかぶっていない。
ただ、ちょっと短すぎる。これではオリジナルの感動がほとんどないのが非常に惜しまれる。
待望の、3曲目「Forever Autumn」も短く編集されており、セリフはない。しかし本来セリフがかぶっている部分もあったと思うので、マスターは別々なのがあるのだろうか。でもそれなら1曲目はもっと長くして欲しかった(と思ったら、他の曲でリチャード・バートンの声がかぶっている。別マスターはないのかもしれない)。
まあ1978年というと、プログレが衰退し、長い曲が嫌われていた頃なので、あの時代を考えれば仕方のない事なのかもしれない。結局は曲自体が短い編集盤ではあるが、オリジナルを持っている人にとって、これはこれでいいアルバムだと思う。
だがやはりオリジナルは凄い作品である(90分を越す作品なので、CDも2枚組である)。これほど興奮するアルバム自体が珍しいし、これを凌駕するロック・ミュージカルは存在するのだろうか。少なくとも私は知らない。
元々「宇宙戦争」という小説自体が名作なのだが、映画もジョージ・パルの名作があり、音楽ではこれがある。全部持っているという事は、幸せなのだと思う。
ところでプラケースに貼ってある「EXTRAVALUE」のマークは何なのだろう。後に×マークまでついているからコピープロテクトCDなのだろうか。
明日あたり確認してみよう。
そして今日はまこさんから、レフュジーとおまけのCD-Rも届いていた。
これは明日、ゆっくりと聴く事にする。「The War Of The Worlds」を確認していたら、途中で止められなくなってしまったからだ(まこさん、ありがとう&ごめんね)。
2003年07月27日(日) 秘宝的DVD
諸事情により、結局妖怪会議には行かなかったのであった…。ま、いっか。
今月の映画秘宝は、価格据置おまけ付きという事で、映画の予告編集のDVDが付いていた。
当然秘宝なので、あまり普通でない物も入っている。新旧含めて、である。もちろん古いのはDVD発売に引っ掛けた物であり、これは営業上当然の事なのだが、やはり秘宝的セレクトだ。
「カジノロワイヤル」や「ガルシアの首」なんて、今の若い映画ファンには面白くないかもしれないと思う。やはり時代という物がある上にB級扱いなのだ。でも公開当時は非常に興奮したものである。
それはともかく、「片腕ドラゴン対空飛ぶギロチン」なんてのは、実に懐かしい。懐かしすぎて忘れていた位だ。なにせ30年ぶりなのだから。当時はこういうバカ映画の楽しみ方が判らなかったので、ほとんど記憶から消えていたのである。
しかしこの予告、EL&Pの恐怖の頭脳改革から「トッカータ」を使っているが、多分無断使用なのであろう。
そう言えば「ドラゴン危機一髪」なんかでもフロイドやクリムゾンを使っていたはずだ。未見だが「エマニエル夫人」でもクリムゾンを使っているとの事だ。これはまあどうでもいいが。
ほとんどどうでもいい新作群では唯一、ルーシー・リューが殺し屋をやる「バリスティック」がちょっと楽しみである。しかしこの人、マシンガンを乱射しているシーンのアップがあるのだが、ほとんど瞬きをしていない。これは凄い。インタビューによれば目を閉じないよう数百発の訓練をしたという事なのだが、本当だとしたら、やはり只者ではない。
かの押井も、「アヴァロン」撮影時、主役の女性がどうしても目をつぶってしまうので、狙撃のシーンは後からデジタル修正して目を開けている。その位大変なのだ。
まあ一般的な観客にとってはどうでもいい事なのだが、やはりこういう細かいこだわりがあると、自然と映画もそれなりに良くなっていくものなのである。
あとは「キル・ビル」なんてのが、もしかしたらとってもバカバカしくて楽しめるのかも知れない。もっともタランティーノだから、あまり期待はするまい。
ところで全然関係ないが、政治家の鳩×さん、自分のHPでこんなフラッシュ・アニメやってるけど、意味判ってるんでしょうか。最初はてっきり誰かが作ったパロディかと思っちゃいました。
過去のフラッシュも見てると、とても心配ですね。変な宗教のHPでも見ているみたいで。
興味のある方はどうぞ → http://www.hatoyama.gr.jp
2003年07月26日(土) 地震と妖怪
宮城県北部を震源とする震度6前後の地震が、昨夜、今朝、その後と続いている。
こちらはあまり揺れなかったが、とりあえず親の所、仙台方面の友人関係やフロヰ道のメンバーなど知っている人の所に被害はないらしく一安心である。
今回は強いのが続いているので、いろいろと心配ではあるのだが、地震に関しては文字通りの運任せという部分が強い。だからこそ怖いし、対策にも限界がある。
こうして新幹線も一部が運休となったようだが、さて水木しげる他のメンバーは無事にむつに入れたのだろうか。明日が妖怪会議の開催日なので、おそらく今日が移動日だったと思うのだが。
まあもしむつに行けない事態となっても、水木の御大は気にしないだろう。「これも妖怪達の望んだ事だ」とか言いながら…。もちろん水木しげるを中心とした妖怪会議という性格上、そういう考えもある程度は受け入れなければならないのだが、そうなったら主催者が困るのは確かではある。
まあ、自然現象が相手では仕方がない。
元々「妖怪」というのは、実体が掴めない様々な自然現象や社会現象を、とりあえずイメージとして把握しそれを擬似的に実体化する事で、その社会が心理的な防御線を引くためにある、と考えている。
つまりそれにより「何々のせいでこうなった」という現実感を得て、やり場のない怒りや戸惑いの、とりあえずの鉾先にするのである。これは自然災害や事故や失踪、果ては事件の被害者はもちろん加害者にも当てはまる。それにより社会の精神的な安定化および健全化を図る訳であり、さらにカッパやアカナメのように教育的指導の役にも立つのである。
したがって妖怪とは、大雑把に言って「社会の生み出した妄想」であり、幽霊とは「恨み等や自己嫌悪による個人的妄想」である、と今のところ考えている。
でもそうすると、お化けって何なんだろう…。
2003年07月25日(金) 主催者は疲れる
しかし涼しい日が続く。
日中の最高気温が16度前後である。夜なんか涼しいというより寒いのである。学校は休みに入っているのに、子供たちはプールにも入れず、ちょっと可哀想ではある。
しかもこの辺のプールは、どんなに寒くとも7月下旬には開園し、まだまだ暑くとも、8月下旬にはアッサリと止めてしまう。いかにも公務員の運営しているプールである。毎年の事なのだから、少しはこの地方の特徴を考慮したらどうかと思うが、そんな手間隙かける気は皆無では仕方がない。
これでスポーツを推進しようなんてスローガンを立てているのだから、お笑いである。
さて、今日は会社の宴会。
役員の退位慰労会であるので、親睦会としてはとにかく気を使う。よく言えばみんなフランクなのだが、裏を返せばみんな好き勝手なので、まとめるのは大変である。
役員への花束だの記念品だの、簡単に忘れてくれるし…。
結局、とても疲れた2時間だった…。
なお、ワインはすべて持ち込みだったのだが、安いワインというのは、白はなんとか飲めるが赤はダメだ。ストレートにまずい。結局4本も余ってしまったので欲しい人にあげてしまった。
忘年会の時は、白をメインしよう、と決めたのであった。
2003年07月24日(木) ゲゲゲのゲ
うっかりしていたが、7/27はむつ市で「世界妖怪会議+怪談之怪」が開催される。
出演は「水木しげる (漫画家・妖怪研究家)」「荒俣宏 (作家・博物学者)」「京極夏彦 (作家・意匠家)」「佐野史郎 (俳優)」「多田克己 (妖怪研究家)」そして「イタコさんがゲストで出演予定!」となっている。最後のは不要なのだが、それ以外はレギュラー・メンバーというところだろう。
それであわてて調べたら、なんとチケットがネット等で発売されているのだという。当日券があるのかどうかはいくら調べても判らないので、明日むつ青年会議所に電話してみるしかないが、いずれ普通の方法ではもう間に合わない。もっと事前にPRできないものなのだろうか。
ざっとHPを見たら、やはりむつ在住の人が、Y新聞のローカル版にちょっと紹介されただけで、地元の新聞、テレビなどのメディアでは一切触れられていないとの事。実際この辺のイベントは、終わってから報道されるのが常であるから、仕方がないか。
しかも悪い事に協賛・協力団体を調べると、あの吉×三の後援会の名前が出てきた。金の亡者であるあいつが絡んでいるようではダメなのだが、弱小団体が動く時は、嫌でも協力を頼まなければならないのだろう。無下に扱うと、青森県内では色々と支障をきたすという訳だ。なにせ悪い噂は色々と聞こえてくるからねぇ。
今回は凄い事をやろうとしているのだが、やはり所詮は田舎のお祭りなのかとちょっとがっかりである。
でも行きたい事に変わりはない。生きている水木しげるを真近で見るチャンスなんて、今回を逃したら二度とないだろう。もう40年近く彼のマンガを読み続けてきたのだから、一度くらい本物の姿を拝みたいものである(水木しげるは来年80歳なのだ)。
そう言えば一昨年、成田亨が子供の工作教室の一環で青森に来たのだが、残念ながら行けなかった。すると翌年、他界してしまったのである。子供の工作教室だったので子どんぐりをダシにすれば話くらいはできただろうに、本当に惜しいチャンスを逃したものである。
だからこそ今回は行きたいのである(多分私が見に行けば、当分水木しげるは無事であろう)。
そしてネット等で知り合った人とも、これは同じだ。会える時に会っておかないと、せっかく友人になれるチャンスを、みすみす棒に振る事にもなるのだから。
距離と金の問題は、やはり金の方が大きいのが悲しいところである…。
2003年07月23日(水) SF大会のプログレ企画
という訳で、来年は岐阜である。唐突だが2004年日本SF大会の事である。
来年も巽さん+まこさんのプログレ企画があるらしいし、まこさんのところに巽さんが「是非ご参加下さい」なんて書いているし、う〜ん、行きたいなぁ。
今年のプログレ企画のさわりだけは、まこさんのところに書いてあった。
『巽さんが持ってきたビデオでのキースがオルガンに日本刀を刺すシーンやキースのピアノがぐるぐると空中で回転するシーンは大受けでした。
モラーツ特集でレフュジーとメインホースのCDにモラーツのソロ・ビデオ。レフュジーつながりでナイスの「アメリカ」、ジミヘンの「アメリカ国家」、イエスの謎のブートから「アメリカ」とアメリカ特集。
ビデオではZEPの「カシミール」とPFMの「9月の情景」とFOCUSの「ハンバーガーコンチェルト」とSOWの「パーマーエルドリッチの三つの聖痕2」と四人囃子の「おまつり」。
CDはヌーヴォ・イミグラートの「花・太陽・雨」、国府弘子の「タルカス」、フライドエッグの「オケカス」、ピーナッツの「エピタフ」』
うひゃあ、これでまだ一部らしいから、実に楽しそうである。
それでなくともSF大会だから楽しいのに違いはないのだし、来年できれば行きたいのはやまやまだが、いかんせん遠い…。ここからだと900km位か。こうなると東京や名古屋などの人が羨ましくなる。
羨ましがってどうなるものでもないのだが…。
2003年07月22日(火) カメラ対デジカメラ
カメラの日付がずれていた。簡単に動かせるものでもないのに、10年と一日ずれていた。
もしかしてこのカメラだけ時空を彷徨って来たのだろうか、と思って現像に出してみたら、写っていたのは昨日撮ったものだけだった。残念である。
しかしこのカメラ、時々シャッターが動かなくなる、ストロボが時々点かない、という謎の現象を起こしている上に、データ・パックの日付部分の液晶が黒くなってしまった(ここの交換だけで\20,000位かかると言われた)。
そろそろ替え時なのかもしれない。このカメラにしてからまだ5年なのだが、集中して撮る事が多かったから(一日で400枚、とかね)、ある意味酷使していたのは間違いない。
でも今一眼レフを買い替える場合、銀塩かデジタルかで悩んでしまうという、ちょうど過渡期になっている。
一応EOS630と55を使用しているのだが、銀塩ならEOS7だろうし、デジタルならD10であろう。
ただ、デジタルではCCDのゴミ付着問題を考えると、屋外では高倍率ズームしか使用できないのだから、システム全部を変えてしまって、ニコンかオリンパスにしても構わない。そもそも互換性を重要視するほどレンズを沢山持っている訳ではないからだ。とか言いながら、私の場合ではD10が一番いい選択だとは思う。少なくともここ数ヶ月なら。
いずれCCDの汚れ対策を施したD10の後継機がそのうち出るだろうし、他のメーカーだって必死になっているから、いい機械がどんどん開発されるのは間違いない。
ちなみにデジカメの心臓部であるCCDは使用可能範囲内なら、温度は低い方がいいらしい。というか、CCDの温度が高くなると、それだけノイズが発生するのだそうな。だから実はあまり連続した撮影には向かないらしい。なんか自分の撮影スタイルに照らし合わせると、いまいち向いていないのかもしれない。
でも銀塩の一眼レフは、各メーカーとも新作の開発は控えつつあるし、そうなるとプロやハイエンドのアマチュア向けの高級仕様か、初心者向けの物という二極化が進むのは間違いないところだ。いずれEOS7のような位置付けのカメラはなくなるのだろう。
それを補うのがデジタル一眼レフなのである。高いけど。
結局デジタル機器は、何時買うか迷う、買ったとたんに新作が出る、という問題を抱えている。なにせまだまだ成熟まで程遠い機械なのである。
あとは使いたい時にある程度満足できる機械が存在するかどうか、である。資本主義社会のメーカーが作っている限り、100%満足できる機械なんて、ありえないのだ。
結局は、使いたい時が買いたい時、なのだろう。
ただデジタル一眼を買ってしまったら、近いうちにまたプリンターを買い替えなければならなくなる訳だ。まったくもう…。
2003年07月21日(月) 人里離れた田舎町
いわさきさんからのメールによると、とりあえずSF大会は無事終了したらしい。あとはいわさきさんが無事に帰還するのと、あちこちのアフターレポートが楽しみ、と。
そしてふろヰ道の東京ライヴも盛況のうちに終わったようである。
今回はかなり力が入っていたようで、まだ本人たちのコメントは聞こえていないが、以前にも増して良い出来だったようだ。いい意味での貫禄がついてきたらしい。
なんか給与削減の波に乗ったせいで、どこにも行けないから、どんどん取り残されているような気がするなぁ…。
ところでキャラウィールのサンダーバード・シリーズだが、結局3個セット販売でこれが3回に分かれるらしい。\3,200×3=\9,600…。
そして恐ろしい事に、これらと同サイズのサンダーバード2号を出す事が、ほぼ決定したようだ。コンテナはABSだが、本体は何らかの金属製らしい。価格も\12,000〜\14,000を予定しているとの事だが、ちょっと高いのではないか。まあどうせ買えないから、もはやどうでもいいが。
ただ今回の2号は新金型と言う事だが、昔出ていたバンダイのサンダーバード2号と同じサイズのような気がする。もしかして流用?
ちなみにこの企画は「アオシマ+バンダイ」の共同企画で、万が一売れずにコケてもバンダイは大丈夫だろうが、アオシマはちょっと心配である。
そして押井ネタ。
こちらでは入手不可である、スタジオ・ジブリの広報誌「熱風」に、押井守の記事が連載されている、らしい(現物を見た事がないので断言できない)。
しかしこの「熱風」は東京の大手書店で無料配布されているため、地方の人間には入手が困難である。せめて販売であれば通販などの手もあるのに、なまじ無償なため、手の打ちようがないのが困ったものである。
やはり人口の少ない地方など、どうでもいいという事か。まあ実際そうなのであろう。東京から出た事のない人間には、地方がどれほど情報媒体の入手が困難なのか判らないのだから。
それでもファンサイトにはその抜粋が載ったりして、概要は判るのだが、どうもこういうファンサイトの運営者と言うのは、押井作品に直接関係のない部分を平気でカットするから、あまり役には立たない。どうも周囲がチヤホヤするから、図に乗ってしまうのだろうか。
関係ない部分にこそ、直接は書けない事や作品のヒントが隠れているのだから。文章とはそういうものなのだ。
今回は珍しく、例の「幻のルパン三世」を自ら語っている。語りたくないとか言っていたのに…。内容は今まで公表されている事以上の事は特に書いていない。略された部分に何か書いてあるのかも知れないが、資料がないのだから私には判断できない。つまり特に目新しい資料ではないという事になる。
現時点で本人が書いた、という点では珍しいが…。
しかし最後の部分にある、『もはやアニメにおける戦略目標を喪失した「攻殻機動隊」以降の展開を大雑把に総括するなら、またまたまるごとの仮構路線たる「GRM」は演習を重ねすぎた挙句に、兵站を無視した戦線の拡大によって苦境に陥り、戦時国債を海外に求めたもののこれに失敗して完全に壊滅。二度目の全艦轟沈という巨大なダメージに耐え、残存部隊を再編成し、ポーランドでの遊撃戦に戦術的に勝利したのが「Avalon」である』という文章はなかなか面白い。
この文章だと、戦時国債を自ら求めたような意味合いだが、当時は向こうから声がかかってきたというニュアンスだったはずだ。これが本当だとすると、さすがの押井監督でもかなりの苦境に陥っていたという事になる。あの頃はそれすら口に出来ないほどやばい状況だったのかも知れない。いや、実際やばかったのだが。
そして「Avalon」は戦術的な成功だったという部分で、公開当時感じた違和感の原因は戦術と戦略の違いだった訳だと納得できた。つまり「あまりにそつなく綺麗にまとまりすぎている」という事で、その先の事は考慮されていなかった訳である。後継ぎの育成にも失敗しており、これはソフトに付属しているメーキングから明白である(むしろこの部分の失敗が、大きいような気がする)。
ま、ここまで考察できたのだから、あちこちカットされているとはいえあながち無駄な資料ではなかったと言う事か。
でも、押井の製作の流れが判っていないと、意味が判らないだろうなぁ、この文章…。ま、自分の備忘録代わりという事だ。
2003年07月20日(日) 今年もSF大会かぁ
昨夜の「世界不思議発見」は、レフ・セルゲイヴィッチ・テルミンであった。あのテルミンの発明者であり演奏者である。
番組冒頭には、当然の事ながら竹内氏によるテルミンの演奏があったが、驚いたのは黒柳徹子が自宅にテルミンを持っているという。そして当然の如く全く演奏できないのであった。
なんかこれ、「猫に小判」である事だよなぁ。もったいないなぁ。
そして番組の最後にマトリョミンが出てきたのだが、なんとこれが販売されるらしい。以前NHKに竹内氏が出た時は、冗談ネタだったのだが…。
値段は出なかったが、ちょっと欲しいぞ。
朝にメールを開いたら、夜のうちにいわさきさんから写真付きメールが届いていた。
那須高原はSF大会の会場からである。一枚目はいきなりまこさんが電気ネコのDVDを持っている写真だった。柴野ご夫妻の写真も送られてきた。ワールドコン以来の知り合いらしい。
今回のSF大会の公式HPを見ると、実に楽しそうな企画ばかりである。
巽さんとまこさんは「プログレの部屋」を開くし、あの「ガメラ4」が上映される部屋もある。いろいろと業界の裏が聞ける部屋もあるというし(いわさきさんは戸田のなっちゃんの裏話を聞いたようなので、後で教えてもらおう)。
平凡な生活をしている私は、午後に本屋で立ち読みなどしていたのだが、雨宮慶太氏の作品が今後DVD化されるという記事があった。まず8月に「ゼイラム」「ゼイラム2」、10月には「タオの月」と「未来忍者」である。
ゼイラムは両方ともLDで持っているから、とりあえず「タオの月」だけは欲しいところだ。
そう言えば先月、久々にゼイラム両作品を観たのだが、やはり面白い。もちろんそれなりに古いので時代を感じさせはするが、ハイ・アマチュアとほとんど変わらない状態での作品なので、スタッフの熱気が伝わってくる。
特に、雨宮監督が「今では色々な意味で怖くてできない」というあの光子弾を蹴り飛ばすシーンなど、確かに時代を考えると大変な撮影だったと言えるだろう(ちなみに彼は、今なら20分もあれば同じシーンを作れるそうだ)。
やはり細かい部分に気を使う演出をしているから、安っぽい感じがあまりしないのだろう。いや、全体のトーンは低予算だからもちろん安っぽいのではあるが、要所要所をきちんと押さえているから、映像的に面白くなっている。
やはり予算をかけすぎると会社+プロデューサーが口出しをするから、低予算の方に面白い作品が多いという現状も、ある意味困った問題ではある…。
なんて打っていたら、またいわさきさんからメールが着弾。今度は100人スミス、というか4人スミスである。やっぱりこういうバカバカしい行動が楽しいのだよ、SF大会は。
SF関係のコンベンションは、どんなバカバカしい事であっても、共通言語である可能性が非常に高いからみんなが説明抜きに楽しめる面がある。近年それも怪しくなったが、少なくとも一般社会よりは解説が不要であろう。
でもそういうのが息抜きになっている我々って…。
2003年07月19日(土) 宇宙戦争
会社ではリース切れに伴って、パソコンが順次入れ替わっている。
しかしほとんど使わない人にも高速マシンがあてがわれている訳で、まさに「豚に真珠」である(「猫に小判」では、猫に失礼というものだ)。
こういう人が初めて機械を立ち上げる時、最初のセリフは何かという話になり、すぐに全員が意見の一致を見たのであった。
そして朝、当の本人は開口一番、「スイッチはどれだ?」…。見事に予想通りである。
そんなもん、見れば判るのだが、機械が変わればとにかく何も判らないと主張する人種だから、仕方がないのだ。でもみんな陰で笑った笑った。
さすがにあまりに恥かしい事を言ったと認識したのか、その後はずっと静かにして、システムの人間を呼んでいたが、初めからそうすりゃいいのに。我々は暇じゃないんだから。
ところで、YMOのCD再発に絡んで、松武秀樹の「デジタル・ムーン」が「謎の無限音階」とのカップリングで復刻される。
これは是非欲しいのでアマゾンでチェックしていたのだが、ふと思いついてJeff Wayneの「The War Of The Worlds」を検索したら、1990年にCD化されていた事が判明。しかも「Highlights From The War Of The Worlds」まで出ているではないか。
前者は在庫1、後者は在庫なしだが、誘惑には勝てず頼んでしまった。両方で\3,850なら安いと言えるだろう。
ちなみにこれは、あの名作「宇宙戦争」のロック・ミュージカル版とでもいうべきアルバムである。ストーリーはほとんどオリジナルのままだし(ラストに、ほんのちょっとだけおまけが付いているが)、なにより音楽がなかなか良いのだ。当時(1978年頃)は何度も聴いたものである。原作の「宇宙戦争」が好きな人にはお勧めのアルバムだ。
しかしこれがCD化されていたとは全然知らなかった。すみや等の輸入盤専門店なんかをチェックして気にはかけていたのだが、見落としていたようだ。
もちろんLPでは持っているのだが(国内限定二千枚の方ね)、やはりLP二枚組みだと聞くの厄介だし、カセットでも時間の都合から二本に分けざるを得なかった。
そして「Highlights From …」の方は、曲だけを収録してある(当然短い)という代物で、実は存在すら知らなかったのである。1978年当時にはすでに発売されていたらしい。
楽しみであるが、入荷するかなぁ…。
これに絡んで、とあるHPに「FOREVER AUTUMN は後に短く編集され大ヒットとなりました」とあったのだが、はて、私はこのアルバム以前にこの曲を聞いた記憶があったのだが…。何かの勘違いなのだろうか。
これも気になるのだが…。
2003年07月18日(金) やはり影響は大きかった
予想はしていたが、世の中、鴻池防災担当大臣のいわゆる「打ち首発言」を支持する奴が圧倒的に多いようだ。発言した本人も青少年問題担当大臣なのに、考え方は変えないという。
大臣クラスがこういう発言をしたら、ますます子供を作る夫婦は減るというのが判らないのだろうか。
幼い子供が言う事をきかないと、自分が責任を問われるくらいなら殺した方が楽だ、とあっさり殺してしまう親がますます増えというのが判らないのだろうか。
あるいは「ぐれるぞ」の一言で親を脅迫する子供が増えるのが判らないのだろうか。
子供というのはかなり社会の動きに敏感なのだ。実はどうすれば社会が困るか、感覚的に理解しているのである。いままでは社会的な歯止めがなんとか効いていたのだが、「大臣の立場にいる人の言葉」がこれでは、その歯止めも無くなってしまったに等しい。まさに亡国である。
もう今の日本は、戦争に向かっている戦前と全く同じだ。一般大衆は自分できちんと物を考えられない烏合の衆と化している。
もっともそれが、国民をたやすく操縦するために行った戦後教育の成果ならば、大成功だろう。
本気で日本の将来を憂いてしまう…。
2003年07月17日(木) 物知りって、なんだろ
某所で話題の「Firefall」だが、センデロさんが見つけたところで試聴できた。
これはまるで80年代のロックではないか。もちろん現在でも活躍中なのだが、音作りは明らかに80年代である。こうなると1stや2ndも聴いてみたいものだ。
しかしみんな良く知っていると感心する。私は「Firefall」なんて聴いた事がなかったが、これでまたひとつ物を覚えた、かな?
こんな私でも、会社では物知りみたいに思われているが、なんの事はない、みんなが知らない事が好きなだけで、みんなが知っている事は知らないのだ(私の友人は博覧強記だの本当の意味で頭がいい人だのがうじゃうじゃいるから、少なくとも自分が物知りだなんて思った事はない)。
釣りだのプロ野球だのゴルフだの麻雀だの、全然知らないのである(例えば、テレビのニュースなどで魚が映ってもなんという魚が全然判らないが、自衛隊の事故なんかでエンジンの一部が映ると機種が判ったりする)。
つまり、自分が知っている普通の事をわざわざ人に聞くような奴はいないから、自ずと私の方が物知りのような雰囲気が形成されていくのであった。
もちろん会社限定、である。
でも確かに、晴天なのにゴロゴロ鳴っている時「あ、カミナリだ」という人に対して、「あれはF4がアフターバーナーを作動させた音だ」という状況はあまりまともとは言えないかもしれない。
もっとも「そういう知識はどこで仕入れるんですか?」と聞かれた時は、「好きこそものの哀れなりけり」と答えるが、趣味的な世界の情報は、別に意識して仕入れている訳じゃあない。
ある程度のめり込めば、それは確かに勉強も必要にはなるが、元々は好きでやっている事なら自然と覚えるものだ。仕入れ元なんて聞かれても、答えようがない。
そもそもアンテナをひろげていれば、結構向こうから飛び込んでくるし、専門誌なんかを読んでいれば、それなりの知識はついてくるものだろう。
それでも「専門書」になると、内容が俄然難しくなるから、趣味とは言えなくなるかな。
しかしネットのおかげで、自分が本当に物を知らないという事を、見事に思い知らされる。でも色々見聞きするのは、やはり楽しいものである。
2003年07月16日(水) 吸血鬼に効くのか?
昨日の訃報によれば、坂口祐三郎氏が亡くなったそうである。あの赤影の人だ。ただ赤影の後はほとんどが脇役だから、赤影以外はほとんど記憶にない。逆に言うと赤影のインパクトが強すぎたのだ。
横山ファンだから言うが、作品のイメージはともかく、この人の醸し出すキャラクター・イメージは横山マンガにぴったりなのである。
近年、役者はほとんど廃業状態だったらしいが、61歳という事は、思ったより若くしての他界と言えるだろう。時代は作らなかったが、稀代の作品を残したのは確かである。合掌。
で、これとは全然関係ないが、青森県は新郷村と言えば、竹内文書に由来するキリスト伝説を作ってしまった村としてつとに有名である。
で、ここでも当然のごとく地元の特産品なる物が売られているのだが、今度新製品が発表になった。ひとつは「ヨーグルト・ブルーベリー」という、原料に自信があればまあ当り障りのない無難な路線である。
しかしもうひとつが問題である。「ドラキュラ・ザ・プレミアム」って…。
「ドラキュラ・ザ・プレミアム」という商品名だけでは何だか判らないが、これ、アイスクリームなのである。しかもニンニクの…。
これは内容量150mlのアイスクリーム一個にニンニク半分が入っているとの事。大人は一人一日一個、子供は一日半分が目安などと書いてある。
余計な事だが子供から半分取り上げるなんて、まあ実質不可能だと思うが、それは置いとくとしても、何故こんにアイスを作ったのだろう。ウケるかも知れないが、少なくとも私はあまり食べたいとは思わない。
そもそも一個300円だ。まあ消費者の反応を待ちましょう。
ちなみにこのネーミングだが、「キリスト→ニンニク→ドラキュラ」という判るような判らないような連想で付けられたのだそうだ。私からすればしょぼいセンスと言わざるを得ないが…。
そしてこれは池袋のナムコナンジャタウン(どこだ? サンシャインシティ内か?)というところでも売っているそうだ。これで今後、どういう評価が下ろされるのか、はたまた無視されるのか。楽しみのような、どうでもいいような…。
2003年07月15日(火) ぼくらの海底軍艦♪…
たまたま海底軍艦のジオラマ・ヴァージョンである「轟天号 in ドック」を見かけた。
当然中をチェックしてみたのだが、これがなんと、クレーンのモールドはフレームの間が抜けていなかったのである。つまり隙間は塗装でごまかさなければならないのだ。
これはかなりがっかり、である事だよなぁ。あんな細かいフレームを抜くのはごめんだし、嫌だからこそキットに期待していたのだ。こうなるとどこかがガレージキットで完璧な物を出して欲しいと思うが、でも高くなりそう…。
ドックと言えば、以前イマイから出ていた「サンダーバード2号コンテナドック」は、イマイの廃業に伴い金型はアオシマに移ったが、テレビ放映及び映画公開(予定)にあわせて、販売元がハピネットに統一されたのはご存知の通りである。
そして今回、これを改修した物が出るらしい。どこがどう変わるのか詳細は不明だが、一説では天井に外部からのライティングができるような改修ではないか、との説も…。
はてさてどうなる事やら。価格が据え置きなら、多分買う事になるだろう。
なにせ2号やジェット・モグラの密かな改修は、実はマニア好みな優れ物だった訳で、意外といい結果になる可能性もあるのだ。
とりあえず、多少は期待しててもいいかな?
しかしこういうマニアックな改修って、CDのリマスター、紙ジャケ、ボーナストラックという改訂版につられて同じアルバムを買ってしまうのと同じだなぁ。
いや、模型は改造できるし、パーツ取りという最終兵器にもなり得るから、同じ物が複数あっても別にいいのだ。いいよね。いいんだい。
そう言えばあの「キャラウィール」シリーズでも、ついにサンダーバードの「コンテナメカ」を出すらしい。しかしこれはどう考えても、マニアだけが対象としか思えない。普通に作っても売れ残ると思われるので、少数製作というほとんど限定版みたいな感じになるのかも知れない。
もし売れればこれらを収納するコンテナ、あるいはそれにあわせたサイズの2号を出す可能性もあるというから、まずはお手並み拝見というところだろう。
私は、実際に物を見てから決めるが、写真でみる限りコナミ以上の物はない。そもそもこの辺に入荷するかすら不明なのだから、過剰な期待はするまい。
でも高速エレベーターカーだけは、とにかく買うだろう。やっぱりラークのモデルを持っている都合上、一通り揃えざるをえないのだ(強迫観念)。
本当にITCというのは罪作りな作品ばかり残してくれたものである。
2003年07月14日(月) テルミン in ブラックアウト
昨日、「ブラックアウト」のネタを少し書いたが、この作品にはもうひとつの見どころがある。
なんと椎名桔平演ずる主人公が、テルミンを演奏するシーンがあるのだ。
おそらくドラマでまっとうにテルミンの演奏シーンを出したのは、少なくとも日本では初めてだろう。これは1996年という事を考えても、特筆に価する出来事だ。
小松崎茂の絵の前で演奏するというあのシーンは、主人公の性格付けにぴったりである。
ただ、テルミンの構造を知り、実際に音を出すという経験をし、まこさんのように上手な演奏者による演奏を見てしまうと、番組内での演奏はあきらかに変だと言うのが判ってしまう。
もちろん簡単に演奏できるものではないのだから、いくら音を後でかぶせているとは言え、椎名桔平は良くがんばったと思うが、やはり左手の演技があまりに不自然なのが気になってしまうのは仕方がないだろう。
それでも当時からテルミンを知っていた身としては、嬉しい映像である。
ちなみにLD-BOXの特典映像には、音楽担当のハイジマ氏による「テルミン解体のしかた」なる映像が入っている。
これはなんの事はない、アンテナをはずし、本体をはずし、持って帰るというただそれだけなのだ(冒頭にテルミンの説明も少しだけあるが、間違った事は言っていない)。なぜそんな映像を入れたのかは謎である。
だがテルミンの歴史や構造を知ってしまうと、良くそんな恐ろしい事ができるもんだと、逆に感心してしまう。この人は、テルミンをそれなりに扱える人のようであり、また機械という物を熟知しているからこそできる事と言えるだろう(本当か?)。
しかし高島礼子のあの頭は、どう見てもエリス中尉を意識していたとしか思えないのだが…。
2003年07月13日(日) ちょっとだけ怪奇大作戦
ふろヰ道の会長の日記を読むと、私の所の日記もきちんと読んでいるとの事。そして先日の怪奇大作戦ネタを書こうかな、というところで若干の期待を持たれたようだ。
うーむ、数少ない読者の期待を裏切ってしまったようで、申し訳ない。
予定していた事とは少し異なるが、とりあえず今日、取り上げておく。
「ブラックアウト」の第二話「プラズマ」は、小学生がネットなどを利用してプラズマ兵器を製作してしまい、これで殺人を繰り返すという話である。愉快犯に近く、最後はこの兵器が発する電磁波で被爆してしまうため、結局この子供たちも社会の被害者である、という話になってしまう。もっともその後に子供たちの暴走を予感させるオチが続くのではあるが。
しかしこの話では、凶器を作り明確な殺意を持っている12歳前後の子供を裁くという問題は巧みに避けている。なぜなら結論を出せないからだ。法的に裁けず、子供だから許されるとテレビで明言してしまった場合の影響を考えると、むしろ正解ではあろう。
だが少なくとも、少年法が適用されない子供の犯罪というテーマは、正に時代の先取り、問題提起であるが、放映当時は一般社会の誰もが本気に考えていなかったのも確かである。
逆にいうと、話がリアルになりすぎて再放映しにくくなっているのかも知れない。
「怪奇大作戦」の「かまいたち」は、原理的にはちとアレだが、瞬間真空発生器により殺人を繰り返す男の話で、最終的に犯人の動機は不明なまま終わる。犯人像も普通の若者であるという設定だ。物語の進行上、現代の警察が動機中心で捜査する事への限界を暗示している。だから愉快犯などという言葉が必要になったのかもしれないが。
端的に言えば、社会は「現代の通り魔、しかも理由なき殺人」への対応も考えなければいけないと示唆しているのだ。
「狂鬼人間」は、一時的に精神異常をきたす機械を利用して殺人を犯し、刑法上の無罪を狙うと言う犯罪である(凶器に「祖父の形見である南部14年式」が出てきて違和感がなかったのも、まだ戦後20年経っていないという時代背景のせいである。この番組自体が戦後を引きずっていた犯罪が多い)。
ただし製作スタッフは、最後に「いくら精神障害者でも殺人が許されるのか」と刑法第39条に疑問を呈している。まあ純粋に被害者の立場に立った視点からなら当然と言えるだろう。
ちなみに「刑法第39条」は、
条項1.心神喪失者の行為は、罰しない。
条項2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
となっている。だから極論すれば、心神喪失者に殺された場合、まさに殺され損なのである。
だが、本人にその意思がなく、かつそれが病気であれば、殺意の有無にかかわらず刑法上罰するのが難しいのは確かである。
これは以前から問題になっているのだが、結局まともな結論を出すのが難しいためか、未だに見直すという意見は少ない。
だが近年これを酒や麻薬を服用した場合にも当てはめるケースが多いのだが、これは論理のすり替えなのではないだろうか。
つまり、現実には好き好んで精神異常になる人間などいる訳もなく、酒や麻薬での一時的な心神喪失と一緒にするのは、どう考えても法律の拡大解釈ではないのか。
酒を飲んで事故を起こした運転手に対し「酒を飲んだ後、事故を起こすまでを覚えていないから心神喪失である」というのは、自分で事故の原因を作っているのだから、精神異常の心神喪失とは明らかに異なる。これは厳罰を持って処するのが当然であろう。
これにまで刑法第39条を当てはめようと言う検察や弁護士の考え方は理解できない(もっともこれは動機の問題も絡んでいるのだという)。
だからこそ本当の精神障害者はその保護者、そして特に病院が責任を持つべき問題であり、ただのヨッパライは厳格に普通の法律で罰するべきなのだ。
そしてそういう経緯からか、「心神喪失者医療観察法案」というのが国会に提出されているらしいが、これは通ったところで実行は難しい。インフラが未整備どころではなく、社会の思惑すら統一されていない現状で、そんな物が施行されても破綻するだけだ。
ちなみにスウェーデンやノルウェーは条項1のような内容は削除されているそうだが、日本は不具者や精神異常者を忌み嫌うと同時に稀なものとして大事にするという、アンビバレンツな事を長く文化として持ってきた。
一説では、大黒様というのは、元々水死体の事で、それを発見した漁船は見捨てると祟りがあるという事で拾い上げるのだが、その死体を今度は運を呼ぶものとして大事に扱うという事で、精神的なバランスをとって来た訳だ。
これは菅原道真が日本最大の怨霊なので、これを神様として崇める事で他の悪霊から身を守るという発想と同じだろう。
つまり日本においては、精神薄弱者も一種の神様扱いだったのだ。
結局そういう扱いを忘れ、忌むべきものとして社会から抹殺する(つまりひと目につかないようにする)としたあたりから、精神障害者による事件も多くなってきたのではないかと思う。
だからどうしたと言われると確かに困る問題である。
2003年07月12日(土) そろそろCCCDの話題
ちょっと調べる事があって、ある単語を入れてGoogleで検索したら、トップが時々書き込んでいる掲示板の自分の書き込み、そして少し下にこの日記がヒットしていた。なんだかなぁ。自分の書き込みを読んで「おおっ、そうか」なんてなる訳ないし…。
ついでに先日話題にしたテレビ番組の「ブラックアウト」を調べていたら、1999年にサントラCDが出ていたという情報があった。これは意外である。放送終了から3年、マニアックなファンしかいない番組なのに。
さて、ネット発注しないとだめかな。
CDと言えば、以前購入した「チューブラーベルズ2003」にはCCCDとノーマルCDが存在すると聞いていたが、どうもアマゾンでは両方とも扱っているらしい。
ちなみにCCCDとはCOPY CONTROL CDの事で、単純に言えばコピープロテクトのついたCDだと思ってもらえばいい。実際はリスナーの存在を無視した凶悪な仕様なのだが…。
リスナーを無視した技術なので、イギリス国内ではCCCDという物の販売を認めていない。このためイギリス国内用はノーマルCD、海外向けはCCCDというケースも増えていると聞く。こうなるとノーマルも頼んだ方が良いかもしれない。
原理的に、CCCDは「-1」曲目等の不良セクターを意図的に作ってあり、それがPCでの再生を妨げてしまう。そしてPC用には別セクターの劣化した音だけを再生するためのソフトが自動的かつ強制的にダウンロードされる。ネット環境にない人はどうするんだろう。
しかし専用プレイヤーでも機械によってはその部分で混乱して誤動作を繰り返し、最悪の場合には機械がクラッシュするという。
今までCCCDなんて買う事がなかったのだが(それだけマイナーなのか、私の趣味は?)、今回初めて買わざるをえなくなった訳で、これがとても不安なのである。
という訳で、改めてノーマルCD盤の「チューブラーベルズ2003」が欲しいと思った次第である。
2003年07月11日(金) 社会は単純化を望む、のか
鴻池祥肇構造改革特区相が長崎市の誘拐殺人事件に関して「(加害者の)親なんか打ち首にすればいい」と発言したとの事。
やはり昨日の日記に書いた通り、私刑なんかを望む声が出てきた訳だ。だが現段階でそれを言って許されるのは被害者の親だけである。仮にも大臣たる者がそんな発言をしてどうする。法を守る奴なんかいなくなるではないか。本当にバカな大臣だ。
新潟の事件のように、全貌が判った時点での発言ならまだ判らない事もないが、まだ何も判明していないのに殺すというのは、リンチ以外の何物でもない(リンチが怖いのは、えてして間違いが多いからなのだ)。
そして本当に加害者の親を殺しに行くバカが出てきたらどうする気なのだろう。そういう奴は「大臣も言っている。正義の鉄拳だ」なんて言うに決まっている。そうなったらもう収拾がつかない社会になってしまう。
もちろん考えるだけなら自由だが、大臣という立場で発言するのは愚かとしか言いようがない。
首相は「その発言は不適切だ」とのコメントを出したが、当然であろう(ちなみにこれに対して「首相の任命責任も問われる」という野党もあるが、はっきり言って小泉は非常に頭が良く、政治的品性も最近の政治家の中ではトップレベルであり、現段階でこれ以上適当な首相はいない。小泉が任命する限り、彼より劣る大臣ばかりになるのは当然なのだ)。
とにかくリンチ推奨発言を政府の要人がしたという事で、いくら否定しようが、今後こういう風潮は強くなっていくだろう。
そして発言した本人は反省の色もない。今までの教育云々というが、そういう問題ではない。法律、そして社会の秩序の問題なのだ。今後殺人事件が起きたら相手を殺せば良いと言う発想であり、本当に単純な発想なのである。
こういう事も含めて、社会を悪くしているのはオトナなのである。こんな社会では子供も影響を受けてしまうのは当然だ。
いずれ少年法もきちんと見直さなければならないのだが、多分誰も手をつけないだろう。今の政治家はほとんどが役に立たないから、手をつけられる訳がない。
仮に手をつけても、厳罰主義で逃げざるをえないだろう。鴻池大臣はそのバカ発言でそういう風潮を作ってしまったのだ。もしかして国を滅ぼす気なのか?
なんて書いてたら、また車内に子供を5時間も放置して死なせたバカ親のニュースが流れていた。あれだけ問題になっているのに、まだ車内に放置するバカ親がいるとは信じられない話である。
日中の車内は60度以上になるのは常識で、そもそもエアコンすら作動させていなかったのだから、初めから殺す気だったとしか思えない。でなければ、文字通りのバカである(もちろんエアコンを作動させていればいいかというと、そんな事は絶対にないので、念のため)。
こういう常識以前の事が判らない人間の頭というのは、どうなっているのだろう。
結局今日も勢いで書いてしまった。これでは文章もうまくまとまらないが、いつもの事だから仕方がないか。
結局、怪奇大作戦もブラックアウトも、書く気が失せてしまった…。
2003年07月10日(木) 犯罪は加速する
幼児殺害犯が12歳…。日本も本当に海外と同じ犯罪が起こるようになってしまった。
というか例のイギリスの事件があったにも関わらず、なんの対策もとろうとしない国も警察も法曹界も問題なのだが…。政治家達も相変わらず「個人の問題なのか子供全体の問題なのか」等と曖昧な事を言って逃げているし。
ところで子供を殺された親が「極刑を」という気持ちは判る。しかしこれを許したら、最終的にすべての犯罪は死刑にせざるを得なくなるから、公平に裁くために法律というものが存在する。
だからそれをきちんと運用するために警察も法曹界もしっかりしなければならないのに、現状では加害者の人権ばかりを守ろうとしている。こんな事では、私刑または決闘でしか解決しないという、ほとんど江戸時代に逆戻りした国家になってしまうではないか。
そもそもこれでは、被害者やその家族などの人権はどうなるというのだ。
そして例の新潟で起きた拉致監禁事件の犯人は14年の懲役刑となったが、これとて法律上の定義の問題で騒いでおり、とても被害者の感情を考慮したものとは思えない。二審など11年というふざけた判決だったのだ。拉致監禁と言っても、実際は人格を破壊したに等しく、殺人と同義である。
そして14年と言っても、10年前後で出所するだろうと思われるし、やはりこういう悪質な犯罪への歯止めにはなりえない。そもそも死刑制度も犯罪抑止の役には立っていないという調査もあるくらいだ。いくら極刑と言っても、犯罪抑止の役に立たず、またお礼参りが当たり前の日本社会では、アメリカのように累積刑の方が現実的なのではないだろうか。懲役300年とかいうあれだ。
まあ法曹界は「刑期が300年などという人生より長い刑罰は、非論理的であり意味がない」として導入を拒否しているのだが…。
いずれにせよ今回の事件については、色々と書きたい事はあるが長くなるし、いまの時点で騒いでも仕方がない部分もあるので、やめておく。
ただ警察は、動機中心の捜査はいい加減に改めるべきなのではないかと思う。理由なき殺人や衝動殺人に対処できていないのが現実である。結局初動が遅れて迷宮入り、というケースも多くなっている。
前から言っているが、警察はただの公務員ではないのだ。給料以上の働きをして当たり前であり、そうでない奴はさっさと辞めるかそもそも警察になんか入るべきではない。
役所根性の警官など、意味がないどころか犯罪であろう。
しかしこうして見ると「怪奇大作戦」や「ブラックアウト」は、考えさせる話が多いとつくづく思う。特に前者の「かまいたち」や「狂鬼人間」、後者の「プラズマ」は作品自体も良くできているが、問題提起という意味では傑作と言えるだろう。
明日はこの話を書こうかな。
2003年07月09日(水) しまった、グチの日だ
会社で義務付けられている検診の日だ。
毎年思うが、バリウムでの胃の検査が苦痛である。その他の検査もなかなか面倒である。だが国から義務付けられているらしいから仕方がない。
仕方がないが、集団検診はあてにならない、というのがやっかいであろう。以前NHKでもやっていたが、数を多くかつ安くこなすため、見落としや誤診があり、また検査もかなり幅をもたせているため、不必要に再検査に引っかかるらしい。
実際うちの会社でも、検診の結果が問題なしなのに、その数ヵ月後に発病したという話がいくつかある。また、異常なしの半年後に死亡した(しかも癌だ)例もある。
そういう例を見てしまっただけに、なおさら集団検診に信頼がおけないのは仕方がない事だろう。
ところで近々、親睦会主催で役員の退任慰労会を行うのだが、ちょっとした事から服装をどうするのか数名に聞いてみた。すると平気でジーパンで行くという人もいたのである。
いくらなんでもそれはないだろう。別に正装する必要もないが、仮にも創業者の退任である。普通のスーツ姿程度となぜ考えないのだろう。
これはだいぶ前、会社の親睦会行事に非常にラフな格好をしてきた奴がいて、以後その真似をする奴が少し出るようになったのだ。その最初の奴の精神状態を疑うが、本人は疑問には思っていないらしく今でもそういう格好で行事に参加する。
流石に今回はラフな格好をするなと掲示したが、いい年してそういう常識ハズレの奴がいるから、いらない手間がかかるのだ。自由を履き違えている典型的な例だ。おかげで若いのが真似して疑問にも思っていない。
今回もそんな格好で来たら、掲示までしたのだから、当然引き取ってもらう。もちろんバカ呼ばわりをした上で、だ。
大人気ないかもしれないが、誰も注意しないとなれば仕方がなかろう。全く役所の要職についているからといって、そのバカガキまで甘やかす事はあるまいに。
そして今日も「トリビアの泉」を見ようとしたら、また野球の延長である。ふざけた事を。しかも9回裏で同点になりやがった。
結局こうなると終わるまで見ていなければならない。中身のない番組を見たくもないのに見なければならないのは、苦痛以外の何物でもないのだ。
だからプロ野球は嫌いだと言っておろうが。って、誰も聞いてないか。
2003年07月08日(火) クトゥルーのファンは多い
クトゥルー神話にインスパイアされた小説を集めた「クトゥルー怪異録」を読んでいる。
実は巨大スーパーのワゴンセールで100円だったので、これなら別に損はしないだろうという軽い気持ちで買ったのだ。
だがそれなりに面白い内容である。一部だが紹介しておく。
高木彬光「邪教の神」は1956年の作品なので、さすがに多少の古さは感じるが、文章自体は今でも楽に読めるところは流石である。
特にこの人の短編は、余計な描写が少ないため、ある種ハードボイルドと言えなくもない。とにかく無駄な部分がほとんどないのが特徴なのだ(この辺は工学部を出ている影響なのだろうか)。
そしてこの短編は、クトゥルー的ではあるが、むしろディクスン・カーの「火刑法廷」を連想させる。「あのラスト」の事だ。まあ高木本人は昔、「火刑法廷」のラストをめぐって江戸川乱歩と論争したというのは有名な話だが、彼なりにそれをなぞってみた訳だ。そして私も、これに関しては高木の意見を支持する。
だからこそ「邪心の神」を面白く読めるのだろう。
それから山田正紀「銀の弾丸」が好みである。
この人の作品はSFマガジンのデビュー時から20年に渡って読んでいた(推理物をメインにした頃から読まなくなったが、最近また読み始めている。今年は「神狩り2」が出る予定なのだが…)。
この作品も当時の山田正紀作品と同じく、神と悪魔の物語の一環で、善悪の逆転を描いている。どちらが正しくて何が正しい論理なのか、疑問を提出しているのだ。
まだデビューして3年程なので、内容が判ってしまう部分もあるし、なにより表現が幼稚な部分もある。それでもやはりこの頃の山田正紀は面白い。
ラストに爽快感がまったくない、主人公のやりきれなさとともに読者に不信感を抱かせる、実にうまいラストである。
佐野史郎「曇天の穴」は、作者本人がラヴクラフトに傾倒していると明言しているだけあって、雰囲気や文中の知識はなかなかのものである。
惜しむらくは文章としてまだこなれていない。この人なら、これは数をこなせば解決する問題だとは思うから、今後の展開に興味が持たれる。
まあこんな感じである。
しかし最近は本当に本を読むペースが落ちた。そもそもつまらないと途中で読むのをやめる事すらある。もったいないが、どうもつまらない本が多すぎるような気もするから、仕方がない。
2003年07月07日(月) 七夕といえば宇宙物
今日は七夕だっけ?
どうも7月は天気が悪いし、各地のお祭りも8月が多いので、なんとなく8月に行う行事というイメージが強い。
だいたい7月初めなんて、梅雨の真っ最中であり、天の川を見られる確率は低いのだ。
ところで、9/5にDVDで「ライトスタッフ・スペシャル・エディション」が発売される。
とりあえずこの特典映像のために買わなければなるまい。それだけの価値がある傑作なのだから。
最初は映画館で5回観て、最初に出たLDを購入したが、当時は「トリミング盤」が当たり前だった。その後マニアのためにとパイオニアが努力した事で「ノートリミング盤」が出たので、当然これも購入、現在二組持っている。
実は映画館で公開されたのは、当時の映画館側の事情で大幅にカットされていたというのは、当時いろいろな雑誌で書かれていたから漠然と判ってはいたが、LDを購入してそのカットの長さが半端ではなかったと初めて知った。
もちろんオリジナルにはきちんと意味があるからあの長さなのだが、カットされた劇場版も実は非常にうまく編集されていたため、意味は少し変わるが非常にいい作品に仕上がっていた。
どうしてもカットするならこうするべき、という良い見本であり、過去カットされた作品で評価できるのはこれだけかもしれない。
だからDVD化にあたって、劇場公開版も是非入れて欲しいと思うのは私だけではあるまい。あれはあれでスピード感が強調されているし、オリジナルと比べる事で勉強にもなる。
そして肝心の今回発売となるDVDは、二枚組で2,980円である。なんだか異様に安い。LDで最初に買ったのは10,000円以上したのだ。まあ例によって色の問題もあるだろうからLDを手放す訳にもいかないし、本当に困ったものである。
しかしネット販売のところで検索していたら、この作品を「SFドラマ」と書いているところがあったが、これのどこがSFなんだ?
脚色してあるにしてもすべて実話だし、例えて言えば「アポロ13」をSFと言っているようなものである。なんと不勉強な。ひょっとして宇宙なんかが舞台の作品はすべてSFだと思っているのか?
まあ「アポロ13」と「宇宙からの脱出」は、ベースが実話かどうかの違いだけだし、「ライトスタッフ」と「王立宇宙軍」の違いもそうだ。不勉強な商売人にとって、違いはどうでもいいのかもしれない。
結局、1980年代に流行った「SFの拡散と浸透」というフレーズも、現在の状況を見ると、事象としては失敗したという事になる訳だ。
2003年07月06日(日) 休みが足りないなぁ
「モンティ・パイソン・スピークス!」という本が8/5に出るらしい。
訳者はあの「モンティ・パイソン大全」をまとめた須田泰成氏である。これは間違いなく買うが、はたしてこちらの本屋に入荷するのかかなり不安である。予約した方がいいのかもしれない。
2500円だそうである。
今日は奇想天外兵器を2個購入、「ラーテ」が2台である。でもこれ、後に付いている副砲が二種類のコンパチなので、まだいいか。
しかしこの戦車の副砲(主砲ではない)は、あの超巨大戦車マウスの主砲二門なのである(ちなみに主砲は戦艦の物を流用する予定だった)。まるでバケモノのような巨大さであろう。完成していれば全長35メートルというから、10階建てビルを横にして走らせているようなものだ。
確かに普通のクローラー(商品名キャタピラの方が有名か)ではもたないかもしれないし、そもそもエンジンはどうするつもりだったんだろう。
でも昨今の戦闘機ですら全長が20メートルを越えるものも多く、それを考えると特別おバカという訳でもないのかもしれない…、いや、やっぱりおバカである事だよなぁ。
そしてもしパート2が出るなら、やはりヒメルスキンダーは是非入れてもらいたい。というか出すならほぼ確実に入るだろう。あの空飛ぶ円盤としか思えない形態は、正に奇想天外兵器と言えるのだから。
ちなみに当時のドイツ軍が設計していた電磁砲は、東宝怪獣映画の「サンダ対ガイラ」に出てくるメーサー殺獣光線車にとても良く似ているのだ。東宝の突然変異的スーパー・メカが生まれた背景には、戦争中の資料が関係していた可能性もない訳ではない。
かくして日本には奇想天外兵器を愛でる風習が根付いている、のか?
ところで今朝の「新日曜美術館」に四谷シモン氏が出ていて、その教室の模様もほんのちょっとだけ映ったのだが、竜男さんも一瞬ではあったが画面に現われていた。
考えてみれば彼が四谷氏に弟子入りしてもう20年近くなるか。個展のようなものもやったし、これからどういう活動をしていくのか気にはなっているのだが、我々の常で、正月に会ってもあまりそういう真面目な会話はしない(バカ話で終始してしまう)。
結局いまいち動向が判らないのであった。お互いに…。
かくして今日はフォトショップ・エレメンツの2.0で遊んでいたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。
写真の加工というのは、本当にきりがない。結局写真加工の奥義は「どこで諦めるかを見極める目」なのであろう。
2003年07月05日(土) 今日はお休み
昨日北海道で、天皇の乗る車に突っ込んできた車があり、これを阻止しようとした白バイが天皇の車にぶつかったと騒いでいた。
しかしどこの世界に、バイクで車を止められるなどと考える護衛がいるのだろう。そんなもん絶対無理に決まっているだろう。天皇の希望で派手な護衛をしていないというが、「車輌による攻撃」への対応策を全く考えていなかったという訳だ。
幸いただのピーらしいから天皇も無事で済んだが、明確な殺意を持っているチームだったら、今頃天皇の命はなかっただろう。防護車輌二台でいいから、付けとくべきじゃないのかね。
そして犯人は「公務執行妨害」なのだそうだ。なぜ道交法違反は問われないのだ? だから暴走族はあれだけ派手な事をしてもつかまらないという事なのか?
謎だらけの事件である。
ま、そんな今日も今日とて、ワイルド7の10巻目を探すも(平和な奴だね)、店頭には全くなし。
「サンダーバード 国際救助隊フィルム・ブック」も見当たらず。でもこれは「FAB ANNUAL 2003」をそのまま翻訳しただけらしいから、原書があるので良しとするか。でもなぜPHP研究所からの出版?
ついでに例によっての「ロッキンオン」を立ち読みする。と言っても渋松対談Zだけであるが。
しかし今回は、渋谷がジミー・ペイジとアル・クーパーにインタビューした話なのだが、ジミー・ペイジを怒らせるような質問ばかりしたというところが、いかにもこの人らしい。
アル・クーパーは頭痛薬を飲んでいたためか、インタビュー中に寝てしまい、何度も通訳が「Wake
up al!」と起こしていたとか(モンティ・パイソンみたいだとも書いていたぞ)。実話だと書いてあるが、多分誇張なしの事実だろう。楽しいなぁ。
ま、ロックをやっている連中もしょせん寄る年波には勝てないという事か。
午後、どんぐり2号が「奇想天外兵器の食玩入り入浴剤」(?)を見つけた。
入浴剤だし、5個買ってみた訳だが、結局一番いらないと思っていた「特三号戦車」がダブってしまった。そういうものだ。
あとの三個は「フライング・プラットフォーム」「トリープフリューゲル」そして「フライング・パンケーキ」である。この三個は元々欲しかったのだが、なんとすべてが塗装違いのヴァージョンありという事だ。これはこれで困ったものである。
「フライング・パンケーキ」は一番メジャーなブルーの機体だったからいいが、やはりあのグレーのもちょっと欲しいかな。
しかし奇想天外兵器だけあって、非常におバカで微笑ましいメカばかりである。実際役に立たなかったどころか、設計段階で終わっている物がほとんどである。
今回は箱の上に「series 01」と書いてあるが、次は何を出す気なんだろう。やはり音波砲とか電磁砲なんかも出して欲しいぞ。どさくさ紛れにゴリアテも入れて欲しいものだ(これは実戦で使われたからダメかな)。
こんな事を書きながら、昨日白亜森家から借りたEL&Pの「Brain Salad Surgery」2001年盤を聴く。このボーナストラックがなかなか珍しいのだ。
特に「Brain Salad Surgery(single)」は公式盤初収録だったはずだ。これは元々アルバム・タイトルであり、同名の曲はアルバムには入っていないのだ。聴けば理由は明白だ。アルバム構成を考えると、流れに合わないからである。
1970年代は、結構アルバムの構成を重要視していたので、いくら良い曲でも流れから浮いてしまえば、当然カットされたのだ(当時の日本の歌謡曲はほとんどが同じアルバム構成で、非常に嫌だった)。
やはりこれは買わないとだめかな。
でも家には「Brain Salad Surgery」あるいは「恐怖の頭脳改革」は何枚あるのだろう。
LPはあのギーガーによるジャケットが好きだったので、二枚あるし、CDも確か二枚ある(もっとあるかもしれない)。このうち一枚は、ジャケットが角度によって変わって見えるという珍品だったのでつい買ってしまったのだ。
ただのボーナス・トラックだったら別に買わなくても済むのだが、よりによって「Brain Salad Surgery(single)」である。困ったものだよ、本当に。
2003年07月04日(金) 「へぇ〜」の番組
一昨日は「トリビアの泉」を見たのだが、その前がプロ野球の延長というふざけたもののせいで、30分も待たされる。私はプロ野球に興味がないので、延長は迷惑なだけなのである。
これを書きたかったが、映画を観てしまったので後回しと言う、変則になってしまったのである。
そして肝心の「トリビアの泉」本体であるが、狙いは悪くない。ほとんど唐沢氏の一行知識掲示板のテレビ版であるから、やり方次第でいくらでも面白くできるはずだ。結局スタッフの頭の出来が試される番組である。
でも番組の演出は今ひとつという感じもある。ネタも「へえー」から「なんでいまさらこんなネタ?」というのまであり、やはりまだこなれていないという事なのかもしれない。
ボキャテンのスタッフも一部入っているように感じるので、これからに期待したい。
しかしCMをはさんで同じ事を繰り返すのは、演出として最悪だ。
以前、これについての説明を「いきなり観た人にも内容が判るようにしている」とか聞いた事があるが、つまり初めからこれを目当てに観ている人を馬鹿にした行為だという事に気づいていないのだろうか。そもそもあれでは、CMの合い間に余裕でトイレにいけるのだぞ。
視聴者とスポンサー両者にとって「百害あって一理なし」である。早急に改善してもらいたいものだ。
あ、スタッフはその分手が抜けるから、むしろいい事なのか。
ところで、会社の同僚(女性)から今朝聴いた話。
朝食の時、些細な事で旦那とケンカになり怒りまくっていたら、子供(まだ保育園の男の子である)から「ママ、そんなにパパを怒っちゃダメ。とても愛してるから結婚したんでしょ」と言われたそうな。もう、二の句が告げない状態になったらしい。
うーん、なんか凄くませているように感じるのだが、今時は男の子でもこんななんだろうか。子どんぐりは、6年生になった今でもポ〜っとしてるが…。
で、彼女はその怒りをどこへぶつけていいのか判らないまま出社したのだった。ご愁傷様。
2003年07月03日(木) マトリックス・リローデッド
「マトリックス・リローデッド」を観てきたのであった。これもレイト・ショーで1000円である。先週から「ソラリス」「ミニミニ大作戦」と観てきたが、3本で3000円である。なんかとってもリーズナブル。でも遠いんだよなぁ。
さて今回のマトリックスは背景情報が多い上に字幕がこなれていないという噂を聞いていたし、最近目が悪くなったのもあり、初めて「劇場での吹き替え版」を試してみた。
予想通り、最初は違和感があった。セリフが浮いているように感じるのだ。でもまあだんだんと慣れていくのだが、預言者が此島愛子だっため、一気に吹き替えだと認識させられてしまった。
いや、この人は上手いし実は結構好きな声なのだが、あまりにベテランすぎてどうしても「此島愛子の声」を意識してしまうのだ。でも預言者にはぴったりである。
あとモーフィアスは玄田哲章だが、長セリフが多いのでむしろ室戸文明を連想してしまった。
監督のウォシャウスキー兄弟は押井のシンパのようだが、押井の長セリフの扱いはマネができていないようだ。意味のある事とない事を交互に混ぜてくれないと、一般的な観客はついていけないと思うのだが。
現に終わった時、後ろにいたカップルは「訳がわかんね〜」「どうなってんの?」と言っていた(これには笑えたが、こうした反響は、劇場で見る楽しみのひとつでもある)。
しかしこの映画、アクション・シーンの技術は確かに凄いのだが、どうも必然性が感じられない。特に100人スミスに至っては、本当に笑うところだった。なんかあまり意味がないし、こんなのアニメーションの方が楽なんじゃないかという本末転倒な事を考えてしまった。
合成も一部タイミングがずれていたし。
そしてハイウェイのシーンでも、合成だと判るシーンが意外と多く、一作目以上の感動は少ない。
バイクのシーンは何故こんなに迫力に欠けるのだろう。自分が昔ああいう事をやっていた(逆走はしないけど)から、あまり凄いと感じないだけなのか、そもそも撮影自体に問題があるのか…。やはり撮影方法なんだろうな。確かに凄い事をやってはいるのだが…。結局、後でソフトを買おうという気にならない。
そして基本的には、動きは速い方が見ていて楽しいと再認識してしまった。
個人的には、一作目にあった有効な銃撃戦が、今回はほとんど描かれていないという点がとても不満である。
そしてネオの前には5人の救世主がいたという設定になっているが、6という数を聞いた途端、これはもうプリズナーbU路線で行くのかもしれない、と期待してしまった。つまり「6」なのである。「6はひっくり返せば9になる」というマッグーハンのセリフを思い出してしまったし、ラスト近くの行為はパラレルワールドを暗示している。
これはいよいよ、「自由への戦い」は自分で勝ち取るしかない、集団は無意味だ、という事になるかもしれないし、さらに戦いは続く、という事になるかもしれない。
そもそも次は「レボリューションズ」という複数形なのだ。
今回の映画評は、三作観終ってからでないと書けない。今の時点では、極めて辛い内容の評になってしまうからだ。こうして見ると、同じ構成だった「スター・ウォーズ帝国の逆襲」は、いかに映画として良く出来ていたかという事を再認識してしまう。
2003年07月02日(水) そしてミニミニ大作戦な訳だ
で、昨夜観た「ミニミニ大作戦」である。いきなり字幕は戸田の奈っちゃんであるが、まあSFやらファンタジィに手を出さなければ80点平均の人なので、とりあえず気にしない事にする(気にするなら英語の理解力を付けろって? ごもっとも)。
内容はある程度のご都合主義ではあるが、そこそこ楽しめる。
特にあのカーチェイスは、多分「RONIN」を手本としているのだろう。最近の映画の中ではまあ良く出来ている方だ。特にあのパイプの中はバイクも一緒に良く走っている。
ちなみにBMWのバイクであるが、現在はミニもロールス・ロイスもBMWの傘下なのである。念のため。
だがやはりオリジナルの「ミニミニ大作戦」の軽快さが足りない。せっかくミニを使うのだから、もっときびきびと狭いところを動いて欲しかった。特にあの地下鉄シーンなんかは、うまい使い方があるだろうに、実に惜しい。
そして金庫を破るシーンはかなりいただけない。それまで散々機械に頼った人がいきなり手の感触だけで開けるなど、どう考えても不可能なのに、それが時間との戦いの時に平然と行われてしまう。
そのシーンではアクションの途中なので、あえてああいう短いシーンにしてしまったのだろうが、それなら脚本段階で金庫破りのシーンを別にすべきだったと思う。
そしてそのアクションでは、時間との戦いなので当然信号が邪魔になるのだが、最近の映画の常で、信号を制御するのが当たり前になっている。いくらコントロール・システムをハッキングするにしても、あまりにご都合主義であり、ちょっと不満である。
やはりああいう町中でのカーチェイスは、演出を工夫して、強引な走りをさせるべきだろう。
音楽、というか音には意外とこだわっているようだ。最初の仕事ではカメラが上下するシーンが多いが、ここでのBGMはカメラが下がって水中に入ると、それと同時に音楽もこもった音になる。これはちょっと面白かった。
そして重要なシーンではアレンジ・ヴァージョンではあるが、ピンク・フロイドの「マネー」が二回も使われる。ピンク・フロイドがここまで一般化するなんて、30年前には考えられなかった事ではある。
そして帰りは飛ばさないように注意して運転してきたのである。カーアクションを観た後は、やはりそれなりの走りになってしまうので注意が必要なのだ。
私も昔はバイクで映画を観に行き、帰りはアクセルターンからスピンターン、渋滞の町中を爆走するなんてのは当たり前だった。良く命があったものだが、これは走りながら常に周囲を警戒し、「もしあの車が寄ったらここを抜ける」等のシミュレートを繰り返しながら走っていたからなのだ(そういう意味では、横浜は比較的都会なので、シミュレートしやすい。ここらのように何を考えているのか全く判らん状態では暴走すらできない)。
そういう感覚が鈍くなるから年を取ると事故を起こしやすくなる。注意、注意。
2003年07月01日(火) いろいろあって、ミニミニ大作戦
今年も半分が終わってしまった。あと5ヶ月もすれは雪が降る…。
ところで、青森県の公務員のボーナスが支給されたらしい。出るという事自体が不思議だか、昨年同期より6%多いという。今まで6月12月3月と支給していたのを3月分を廃止したためその分が多くなったとの事だ。
だがこれはどう考えてもおかしい。金銭的な危機感というのはないのであろうか。この大赤字の県で、良くそれだけ出そうという気になるものだ。
やはり基本的に公務員というものは、金銭感覚がずれているのだろう。
こういう事を言うと必ず、「我々も苦労している」とか「そういう人間だけではない」等という戯けた意見が新聞に載ったりする。確かに危機感をきちんと持った人もいるだろうが、「公務員」というシステムにその意識が欠落している以上、いくら個人が騒いだところで全く意味はない。
また金銭的に苦労云々は、やはり普通の社会を知らないという事の証明でもある。100万もらっている人の10%と、10万もらっている人の10%では意味合いが全く違うという事が理解できない。だから公務員はだめだと言われるのだ。
結局社会の感覚とずれている人がある一定以上の割合で存在すれば、それはもう異常な集団と言われるのだ。これはどんな集団でもあてはまる。違いはその比率だけである。
などと打ちながらニュースを見たら、静岡の爆発事件はネットオークションで売った砲弾が爆発したとの事だ。
しかしなんでいまさらこんな事が起きるのだろう。
私はかつて静岡に四年いたが、かなりの民家の玄関先に砲弾が普通に置いてあったりする。聞けば富士の演習場から拾ったとか、隣の家の人からもらったとか、それはもう呆れる状態なのである。そして現実に年に数回、民家で爆発事故が起きていた。つまり日常茶飯事だったのである。
それが20年以上前の話だ。そして今まで警察や自衛隊は何の対策も取って来なかった訳だ。
はっきり言って、静岡のそういう人たちは、別に危険物を持っているという罪悪感や危機感はない。だから困るのだ。あの毎日新聞の元カメラマンと同じである。
今までは文字通りの自爆で済んだが、ネットや宅配が普及した現在、どこで爆発するか判らないのだ。それもこれも民事不介入として放置してきた「いろんな人たち」の責任である。
と憤るような事が続くので、「ミニミニ大作戦」を観てきた訳である。詳細は明日、だな。