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2002年09月30日(月) そろそろESIFCONだ

 今日で9月も終わりである。月日の経つのはターボ全開!

 さて、そろそろ本気でESIFCONの準備をしなければならない。11月の2日〜3日だから、あまり時間がないのだ。
 とりあえず案内書を作成して、ある程度ばらまく必要がある。最終的に20人以上は集めないと、結構苦しいよなぁ。仲間内のネット上に出したけど、まだ反響はない。まあなるようにしかならないのがESIFCONのいいところと言えるか。

 どうせ大した事をしている訳じゃないけど、あと3回で20回になる。つまり20年だ。とりあえず20回まではなんとか開催し続けるつもりだが、それから後はどうするか、まだ未定。
 東北地区に限定すれば、20年近くコンベンションという形式を続けているのは、我々だけではないだろうか。メンバーもゆっくりと変化しつつあるし、さしあたり20回までやれば、発展的解消しても、誰も文句は言うまい。

 さて、その後は「チャウコン」という名称で続けるかな…。



2002年09月29日(日) 今日もDVDソフト…

 今日は1600円分の点数券があったので、「サンダーバード」のデジタル・リマスター版(しかも5.1ch仕様)のお試しDVDを購入。
 これは第一話、しかも英語ヴァージョンのみが入っている2850円のソフトだが、リマスターがどの程度の効果を発揮しているか見たくなったのである。これの結果次第では、来春発売予定の「謎の円盤UFO」を買わなければならないからだ。

 で、結論から言うと、あまり大した事はないかな、という感じであった。
 確かに色については、褪色していたような感じだったのがかなり強くなったし、音もいろいろバランスが変わったせいか前と違う。そしてアップのシーンでは確実に画質は良くなっている。
 しかし私が本当に必要としているメカニックのシーンは、あまりアップがないのでリマスターの恩恵がない。色も褪色していたのだけをずっと見てきたので、むしろどぎつく感じてしまった。音も、強調される部分が変わったためか「あれ?」と思う事が度々だった。

 つまりNHKの正放送、カラーで始めて見た民放での再放送、ビデオ、LDと見続けてきた私の目と耳には、違和感が強調されたソフトであった。まあ、当たり前だが。
 とりあえず当分は、LDのボックスがあればいいや。特典映像は見たいけど。
 あとは「ジョー90」のDVDだけだな、必要なのは。


 ところで模型雑誌を見ていたら、あのハセガワから「ウルトラホーク1号」が出るとの情報が載っていた。分離合体システムについては、超強力磁石を使用するとの事だ(これはうかつなところに置けないな)。
 でも変な接続ピンとかがないのは喜ばしい。以前タスクフォースから出ていた最新版まで含めて、みんなピンが邪魔だったのである。
 ただし過去に、接続部分がすべて引き込み内蔵式のがあった。分離しても接続部分が見えないというアイデアは良かったけど、とんでもなく高かったからなぁ。

 しかしヴァルキリーがよほど儲かっているのかどうか知らないけど、大丈夫なんだろうな、ハセガワは。ウルトラホーク1号だけならともかく、やたらヴァルキリー関連が多すぎるぞ。
 過去、同一機種を多数出すメーカーは、潰れる傾向にあるのだよ。



2002年09月28日(土) 結局「ナイトホークス」も買った

 昨日、頼まなきゃ、とか書いていた「ナイトホークス」を違う店で見つけてしまい、即購入。

 画質と音質はどうかな〜、とか言いつつ全部観てしまったが、マスターはLDと同じのようだ。音質もLDから何も変わっていない。これでは今日びの綺麗な映像及びクリアな音質を当然と思っているDVD世代にはかなり不満な出来と言えるだろう。
 私の場合、DVDだろうがLDだろうが、要は使用したマスターが悪ければ画質は悪いと判っているので、別に怒りはしないが。そもそも完璧なリマスターをするほど会社にやる気も技術もなかったというだけの事だ。
 まあ「サイレント・ランニング」共々待っていた作品だから、それで良しとしよう。

 しかしこの「ナイトホークス」、音楽はキース・エマーソンだが、いかにものエマーソン節全開のなかなか楽しい曲が多い。LPでは持っているがサントラも早くCD化して欲しいものである。あ、そう言えば「サイレント・ランニング」もサントラLPを持っているな(確か渋谷で買ったはずだ)。奇遇である。

 そして映画秘宝が発売されてて、魚屋さんからCD-Rが届いた。知らない人にはなんのこっちゃ、だ。



2002年09月27日(金) 買う順序が逆だな、こりゃ

 昨日購入した「サイレント・ランニング」と同時発売になった「ナイトホークス」も買わないといけないのをすっかり忘れていた。
 これはキース・エマーソンが音楽担当だったので、当時それだけのために観に行ったのだが、思わぬ拾い物だった(サントラの出来もなかなか良かったし)。スタローン映画としては、ランボー(1作目のみ)とともにまともに観られる数少ない映画であろう(というか、この二作だけかな)。でも置いてないから、頼まないといけない。

 ちなみにこの作品、サントラLPもLDも持っているが、LDはマスターが悪いせいで画質が良くない。
 今回のDVDはどうなのか気になるが、「サイレント・ランニング」は昔の物と変わらずあまり画質が良くないから、今回のDVDもLD以上のマスターを使用したとは思えない。つまり以前と同程度の画質だと予想されるが、とりあえず頼んでおこう。

 とか言いながら実は昨日、「ガン・クレイジー・エピソード2」を何故か買っていたりする。困ったもんだよ全く。
 まあ内容的には1よりは面白い気がする(その程度の差だ)。
 ちなみに菊川令はヘタだ。なぜ今の日本は、若手の役者が軒並みこんなにヘタなんだろう。それでも人気があったりするから不思議である。
 
 ただ最近、日本のこの手のB級映画はメイキングが結構楽しい。ドヘタな役者のメイキングはどうでもいいが、スタッフなんかのビハインド・シーンがとても良い。
 ちなみにこの映画、菊川のガンアクションもやはりヘタで、腕を前後に動かしながら撃っている。電気着火のステージガンならこれでもいいが、現在はモデルガンのようにスライドが動きカートがエジェクトされるから、適当に撃つとジャムるのだ。この映画のメイキングでもそれが良く判る。
 
 本来なら、エフェクト担当者がその辺まで含めてアドヴァイスしなければならないのだが、まあビッグショットくらいにならないと無理なのかもしれない。
 こうしてみると、ガンエフェクトに関してはビッグショットの右に出るチームはないようだ。



2002年09月26日(木) ようやく「サイレント・ランニング」

 今日は「サイレント・ランニング」のDVDを買ってきた。
 まあこの話、端的に言えば「環境保護団体のグリーンピース万歳」的なストーリーだ。環境保護のためなら殺人も正当化される、というきわめてアメリカ的な内容である。一応宇宙船が舞台のSFではあるが。
 
 そう言えば昔の白黒映画で「摩天楼」という一種の裁判物があったが、これも「個人の権利のためなら公共性は無視しても良い」という恐ろしい結論を出した話だったなぁ。ある意味、「逆・十二人の怒れる男」的内容と言えるだろう。
 こういうのを観ていると、現在のアメリカって本当に何も変わっていない、とつくづく思うのだった。
 
 ちなみに「サイレント・ランニング」を観始めたら、小どんぐりも一緒になって観ていた。不思議である。

 ところでこれを買う時、店の主人とちょっと押井の話になり、先日DVDが発売された「ゴジラ×モスラ×キングギドラ 大怪獣総攻撃」のオーディオ・コメンタリーは押井の独壇場らしいという話になった。
 つまり他の人たちはひたすら「聞き役及び補足」なのだそうだ。まあメーカー側
は、この人を選んだ時点でそれは判っているはずだから、当然と言えば当然の成り行きだ。
 本編は別に欲しくないが、これは聞きたいよなぁ。レンタル版はどうなるんだろう。

 ゴジラに絡んでネットで読んだのだが、今回のメカゴジラは「感情を持つかも」なんて言われているそうな。なんだよそれは。ジェットジャガーにでもなるというのか。
 もうずっとゴジラ映画は観ていないからどうでもいいけど、いい年した大人がカン違いしたようなご都合主義はやめて欲しいものだ。そんなのを見せられた子供が迷惑だよ。



2002年09月25日(水) いろいろと思う、故に我あり、ほんとか?

 現在、戦略的に物を考える奴は、会社にとって邪魔らしい。会議でつくづくそう思う。
 戦術的ならまだいい方で、どうやら目先の事だけ相手にしてればいいらしく、長期の戦略は金にならんという訳だ。将来確実に問題になる事が判っているのに、手をうとうと考えない。さすがは中小企業だ。

 ところでネットであちこち見ていると、意外な人の訃報に出会う。
 「プロテクター電光石火」に出ていた、ニリー・ドン・ポーターNyree Dawn Porterとトニー・アンホルトTony Anholtが一昨年、昨年と続けて他界していたそうだ。後者はスペース1999の2ndシーズンでレギュラーだったから覚えている人もいるだろう。
 どちらも死去したのは61歳の時なので、まだまだ活躍できたと思うのだが。
 
 でも本当に驚いたのは、生まれたのは1940年と1941年、つまりひとつしか年が違わないという事実だ。テレビを見ていた時は、どう見ても10歳以上年が離れていたように感じたのに、かなり意外である。
 人は見た目では判らないもんだなぁ。



2002年09月24日(火) 巨大なケーキが人を襲う…

 白亜森家から借りた「アタック・オブ・ザ・ジャイアントケーキ」を観る。
 
 1999年のギリシャ映画なのだが、いやもうなんと言っていいのやら、判断に苦しむ映画である。そもそもギリシャ映画のスタイルが判らないから、シリアスなのかギャグなのか、さっぱり判らない。
 あのメチャクチャなストーリー(かなりご都合主義ではある)も、意図的なのかただ単に外れているだけなのか、本当に判断に苦しむ。

 パッケージには「スーパー・エンタテインメント・ムービー!モンスター!コメディ!アクション!ラブ・ストーリー!ミュージカル!SF(一部)!全てのジャンルを網羅した達磨飴的面白さ!」なんて書いてある。確かにその要素はすべて入っているからまったくの嘘ではない。嘘ではないが、これらの要素がまったく何の脈絡もなく展開するのだから、観ている方は首をひねる事になる。
 
 少なくとも観終わって「ああ面白かった」という映画ではない。あえて言えば「なんだこりゃ」というところか。なんかB級とかZ級などと言われるカス映画を観たのとはまた別の感覚である。
 もしかして、欧米の一般観客がいきなり日本の映画を観れば、こういう感覚に近いものを感じるのかも知れない。と言う事は、この映画を観る事で貴重な体験をする事になるのか?

 ちなみにケーキと言っているが、実はムサカというギリシャ料理が巨大化する。これだけでも情報が混乱して訳が判らん状態になっているというのが判ろうというものだ。

 でもこうしてみると、「アタック・オブ・ザ・キラートマト」というのは、バカ映画としては良く出来ていたと思う。少なくとも観た後、みんなでネタにできたのだから、観ただけの価値はあったと言えるだろう。
 例えばあのテーマソング、例えばあの会議シーン、例えばあの歌、例えば「トメィトォ〜」「キャー」…。
 キラートマトの下に車輪が付いていて、ガラガラ転がっていたにしても、だ。



2002年09月23日(月) 唐沢氏の日記から思う

 ネットで唐沢俊一氏の日記を読んでいるが、今回の訪朝問題に関してネット上では「金正日から謝罪を引き出せるなどと予測していたところは皆無である」と書いてあった。どの程度の人たちの文なのか判らないが、世の中の認識はそんなもんだったのだろうか。

 少なくとも現在の社会情勢を見れば、北朝鮮がアメリカ、ロシア、中国という大国から見捨てられ、もう頼るところが日本しかないというところまで追い詰められているのは明白な事実である。
 そうなれば独裁国家の強みで、「私が知らないうちに下の人間がやった」という責任転嫁をした上で、事実を認めるという手を使うのは明白だったと思うのだが。そうしなければ「国家の存在が危うい=金正日の存在が危うい」と言うところまで追い詰められているのだから。
 こんな簡単な事実さえ誰も想像できないほど、今の日本は国際社会の情報から隔絶しているのだろうか。今回の訪朝は政治的には成功なのだという認識が、本当に国民にはないのだろうか。

 もちろん拉致された人の関係者にとって納得できる結果ではないだろうし、抗議するのは当然であろう。
 だがこの辺が、政治的判断と当事者との認識の相違なのだ。政治家はその時々で、自分達に都合のいいようにしか動きはしない。国家(と政治家がいっているもの)のためなら個人は犠牲にされるのは昔から行われている事で、これからも変わらないだろう。

 でもだからと言って直接関係ない人が、これまた直接関係のない朝鮮学校の女生徒に嫌がらせするのは、人間としてカスだ。どうせやるなら、直接北朝鮮に行ってやってこい。それが出来るならほめてやるぞ。


 あと、同じ日のネタで「意地悪に頭を使う人は多いが、好意に頭をつかう人はほとんどいない」という文があった。なるほど、これは納得する。
 送られても困るような物をなぜ平気で送りつけるのか、と常々思っていたが、なにも考えていないから当たり前なのだ。
 冠婚葬祭の贈り物からボランティアでの支援物資まで、ニュースになるくらい異常な物が見受けられるのも、当人にしてみれば「送る事自体が目的」であり、送られた人の事はまったく意識していないという訳だ。

 冠婚葬祭ならともかく、災害救助物資に変な物を送るのは、ある種、犯罪だと思う。



2002年09月22日(日) ト×ザ×スに行く

 昨日新規開店となった、某外資系大型玩具チェーン店であるト×ザ×ス(伏せ字の意味がないよなぁ)へ行ってみる。
 2日目なのに開店前から結構な行列が出来ていたようだが、みなさんそんなにヒマなのか?

 店内に入ってみると、名取にある店舗と内部構成はほぼ同じで、置いてある商品構成も概ね同じであった。
 ブリット仕様のマスタングもあったので近々買うつもりだが、007のロータス・エスプリはなかった。名取店では死ぬほど置いてあったので、次に行ったら買ってこよう。

 それはともかく、店内をしばらく動いてみると、若干通路が狭いように感じた。それでなくとも田舎の客は、わざわざ狭いところで立ち止まる、大きなカーゴを無理やり通す、周囲をまったく見ていない、という迷惑行為が当たり前だから、特に狭く感じてしまうのかもしれない。
 しかもチャリとかを平気で出入り口の前に止めたりするし。ま、田舎だからなぁ。
 とりあえず今日は慌てて買う必要もないので、視察のみにて出てくる。子どんぐりは、なんとなく不満そうではあったが、とりあえず買う物がないのだから仕方がない。

 
 途中、本屋で「クニエ5巻」(by ゆうきまさみ)を買う。
 これが最終巻となるが、どう見てもこれは打ち切りだ。本人と編集のどちらの意向が知らないが、確かにストーリーもどちらへ向かっているのか不明確だったし、キャラの魅力にも乏しい。
 前の「じゃじゃ馬グルーミンアップ」のような平和な家族劇でもなく、「機動警察パトレイバー」のような緊迫感あふれる人間劇でもなく、本当に中途半端であった。
 これはもしかして、ゆうきまさみ初の失敗作か?



2002年09月21日(土) 生きるためには金がいる

 モデルガン関係の某所HP、ここしばらく管理人が不在であったが、久々に書き込みがあった。
 それによると、身内が立て続けに3人も癌で入院。そして立て続けに亡くなったそうな。こうなると2人や3人の稼ぎでは足りないという事で、しばらく前のコレクションの一気に大量放出となったらしい(親戚が少ないと大変だ、と書いてあったが、人事じゃないな)。
 しかし自分のコレクションを捨ててまで看病し、それが全員死去したんだから、ある意味で虚しい出来事である。まあ本人はなんとか復帰しつつあつらしいけれど、一時は本当に鬱状態になっていたとの事だ。

 でもコレクションを放出して、それなりの金額になるようならまだいい。うちなんか全部放出したところで、どれだけの金になるだろう。仮にプラモとモデルガンを全部放出しても、100万になるかどうか…(流通価格と買取価格には、とんでもなく差があるのだ)。
 一度何らかの形で買取価格を調べておいた方がいいのかもしれない。
 
 とにかく今の日本、金がないと病気にもなれないし死ぬ事すらできない。実に歪んだ社会になっている。
 やはり戦後の日本を大きくしたのは今の年寄り達だが、ここまで歪めたのもまた彼らなのだ。そして彼らはのうのうと暮らしているが、我々の世代から下の連中に、はたして未来はあるのだろうか。

 という訳で(どういう訳だ?)、夜は白亜森家へ行く。「実写版ルパン三世」のLDを貸すためだ。
 K一家も来ていたので、相変わらず、ロックだのマンガだの特撮だのの話をする。やっぱりこういう話題は話せる相手が限定されるから、ちゃんと話が通じる相手は、田舎ではかなり貴重である。

 しかし両家のお子さんは、どんどん大きくなっている。そして今日はとんでもなくハイだったが、ちゃんと寝られるんだろうか。少し心配だ。



2002年09月20日(金) 慌しい一日だった

 葬儀も終了。告別式は凄い人の数だった。
 日中出かけていたのだが、実は20日締めの仕事もあったので、夕方はかなり慌しかった。
 
 従兄弟が遠距離なので、もう一泊するという事になり、夜は居酒屋で会う事になった。
 本当は、夜に白亜森家に行く予定だったのだか、まあ葬儀という物は、一度起こればなにかと予定通りには行かなくなるものだ。先客には申し訳なかったが、これは仕方がない。

 しかし遠くに住んでいる親戚というのは、友人以上に会う機会は少ないものである。今回もうちの結婚式以来10年ぶりに会う人ばかりだ。
 しかも従兄弟と話をしたら、35年ぶりに会った人もいたと言う。う〜ん、恐ろしいなぁ。

 まあそんな感じだから、親戚には40を過ぎても「ちゃん」付けで呼ばれてしまうのだな。



2002年09月19日(木) 映画の題名

 某所の掲示板で読んだのだが、「攻殻機動隊」の英語表記である「GHOST IN THE SHELL」のIN THE SHELLは「未熟な、不完全な」という熟語なんだそうな。言われて調べてみれば、確かにそのとおりだった。
 不完全なゴーストという意味でみれば、あの映画は題名で露骨に内容を示していた訳だ(つまり最終的に、「結婚しなきゃ半人前だ」という事を言いたかった訳だな、この映画は。おおっ、新しい説だぞ)。

 そもそもこの作品は、押井作品にしては実に判りやすい映画だったが、あえてこんな題名を付けた事からして、初めから判りやすい映画を目指していたという事なのかも知れない。まあ、英語表記がどの段階で決定したかは不明であるが。
 してみると、これも判りやすい「アヴァロン」なんて、題名自体がとてもチープである。やはり押井は、売るための方法論をも確立したのであろう、等と思ってしまう。

 しかし映画というのは、なぜそんな題名を付けたか不思議に思う事は少ないが、やはり私の中で「ブレードランナー」という題名は不思議だ。
 「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」なんて原作通りの題名を付けたら、そりゃ普通の観客は入らないだろうから、営業戦略上からも、これは正解である。
 でもどういうつもりでこんな題名にしたんだろう。いまだに良く判らない。



2002年09月17日(火) 葬儀に関して、ちと思う

 やはり自分が年をとってきたから、最近周囲で葬儀の話が多くなった。結構みんな会社を休んで葬儀に出席している。
 しかし私の場合、現在の職場にいたら友人の葬式どころか自分の親の葬式にも行けない可能性がある。なんせ交友関係の範囲が、とんでもなく離れているからだ。

 実際、昨年友人が突然他界したのだが、葬式の日程が監査の日程と同じだった上に遠距離である。監査だとルーチン・ワークのように他人に任せるのが難しいので、しかたなく友人の方はごめんなさいしたのだが、これは良く考えると非常にやばいではないか(こんな事が続くと、友人関係で外様になってしまう)。

 人の死というのは、そのほとんどが想定外だ。そして他の人が代われない部分がある仕事を持っていて、なおかつ地元民ではない場合、これは致命的だ。
 現在の仕事自体が楽しい訳ではまったくないし、この仕事自体を誰も評価していない(しかし誰かがやらなければならない仕事ではある)のだから、これはちょっと真剣に考えた方がいいかも知れない。

 結局、がんばり甲斐のない職場にいたら、人生の無駄かもしれないという事なんだな。



2002年09月16日(月) 親戚の訃報

 今朝、「昨夜、伯母が亡くなった」との連絡があった。
 病気療養中で、波があったようだが、ついにという訳だ。とりあえず挨拶に行き、死顔は見てきた。
 20日が葬式という事なので、しばらくは忙しくなるかな。



2002年09月15日(日) 「ラスト・ブックマン」をようやく購入

 一体発売日はいつなのかまるで判らず、ネットで検索しても発売されたのかどうかが今ひとつはっきりしていなかったため、毎週探し回っていた「ラスト・ブックマン」(by とり・みき)をようやく発見、購入できた。

 とり・みき作品は「るんるん・カンパニー」以降、全て買っているが、ネット普及前の田舎では入手がかなり難しかった。そもそも本が出ているのかどうかが、書店ですら判らないという状況だったのだ。
 したがってネットが普及した現在、情報は簡単に調べられるしいざとなればネット発注すればいいのだから楽だ、なんて思っていたのに、やはりマイナー作家に関しての状況は、以前とあまり変わっていなかった訳だ。
 マイナー好きの宿命だから、まあこんなもんだろう。

 それはともかくこの「ラスト・ブックマン」は、以前出ていた「DAI-HONYA」の続編であり、あの書店管理官の活躍である(知っている人にはすぐ判るし、知らない人には説明すると長くなる)。
 しかしこれはかなり面白い。早川書房から出た事を考えると、来年の日本SF大会では、星雲賞にノミネートされているかも知れない(あ、前作も星雲賞を取っているか)。

 今回はギャグが空回りせず、非常にいいバランスでストーリーが展開している。まあ若いSFファンには判らないかも知れないネタが多いが、それ自体があまり気にならない程度にバランスはいい。ただし使い廻しのネタもあるが。
 そして往年のファンには、いつものギャグだと思っていたのが、実は伏線(という程オーバーではないが)になっていたりして、ちょっと感心してしまったりもする。もしかしたらここ数年での最高傑作かもしれない。

 これはさらに続きが読みたいものであるが、本人は書く気があるだろうか。今回ので、このシリーズはやりたい事がかなり放出されてしまったような気はする。でもそれならそれで、あとは冷食捜査官シリーズも書いてほしいところである。

 ところで今回は、著者が「とり・みき」と「田北鑑生」という二人の表記になっている。ネタを一緒に考えたのか、いつも出演してもらっているからその出演料という事なのか。せめてあとがきを付けて、この辺の事を書いて欲しかった。



2002年09月14日(土) だだのグチ

 今日は仕事のグチなので、読まない方がいいと思う。

 例によっての意味なし出勤日。全部の支店が一部の人しか出ないから、仕事にならない。
 しかし妙に人が少ない。聞くと出張だの会議だの…。確か客や支店への対応のために電話番という意味で出社してんじゃなかったのか? 電話は一体誰が取って、誰に取り次ぐんだ? それで結局怒られるのは電話を取った人になるのだ。ある意味みんな卑怯である。

 日中は某氏と会社の「事務及び情報」に対する不安を話し合う。
 現在うちの会社は赤字である。営業の連中は頑張らないといけない。しかし第一に無能な営業が多すぎる。これは、こんな人を採用している人事部に多大な責任があると思うし、それからまともに教育していないというのも問題だろう。
 さらに会社というのは、事務系統がしっかりしていないと、まったく金が入ってこないのに、人事部は事務の重要性を完全に無視している。理由は簡単で、事務系の仕事がまったく判っていないからだ。これは比喩ではなく、文字通り知らないのだ(決算期は忙しいという認識もゼロのようだし)。まあ営業も事務もまったくやった事のない人が人事のトップだし、会社もそれでよしとしているのだから、当たり前であろう。

 そして情報部門もおかしい。関係会社とのデータのやり取りをまったくやろうとしないのだ。実際に様々なデータのやり取りは日々行われているのに、向こうのデータを印刷媒体で受け取り、それをこちらで再入力という二度手間をしている。当然時々データの転記ミスが起こる。しかしOSが違うからの一言で、絶対データのやり取りを行おうとしない。ひたすら逃げている、というより面倒だからやりたくないのを、巧みにソフトのせいにしている。その上で誰かがなんとかしようとすると、気に入らないから横やりを入れて壊す。
 結局ここも事務の重要性を無視しているのだが、上がそれで構わないと言っているのだ。本当にこの会社はヤバイと思う。
 
 あ、「中傷企業」というダジャレを思い付いたが、シャレにも何にもなってないか。



2002年09月13日(金) いわゆる「キリストの墓」

 イタリア国営放送のテレビスタッフが、青森県は新郷村の「いわゆるキリストの墓」を取材したそうだ。
 クルーは最後に「キリスト本人ではなくとも、何かがここにあったのだと感じた」と言っている。これはまさにそのとおりだろう。
 ナニャドヤラという音頭にしても、ヘブライ語が変化したものだという可能性はあるし、少なくとも外国人が住んでいたのはほぼ間違いはないのだろうが、実はキリストの墓だという確たる証拠は何もないのだ。それをキリストの墓だと強調されてもなぁ。

 元々は「大切な人の墓」として村民が大事にしていた物なのだが、昭和10年頃、例の「竹内文書」事件依頼、キリストの墓かもしれないと噂されるようになってしまったのだ。ちなみにこの竹内文書、今では贋作であるとされているが、どうもこのクルーは今回、そこも取材したらしい。
 だいたい、ここをキリストの墓として観光スポットにしたのはつい最近で、元々信じている人などほとんどいなかったのだが、やはりメディアの力は凄い。しかもこういういかがわしい物ほど伝播が速く、信じる人も多くなる。
 これに限った事ではないが、みんなもっと冷静になれ、と言いたくなる事が多い。

 ただ、少なくとも観光スポットなら、来た人を少しは納得させる工夫が必要なのだ。その努力がここにはまったくない。少しはそういう方面の勉強をすべきだろう。

 例えば高木彬光の「成吉思汗の秘密」という本がある。これは「源義経が平泉で死なずに大陸へ渡り、生き延びて成吉思汗となった」というあの伝説を、資料を元に推理で実証する(というか、可能性は高いと断定する)話で、これがまた実に良く出来ている上に楽しい本なのだ。
 こういう地道な検証をした上での話なら支持もするが、この新郷村のような、根拠も脈絡もないただの突然変異な話を、そのまま信じろと言われても無理な話だ。
 もちろんこの本にしても、思考実験の話として絶賛するのであり、源義経=成吉思汗を100%信じている訳では、決してない。しかし伝説のロマンの「可能性」を、ここまで真剣に考えるというのは大事な事なのだ。
 自分で何も考えずにただ信じるという姿勢は、最悪である。

 ところでここの土産物屋で売っているキリストの酒が、なぜ日本酒なんだ。これはなんとしてもワインとするべきだろう。地元の酒を売る事しか考えていない上に、ずれているのだ。
 どうせ観光のための偽スポットなのだからこそ、こういうところにはこだわるべきなのに、結局やっている事が、中途半端な仕事だと言わざるをえない。
 いや、仕事などと言うのもおこがましいか。



2002年09月12日(木) こんなところに「巨人獣」

 100円ショップのダ×ソー(伏せ字にしても意味ないな)から、100円コミックが出ているが、まあそのほとんどがどうでもいいような作品である。
 ところがなんと「巨人獣」が出ているではないか。これはかなり驚いた。とりあえず2巻、無人島への移動中、爆破されるところまでなのだが、良くこんな物を100円ショップで出したものだ。他の作品と比べると、かなり異質である事は間違いない。

 ただし、多分この後は出ないだろう。まあ絵的にもクレームがつく可能性もあるが、そもそも100円ショップごときで出せるほど、甘い内容ではない。この後はどんどんシリアスになっていくのだ。
 それでも、ここまでで一応完結したように見える構成になっているから、区切りはいい。

 まあこの部分まででも出したという事は、100円ショップという事を考えれば、多少評価すべきかもしれない。なんたってここまでが200円(消費税別)で読めるのだから(当然購入したぞ)。
 でもどうせなら、最後まで出して欲しいよなぁ。



2002年09月11日(水) 意外と「リターナー」は拾い物だ

 「リターナー」を観る。
 いや、いくつかの掲示板を見ていたら、けなしているのが多く、このままでは観に行く気がなくなるかもしれないので、あわてて劇場に行った訳である。最終の21:10からだ。

 見終わってみると、確かに金城はヘタで、それは確かだ。だが鈴木杏は結構がんばっているし、なかなかいい表情をしていた。そして脚本もまあまあよく出来ていたし、演出も悪くはない。
 ただし観ている時は普通の人は気付かないだろうが、タイム・パラドックスの問題はかなり無理がある。あれではパラレル・ワールドにしなければならないが、そうするといくつか矛盾点が出てくる。まあ別にいいのか。今回はSFをメインにしている訳ではないらしいし。
 あとソニック・ムーバーの描写は、最初スーパー・ジェッターかと思ったが、もろ009であった。矛盾点まで同じというのが笑える。

 しかし、あちこちで言われているハリウッド映像のコピーは、確かに不要だとは思う。ああいうのを観ると一瞬元の映画が浮かんでしまうからだ。もう少しオリジナリティを出してもらわないと、熱中していても、一気に覚めてしまう。

 それでも全体的に非常によくまとまっているし、泣かせどころもうまい。
 特にVFXは本編の邪魔にならず(つまり自然だという事)、後であれは多分CGでなければ撮れないはずだと気付く程度に自然な描写が多い。当然ミニチュアとCGをうまく使い分けている。
 さすがに最後のスペクタクル・シーンは、当たり前だがCG使いまくりなのが理屈で判ってしまう。仕方がないか。
 いずれにせよ、あまり無駄のない構成である。

 ところで樋口真治って、どこに出ていたんだろう。



2002年09月09日(月) 日本以外全部沈没だぁ

 筒井康隆の「日本以外全部沈没」と「ラピタ10月号」を買う。

 筒井のは短編集として、これが3冊目となる。
 しかし久々に表題作を読んで、昔はもっと面白かったと思ったのだが、妙にギャップがある。「バブリング創世記」など、昔はきちんと読めたのだが、今は内容を知っている事もあり、つい飛ばし読みになってしまう。
 やはり私も年を取ったという事か。

 ちなみにTOKON3だったかで、「パロディ日本沈没」というストレートな作品が上演されている。これもなかなか面白いのだが、シナリオとかはどこかで公開されているのだろうか。私は持っているが版権の都合などでうかつにネットに載せる訳にもいくまい。

 ラピタは「トヨタ2000GT」の特集があり、なんとトミカの新作特別ヴァージョン、黒の2000GTが付録なのでつい買ってしまった。まあ仕方あるまい。
 こういうところが、我ながらやはりガキだなぁ、と思う。


 ところで某掲示板で「チックタックのフライマン」の話がちょっとだけ出た。これを知っていると言う事は自ずと年が判ろうというものだ。どう考えても40過ぎだよなぁ。
 で、その掲示板でコナミの食玩情報もあり、10月のUFOに続き、12月はキャプテン・スカーレット、そして3月は残りのSFメカとしてか、写真で見る限り「スーパーカー」「スティングレイ」「メカニカル・フィッシュ」「マックス・カー」「U-59」「イーグル・トランスポーター」「ホーク・マーク9」という予定になっている。
 しかし他のはともかく、何故「U-59」なんだろう。これはちょっと悩むところだ。



2002年09月08日(日) 怠惰な日曜である

 天気が悪いので、三沢には行かなかったが、予想通りブルーインパルスを含むほとんどの飛行展示が中止だったとの事だ。あの雲の低さでは仕方がないだろう。

 ところで朝の民放で「台風が那覇直撃」というニュースを流していた。この時に商店らしき所のシャッターが今にも吹き飛びそうになっている映像が流れたのだが、このシャッターにでかでかとジェネシスの「怪奇音楽骨董箱」のジャケットが、そのまんま描かれてあった。
 なんか朝からとんでもない物を見てしまったような感じがするが、何の店だったんだろう。


 午後、ヒマにあかせてネット上の映画情報を検索していると、サンダーバードの映画化再浮上の記事があったが、まあまたポシャるであろう。これに関しては、完成するなどという期待はしていない。
 そもそもネット上の情報というのも、噂話か確定した話が多いから、途中経過の信用できる情報は少ない。つまりネット情報というものは、あまり信用しても仕方がないのだ(だったら何故検索しているかって? ヒマにあかせて、と書いたでしょ)。

 あとスターウォーズの旧三部作のDVD情報もあったが、当然2005年のEP3以後に出るのは判るとして、EP1〜EP3の撮影時に撮影したフッテージを追加するとの事だ。一体何だそりゃ。
 つまり公式なソフトが、「最初の公開ヴァージョン」「特別篇」「最終版」と3つも存在する事になる訳だ。なんかブレードランナーみたいだなぁ。まあ過去のボックスは両方持ってるし、おかげでLDを捨てないですむという大義名分が立つのだから、いいけど。
 ちなみに現在出ているEP1も、LDとDVDでは内容が異なる。しかもLDの音声は非圧縮のせいなのか、ノーマルで聞いても凄まじい迫力である。あのポッドレースの音響には心底驚いた。結局これも手放せない。
 ちなみにEP1のLDは、日本のみの発売である。やはりパイオニアという会社は凄い。

 しかしブレードランナーのソフトについては、監督と会社の見解の相違から発したソフトの複数化なので、まだ納得できるが、スターウォーズは完全にルーカス管理の元で複数化しているのだから、どうも納得できないなぁ。
 そもそも私のように元々のオリジナルを持っている人には、劇場公開時の感動再び、という事も可能だが、当時見ていてもソフトを買っていなかった人には、自分の見た当時のオリジナルを見る事はできなくなる訳だ。この辺でルーカスの考えている事は今ひとつ理解できないのである(過去のソフトは封印するそうだ)。

 
 その後夕方から、先日送られてきた「ふろヰ道」のビデオを見る。アクセルとパイプライン、そして6月の東京での模様が収められているのだが、不思議なもので、自分が行って見たアクセルのライヴが一番見ていて楽しい。 
 もちろん東京での集まりも、非常に楽しそうであり、その模様は良く伝わるのだが、やはり自分が直接行っていないため、あのノリを完全には感じられない。
 当たり前の話だが、そういう意味では、悔しいぞ。

 で、ついでにモンティ・パイソン・アンド・ナウなんぞも観る。やはり日本語吹き替え版は面白いよなぁ。
 これとホーリー・グレイルは、日本ソフト史上に残る宝物かもしれない。



2002年09月07日(土) さて、車は無事でいられるか

 今日はお休み。

 うちを含む周囲のアパートの外壁補修作業が始まった。しかし駐車場に置いてある車の50cm脇から足場を組んでいる。こりゃ、車に傷を付けられるんじゃないだろうかと心配である。塗装もするらしいしなぁ。
 それでいて、車をどうすればいいのか何のアナウンスもない。
 しかも予備の足場なんかをあちこちに置いてある。夜なんか躓いて怪我をしたらどうするんだ。
 直接金を払う人だけが客ではないのに、これに気付かないんだから困ったものだ。

 午後にピーナツのライヴを探すも、市内は全滅。ベスト盤はあるのだが…。どういう形にせよ注文しないとダメという訳だ。
 ちなみに今回出たのには、あの「エピタフ」が入っているのだ。クリムゾン・ファン必携であろう(オーバーな)。

 そして帰ると車をとめる場所がなくなっていた。これだもんなぁ。

 ところで今日は、イングヴェイの『エレクトリック・ギターとオーケストラのための協奏組曲変ホ短調「新世紀」』なるものを聴いていたのだが、どうもギターが邪魔である。曲自体はなかなかいいのだが、結局オケとギターが調和していない。
 これはイングヴェイのギター・スタイル(手っ取り早く言えば、速引きだ)がオーケストラとの共演に合っていない、というか、合っていない曲を作ってしまったという事だろう。
 これだけのものが作曲できるのに、惜しいものである。

 明日は三沢基地の航空祭だが、天気が悪そうである。今日は恒例の障害者施設招待特別祭なのだが、飛行展示は中止であった。明日も無理かもしれない。
 というより、買ったばかりのレンズを付けたカメラを抱えて、雨の中を動き回る気はないから、今年は諦めるか。
 でも、そろそろ真面目にF2は撮っておかないといけないな。



2002年09月06日(金) 小包がふたつ

 帰宅すると、大量の郵便物と共に小包が2個届いていた(何故こんなに一度に届くんだろう?)。

 1個は晴山会長からなので、フロヰ道のライヴビデオであろう。後でゆっくりと見る事にしよう。ビデオでどの程度あの轟音が記録されているのか、楽しみである。まあその場で見るライヴに敵うものはないのだが。
 しかし明日、明後日と仙台でライヴである。見に行きたい所だが、今回はちょっと無理だ。二日とも内容が違うと言う事なので、クリムゾンみたいで楽しみなのだが。とりあえず微力だが応援念波を送ろう。

 もう一個はなんとコナミからで、サンダーバードの食玩プレゼントが当たったらしい(届いているのに「らしい」もないもんだ)。開けると「めんこスタジアム一箱」が入っていた。まあ4口(つまり20個分だ)も応募したんだから(応募券を1枚くれたS家に感謝)、たまには当たってもいいと思うぞ。
 でもこれで5年分くらいの幸運を使い果たしてしまったかもしれない。

 ちなみに以前一箱買っていたのだが、あまりにダブリが多くてどうしようと悩んでいたところだったのだ。
 で、両方とも開けてチェックしたのだが、これでもまだ10枚くらい足りない。まあ足りないもののうちどうしても欲しいのは「エリス中尉」と「シャドーモービル」位だから、まあこれ以上買う事もあるまい。
 
 たかが「めんこ」である。やはり模型でないと、必死にはなれないのだ。だから10月発売の食玩「謎の円盤UFO」は怖いぞ。



2002年09月05日(木) ジェットモグラを検索すると

 ふと思いつき、「ジェットモグラ」をGoogleで検索してみた。
 いや鬼のようにヒットするのだが、大体似たような物が多い。その中にいくつか、なかなか面白いページがあった。

 ひとつは、1/350のサンダーバード2号に合わせて、あのカタパルト周辺をフルスクラッチする模様を写真付きで日記にしていたのである。
 実際はあのレストハウスやサンダーバード1号発射用のプールまで作っており、しかも2号の格納庫まで再現している。
 しかし私が感心したのは、この人、非常にアバウトに作っているのだ。ジオラマなんて作った事がないのに、サイズは映像と模型を見ながら適当に現物合わせ、判らない部分は適当にデッチアップ(でっち上げ、って事ね)、しかも模型材料の事などあまり知らないのだ。これであれだけの巨大な物を作ってしまうのだから恐れ入る。

 そもそもある部分を作るのに、まず材料でこれがあるからなんとか作れないか等と考えている。木工用ボンドで海を作ったり、トラスフレームを作れないから木材を黒く塗って、ソレっぽく描いてしまうとか、やしの木は100円ショップでクリスマスツリーを購入して利用するとか、もうめちゃくちゃである。
 しかしこれが実に面白いし、それなりに形になっていくのだから凄い。未完生病のモデラーには一見の価値がある。

 もうひとつはイマイのモグラに合わせてコンテナを作っていた人なのだが、コナミの食玩を利用したジオラマもあり、これがなかなか凄い。
 何が凄いって、食玩の2号のコンテナ・ハッチを開け、これに入るサイズのモグラを自作しているのだ。これは2cmもないサイズであろうか。
 まず適当なサイズのネジを見つけてきて、これをドリル部分として後は適当に自作している。これは盲点だったなぁ。

 あとここを見て驚いたのは、コナミの食玩改造で、エレベーターカーの2号機4号機も作っているのだが、コクピットの曇りガラス部分を外すと中にシートがあるのだそうだ。外からはまったく見えないのに、わざわざ作ってあるという事は、透明パーツにする予定だったのだろう。ちょっと惜しい気がする。

 しかしこれだけ出来のいい食玩だと、プチ特撮というジャンルが流行るかもしれないなぁ。



2002年09月04日(水) ジェットモグラの修正、ほぼ完了

 コナミの食玩ジェットモグラにちょっと手を加える
 
 元々、ノーマルで地中突入態勢をとるとドリルの先が地面のラインより下になってしまうので、リフティング・シャフトを切り詰めてドリルの先端が丁度地面にくるようガントリー角度を調整したのだが、今度は重心が極端に前方へ移動してしまい、車体キャタピラ後部が浮き上がってしまったのである(前回までのあらすじ)。

 これはドリル部分の重量が重過ぎるという、ある意味構造欠陥なので、車体後部を重くする事にした。そこで車体内部へ重りを入れるべく、釣用の板鉛を購入し、解体作業を始めた訳である。

 当初は車体接着部で上下に切り離そうとしたが、これが全く外れない。
 仕方がないので前部のカバー部分を無理やりカッターで切り離し、そこから極細やすりを入れ、内部の接続ピン2本を切断。その後、底部にピンバイスで3mmの穴を8個あけニッパーでカット、周囲をやすりで整形して重りを入れる箱型スペースを確保した。ここまでで1時間強。
 
 その後は板鉛をスペースに入るサイズに畳んで詰め込み、様子を見ながら追加し、完了。もう少し入れれば完全に安定するが、まあ特に問題がない状態になったから良しとする。
 どこかで蓋代わりの薄いプラ版を探して、接着すれば完了である。

 これでイメージ的には、かなり良くなった、と思う。
 でもこうなると、モグラ本体とガントリー部分の接合が緩いので、もう少しがたつきがないようにしたくなった。さて、どうしたらいいかな。



2002年09月02日(月) 雪風とワイルド7

 戦闘妖精・雪風<改>を読む。何度読んでも面白い。
 しかし読めば読むほど、やはりあのアニメ版は失敗だったという感が強くなる。まったくの別物として作ればまだマシだったかもしれないのに。
 
 アニメといえば、今年になってからワイルド7の新作がテレビ東京の深夜枠で放映されていたらしい。一度見てみたいものだが、絵は酷いと言うもっぱらの噂だ。しかも原作の望月氏もあまり良くは言っていないらしい。
 まあファンの間でもほとんど噂にのぼらなかった位だから、推して知るべし、というところか。

 噂と言えば、CXの夜10時枠でワイルドのドラマの企画があると言う話も聞いた。
 気になって色々調べてみたのだが、どうも行き着く先は同じソースのようである。という事はガセの可能性が高いのだが、真相はいかに。


2002年09月01日(日) なぜCドライヴが一杯?

 写真の焼き増しやCD-Rの焼き物などをする。

 しかしここ数日、PCを立ち上げるとエラーメッセージが出るし、CD-Rも何度も失敗する。
 変だと思ってCドライヴを調べたら、残りが14MBって…。
 別に何かを保存してある訳でもないし、調べても何が異常なのかさっぱり判らない。必要なデータはDドライヴに保管しているから、つまり消してもいいファイルはCドライヴに存在しないのだ。これはこまった事態だ。

 確かに買ってから、Cドライヴがどんどん埋まっていくので不思議ではあったんだが、これは本気で再インストールしないといけないなぁ。大変だよ、こりゃ。
 
 しかし謎だ…。


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